#udokuhon 虚淵玄の作品を語り合う会 ※未編集・進行形・誰でも編集
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#udokuhon まどかマギカで(小森健太朗さんは)「ウスペンスキーの次元論」を描いたとしていますが(これ自体はあっていると思いますが)他にもメインで伝えたいことがあるのでは?と思うことはありますか?
2014-10-04 19:28:07@Sebastianus あー僕はプレイしていないですが、沙耶の唄についてそんな風に語ってた友人がいましたね。 #udokuhon
2014-10-04 19:28:12【虚淵あるある】多分、「理想」とか「正義」に賭ける登場人物たちがそのせいでえらい目に陥る話が多いと思うんですけど、「思い込みで殉教」パターンの人間や行動を美学化する手つきが変わったような気がします。 #udokuhon
2014-10-04 19:29:28@shinichiroinaba 実は前作品目を通しているわけではないのですが、あんなに父親ばっかり出てくるのは他にはないかもしれません。育ての親が有能で欠陥人間、というのはPHANTOMのサイス・マスターからありますね。鎧武では兄が、その問題を背負いました。 #udokuhon
2014-10-04 19:29:41鎧武はfate/zeroの大人と子供の問題をいろいろ継承している気がしますね。とくに貴虎にはzeroの切嗣の面影が多分にある気がする #udokuhon
2014-10-04 19:31:50世界観の説明のために強キャラが死ぬ。マミさんとか、ケイネスとか、ゲルトとか、樟賈寶とか。 #udokuhon
2014-10-04 19:32:35「転換点」と言ってもひとによって色々なので、それこそ一作毎に成長していったのかなと。ある作品のテーマが別の作品で改めて問われていたりもする。サイコパスとガルガンティアの政治体制なんかは好例ですね。 #udokuhon
2014-10-04 19:33:06もっとも貴虎は切嗣以上に変な人な感じはあって、ああいうところに虚淵さんの個性がある気はするんですよね #udokuhon
2014-10-04 19:34:01@shinichiroinaba カレンはZEROには出てこないので、ちょっとわけて考えてました。 #udokuhon
2014-10-04 19:34:10『刃鳴散らす』(2005)だと、三島由紀夫を意識した「イシマ主義」が出てきて、日本古来の文化を復活させようとするサムライ・テロリストみたいになっているけれども、「戦うこと」それ自体の無目的な熱狂それ自体を肯定する目線があったように思います。 #udokuhon
2014-10-04 19:34:34@Sebastianus セカイ系作品が全盛の時代にそれをやれてたという事実がすごいですね…それもやはり虚淵玄独自の特色ということなのでしょうかね。 #udokuhon
2014-10-04 19:34:59@shinichiroinaba そうですね。ただ、育ての親で、技術を与えたという点で、切嗣・士郎とちょっとかぶるかなと。 #udokuhon
2014-10-04 19:35:02原稿にもちょっと書きましたが、反体制派が多数を占めないようにディストピアを設定してはいますね。裏返せば、大多数の市民にとっては安定したユートピアでもある。 #udokuhon
2014-10-04 19:37:00@shinichiroinaba @cattower 『傭兵たちの挽歌』だと、妻子への愛情もかぶりますね。 #udokuhon
2014-10-04 19:37:42雑に言えば、人間が何か崇高だと自分では思っていることを信じて社会がめちゃめちゃになったとしても、そのプロセスの熱狂や、結果としての死は、「美しい」と考えることでこの無意味な人間の衝突を心理的に昇華させるしかない、という感じが『刃鳴散らす』にはありました。 #udokuhon
2014-10-04 19:37:45虚淵さんはお父さんが左翼で、そのことが自分に大きい影響を与えたというエピソードをインタビューなどで語っていますよね。お父さんはかつてソ連をユートピアだと信じてて、その実態を知って大きい幻滅を感じたという話もしてました #udokuhon
2014-10-04 19:37:50#udokuhon ぶっちゃけると、氏はやおいっぽいのも百合も、両方書ける作家だと思う。 まどマギは百合だ。フェイトzeroのやおいっぽさも半端じゃない。
2014-10-04 19:38:07