南相馬市の特定避難勧奨地点解除に関する住民説明会メモ とその関連事項

南相馬市の特定勧奨地点解除に関する住民説明会: 2014年10月8日(水)、10日(金)、11日(土)の3回  ※特定勧奨地点の住民しか参加できない  ※勧奨地点は原発20キロ圏外の比較的放射線量の高い世帯を指定。大半が避難しており、月額10万円の精神的賠償の対象。伊達市と福島県川内村は既に解除され、指定は南相馬市内のみ。142地点 152世帯が該当。 続きを読む
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りりべ @fukukittykobe

◆内容(予定・調整中含む): (1) 提訴に踏み切った原告の思い…南相馬の行政区長および住民 (2) 南相馬特定避難勧奨地点解除の違法性…福田健治弁護士 (3) 強制的な帰還促進政策に反対の声…楢葉町・伊達市・飯舘村の住民 (4)「支援の会」結成の宣言 ほか

2015-05-08 14:05:28
吉田千亜 @hankoyama

南相馬の地点解除訴訟を応援する全国集会in東京 pic.twitter.com/zum4ip7kOC

2015-05-09 19:18:03
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「南相馬の地点解除訴訟(20ミリ基準撤回訴訟)を応援する全国集会 in 東京 中継 視聴等ツイートまとめ」をトゥギャりました。 togetter.com/li/818996

2015-05-09 21:46:23
りりべ @fukukittykobe

このメンバーが解除している。by小澤さん pic.twitter.com/LrGy9Bny6u

2015-05-09 19:20:35
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りりべ @fukukittykobe

被爆者健康手帳はピンク色しているのですね…。

2015-05-09 20:08:02
オカノリ @okanori75

補足すれば12年で原爆医療法が成立した時点でバンバンザイだったわけではなくて。制度も不完全で周知もされず手にできた被爆者は一握り。法改正や制度を何度も見直して修正しながら手帳がある程度行き渡るまでには、また更に長い年月がかかってる。特に当時の原対協の医師達の努力と力が大きかった。

2015-05-09 21:39:23
オカノリ @okanori75

個人的なこと言うとね、私の家族で最初に被爆者手帳を取得したのは祖父。原爆から35年後。それでも「(取得したのが)早かったですね」って当時、周りの手帳を持っていない被爆者の方、特に入市被爆者の方に異口同音に言われた。入市被爆者は制度上でも長くぞんざいにされてたからね。

2015-05-09 21:52:22
オカノリ @okanori75

「南相馬の地点解除訴訟」の集会でお話されていた被爆者の小野瑛子さんですが、泉田知事の被爆者手帳発言の誤りを直後にこう指摘されてます。私の知る限り自分以外で即座にこれを指摘していたのは小野さんだけです。だから当事者の話は重要なんです。 twitter.com/okanori75/stat…

2015-05-10 06:14:38

南相馬市の特定避難勧奨地点

  • 避難区域は、
    帰還困難区域: 積算線量>50mSv/y
    居住制限区域: 20mSv/y<積算線量 ≦50mSv/y
    避難指示解除準備区域: 積算線量≦20mSv/y

この3つに分けられています。そして、

特定避難勧奨地点 というものもありまして、これは、「事故発生後1年間の積算放射線量が20mSvを超えると推定される地点」のことです。 住居単位で特定し、市町村を通じて個別に通知。

資料

情報公開クリアリングハウス/Access-info Clearinghouse Japan @johokokai_ch

web更新-「特定避難勧奨地点の指定・解除に関する文書」 clearinghouse.main.jp/wp/?p=983 2011~2012年の特定避難勧奨地点指定・追加指定・解除の経過の行政文書類。最初の指定はm検討経過の記録がある程度存在するが、追加指定・解除となると記録が乏しい。

2014-12-29 20:47:57
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