新井さんはこのブログの記事でこう書いています。 「在特会に身を置く中で、僕は自分に流れる朝鮮人の血や在日と言う属性に対する非難の目に耐えられなくなってきた。別に僕個人が非難されたことはないんだけど、在日批判=自分への批判と捉えるのを防ぐことが出来なかった」
2014-10-16 19:29:56(承前) 「そして特権、特権という割には、どの法律どの条文が在日を特権たらしめているのかというコンセンサスが会の執行部に無かったことも僕はストレスを感じていた。(もしかしたらそんなことを考えていたのは僕だけかもしれない)」
2014-10-16 19:30:56(承前) 「そして鬱治療を進める中で、「自分ではどうしようもない在日という属性を批判され続けることから、いったん引いたほうがいい」と判断した。そしてブログの閉鎖と在特会の脱退を申し入れた。それが確か2007年の秋か冬だったかな。探したら12月だった」
2014-10-16 19:31:28(承前) [在特会ニュースへのリンク] これからの在特会の活動に光多からんことを祈ります。 あれから1年4ヶ月、光が当たったなあ〜、悪い意味で。 ま、部外者だからどうでもいいけど。 それから社会のことは考えずにひたすら自分のことだけを考え、休み、今は鬱もほぼ全快している
2014-10-16 19:36:02(承前) 「当時はよく韓国、在日ネタへのアンテナ張ってたけど、それしなくなってから負担は間違いなく減ったかな。エントリ書くのに2時間、コメント返しするのに3時間とか、それがなくなるのはちょっと寂しかったけど無いのに慣れるともう戻れんw」
2014-10-16 19:41:42(承前)でも1ヶ月に1回くらいはハングル板とか行って在特会スレッドを見ようとするんだけど、在日への罵倒レスを見てすぐに退却するんだなw打たれ弱えぇ。でもそれを無理に全部見て、自分の内に抱えておかしくなるよりもずっと健康的だわな。自分が犯した罪じゃないんだから、ほっとけばいいんだよ
2014-10-16 20:11:36(承前) 今回の在特会のデモ(2009年4月埼玉県蕨市でフィリピン人の女の子を攻撃対象にしたデモ:引用者注)を見たとき、もう一度ブログを再開するかどうか凄く迷った。自分としては封印したペルソナを復活させるのはいくらなんでも早いように思えたから。
2014-10-16 20:13:26(承前) 「でもあのデモは本当に吐き気がしたし、ブコメでもあったようにデビルマンの世界だった。あんな、集団が個人を*2叩くような事態に僕は本当に腹が立った。迷ったといっても実は一瞬だった。すぐに僕ははてなの入会を済まし、とりあえずブクマと取り急ぎのエントリーを上げた」
2014-10-16 20:14:05(承前) 「ついでに言うと、「僕」が言わずに誰が言うの?という気持ちもあった。かつて所属していたわけだし、彼らの広告塔たる公式サイトは僕が作ったものだ。そのあたりの責任も若干は感じている」
2014-10-16 20:16:06(承前) 「(自分が在特会を)やめる当時、僕(新井知真)はかなり左によっていると言ったけど、ネトウヨ的左、「極右から見れば自分以外は皆左」を皮肉ったものなんで、どこまで左なのかは分からない」
2014-10-16 20:20:14(承前) 「ただ、 人は国のために存在するのではなく、国が人のために存在する って言葉が信条となりつつあるんで、きっと左側なんだろうね。リベラルともいうのかな」
2014-10-16 20:20:47↓下の二つのコメントは、彼が在特会をやめた後のブログ「K3」の別の記事「在日特権への今の僕の考え」です。それ以外は最後の記事「あれから、今まで」からの引用です。
2014-10-16 20:23:15