《胎界主第一部 再読感想まとめ》 18 出口

「俺と終われるオンナなんてこの世にいねぇよ」  胎界主9周年を記念しての非公式企画。胎界主の第一部を再読して感想をつれづれ書き殴ります。一週間ごとに一話づつ。  ツイートは僕の独断と偏見で並べ替えております。 続きを読む
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紙ヒコーキ @freeflypaper

稀男の胎界主らしからぬ所。 ひとりひとりが異なる世界観を持っていること、共感不能者を内包する「他者性」について稀男は冷静に理解している。 対して強大な胎界主と評されるレックス・アドニス・ピュア、その他シャクヨウやニキなどは自分の世界観の唯一性を体現する。 #胎界主18出口

2014-09-18 22:48:09
紙ヒコーキ @freeflypaper

「自己の行いが自己の世界観に基づいていること」を胎界主の特性のひとつと看做すことができるだろう。 世界観とは「国があって県があってうちの村があって私の職場があって、あ、あと地球ね。宇宙とか外国とか」とかいう見取り図ではなく、それら世界図への価値/意味付けである。 #胎界主18出口

2014-09-18 22:54:57
紙ヒコーキ @freeflypaper

シャクヨウの鞭打ってこれが胎界ブツの幸せなのです っていうの、すごく胎界主らしいとは思う。 解釈が歪んでいても、解釈し、それが正しいと思ったのならそれを行う。 それを生涯続けること。「おふざけ」をずっと続けることはできない。本気。 #胎界主18出口

2014-09-18 23:03:05
紙ヒコーキ @freeflypaper

〈出口〉について。 以前別の話の考察(「ヴァンパイア」辺り)にて「外に出ること」と「出口を求めること」は異なると言った。 ごく単純に言うと「外に出ること」とは無論「出口の外」を含むが「この世界の、ここではない場所」全般、学校~別の学校レベルを含む広義の行動だ。 #胎界主18出口

2014-09-21 20:23:10
紙ヒコーキ @freeflypaper

対して「出口を求めること」は、「この世界の外へ」以外の志向性を持たない。狭義の観念である。 改善よりも改革を、全壊を求める。 東郷正義の「壊す力」は「創造の前の破壊」を含意するとあったが、レックスの志向はそれとも異なる。 #胎界主18出口

2014-09-21 20:30:47
紙ヒコーキ @freeflypaper

最も、作中でも「出口を求める」のはレックスだけでもなく稀男とピュアもそうであると語られるけども、狭義の意味、「出口を潜って別の世界へ行き、帰ってこない」つもりであるのはレックスだけだ。 #胎界主18出口

2014-09-21 20:36:22
紙ヒコーキ @freeflypaper

外に出る=旅に出ること。それはこの世界にはまだ知ら(れ)ざる「意味と価値」があると信じ、それを探し、それを造ろうとすること。希望を求めての放浪。 出口を探す=この世界で最上のものにも価値はなく、「意味と価値」が存在するような別の世界を探すこと。絶望から来る彷徨。 #胎界主18出口

2014-09-21 20:50:29
紙ヒコーキ @freeflypaper

後に出る話(の解釈)だが、レックスは「自分の子供」を信仰していた。 自分の被造物が「この世界の外」への扉となるのなら、それは自らの創造性の絶対を証明するだろう。 #胎界主18出口

2014-09-21 21:01:36
紙ヒコーキ @freeflypaper

それは創造者・創作者の想いとして解すれば、「自分の描いた絵の世界に行きたい」から一歩穿ち、「そこに行けるような〈世界〉を造りだせるなら、それは神に等しい」というものに近い。 レックスは自らを感動させた〈素材〉人間の赤児を使って作品を描くことに決めたのだ。 #胎界主18出口

2014-09-21 21:10:33
紙ヒコーキ @freeflypaper

創造者においてこの「世界の外」転じて〈外の世界〉自体が創造・想像した観念である。 故にそのプロセスは循環する。 #胎界主18出口

2014-09-21 21:27:44
紙ヒコーキ @freeflypaper

自らの被造物を通じて「垣間見た」〈外の世界〉 作品の作成プロセスとは扉を開く行為/垣間見た〈外の世界〉を翻訳する行為に相当する。 扉を開く=翻訳する間、確かに外の世界を見ていた。 だが、開ききった扉はただの完成し終わった物体となり、無論その向こうへは行けない。 #胎界主18出口

2014-09-21 21:31:24
紙ヒコーキ @freeflypaper

〈外の世界〉を見ていた触れていたのでなくては作品を作ることに伴う感動はありえなかった。 しかし、完成した作品は「翻訳物」いわば「まがい物」あるいは「ゴミ」でしかない。 絶えざる創造とは「ゴール」が無い故に、永劫の無為とその苦役に等しい。 #胎界主18出口

2014-09-21 21:37:02
紙ヒコーキ @freeflypaper

人は作品・翻訳物の形を見る。あるいは「この作者の意図は」「この作品のテーマは」「この時期の思想の反映」などと「作者自身の表現」への『還元』を始める。 おそらく違う。人は「決して己がそれでなかったもの」をしか作品として残さない。 #胎界主18出口

2014-09-21 21:42:33
紙ヒコーキ @freeflypaper

「人はどこをでも監獄にする力を持っている。自分はここに居たくないと考えるだけでいい(ニーチェのパラフレーズ)」 「詩とは人生が一度では不足していることの証明である(ペソア「不穏の書」覚書)」 創作物を見るだけでなくみずから創る人間は、世界に不足を見る。 #胎界主18出口

2014-09-21 21:54:52
紙ヒコーキ @freeflypaper

「この世界には足りないものがある。それをもたらすのだ」と思う。それはある種の「美しさ」でもあろうし、「救い」でもあり、「実相」と呼ばれることもある。 第二部ピュアの話と併せ、〈感動〉が求めるべき存在の指標となる。 #胎界主18出口

2014-09-21 22:11:31
紙ヒコーキ @freeflypaper

だが、〈感動〉とは「解釈」、最善でも「徴」でしかない。 感動した。だが「それをどうすればいいのか」と言うことについてまったく教えてはくれない。 絵に感動したら、どうすればいい? #胎界主18出口

2014-09-21 22:24:18
紙ヒコーキ @freeflypaper

他人の絵に感動したら、どうすればいい? 自分も絵を描けばいい? 作者のパトロンになればいい? 作品の上に自分の絵の具を乗せて「改善」すればいい? 新たな、自分の考える作品を描かせればいい? 絵を裂いて血が流れるか、向こう側に行けるか試せば良いのか。 #胎界主18出口

2014-09-21 22:25:48
紙ヒコーキ @freeflypaper

狂っている。 〈感動〉が真実だったとしても、その応答は個人の信仰、個人の狂気の領域に留まる。 表現手段とは例えば「神が生贄を喜ぶ」と思考することの延長線上にある。 #胎界主18出口

2014-09-21 22:30:08
紙ヒコーキ @freeflypaper

第二部では「人間だけが持っている『たましい』ってもんは狂気のシロモノなんだ」と表現される。 人間の、自分の存在を棒に振る賭けに身を投げ出す性質。 創造とは狂気なのだ。 ありもしないものをみるのだから。 それを創ろうとするのだから。 #胎界主18出口

2014-09-21 22:39:07
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