- king1234stone
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ある日、郊外のサン・ダミアノ教会(のちにクララ会の修道女が住む)で祈っていると声を聞く。「フランチェスコごらん、私の家は崩れかかっているではないか。建て直してはくれまいか」
2014-11-02 15:56:58で、家に帰ると、店の商売物の織物を自分の馬に積み、その地方の中心都市フォリーニョで馬も織物も全部売った。(何すんねんな・・・家のもん持ちだしたらいかんわ・・・)
2014-11-02 16:01:03そしてサン・ダミアノ教会に行き、教会の修理と貧しい人のために使って下さい、と差し出し、今後司祭のもとに住まわせて欲しいと頼む。司祭はお金は受け取らなかった。(えらい)しかし住むことは許可した。
2014-11-02 16:02:48そしてフランチェスコは住みこんで教会の修復を始める。(その教会、確かに荒れ果ててたらしいんだけど、この言葉を聞いたら「建物」もだろうけど、「信仰集団」とか「組織」とかの意味にも取りそうだけど、フランチェスコは「字義通り」にとったわけね・・・)
2014-11-02 16:05:16父ピエトロは商用の旅から戻ってきて、事態を知って激怒し、教会に来る。この時、フランチェスコは逃げて隠れる・・・後でフランチェスコは後悔したと。(そらそうやなあ)
2014-11-02 16:06:38フランチェスコは町に戻ることを決意する。で、戻ると町の人々は彼は粗末な服を着、労働と粗食でやつれていて、あたかも狂人に対するかのように罵声を浴びせ、嘲弄し、子どもの中には石や汚物を投げつけるものもいた。(「かのように」じゃなく、「そのもの」として対応したんだと思う)
2014-11-02 16:19:19(「キチガイ!!」とか罵声を浴びせてね・・・) 彼はなすがままになっていたが、ピエトロが怒りに震えながら家に連れて帰った。そして座敷牢に監禁した。しかしまた商用の旅に出ている間にピカ夫人が逃した。
2014-11-02 16:21:08帰って来たピエトロは、フランチェスコが翻意しなければ廃嫡することにして、法廷に訴えた。なお、この裁判は、フランチェスコが既に宗教生活を送っているものとみなされ、教会の法廷で行われ、司教グイド二世が召喚した。
2014-11-02 16:23:41法廷(広場で行われてたくさんの人が見ている)父の訴えを聞いていたフランチェスコは所持金を全て返し、また着ている物も全て返し、一糸まとわぬ姿となった。(この絵は司教が自分の着ていたコートを脱いで下半身を隠してあげてる図) bit.ly/1wTCR2Y
2014-11-02 16:29:57アッシジの広場(法廷)で、真っ裸になっての父との決別の後、グッビオの友人のところへ行く。 「フランチェスコと狼」のエピソードはこの時。 こちらの下の方で物語が読める。 aritearu.com/Influence/Fran…
2017-07-06 12:06:00「のろわれた者を責める永遠に消えない地獄の火は、からだのほかは殺すことのできない狼の猛威よりも、はるかに恐ろしいものである。小さな野獣の口ひとつに対してさえ、これほど大勢の人が不安と恐れをおぼえるならば、まして地獄の深い淵はどれほど恐ろしいことであろうか。」
2017-07-06 12:11:31「愛するみなさん。神の許に立ち帰って、自分の罪にふさわしいつぐないをしなさい。そうすれば神は、この世では狼から、のちの世では永遠の火から、みなさんを救ってくださるだろう。」 (つぐないって?)
2017-07-06 12:12:06の説教がすむと、フランシスコは言葉をつぎ、「愛する兄弟たちよ、聞きなさい。みなさんの前にある兄弟オオカミは、みなさんがかれに命をつなぐ必要な物を与えると約束すれば、みなさんと仲直りし、これから決してみなさんに、どんな危害も加えないことを約束し、わたしにそれを保証している。」
2017-07-06 12:12:17その後、サンーダミアノ教会の修復を続け、食べるものは教会の司祭さんが提供してくれてたけど、自分で「物乞い」をするようになる。
2017-07-06 12:14:451208年2月24日のミサで、「行って、『天の国は近づいた』と述べ伝えなさい・・・帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない」という言葉を聞き、説明してもらい、歓喜して同じ格好で遍歴するようになる。
2017-07-06 12:25:28神の言葉を告げるとともに、日々の糧を得るために、農家や職人のもとで働かせてもらった。当時、これは珍しいことではなかった。ヨーロッパでは宗教運動が起こっており、この運動に参加する人々がすでに、各地を巡って電動していた。
2017-07-06 12:30:50ごめん。間違い。父との決別(1206年)の後、グッピオに行ったけど、狼のエピソードはもっと後年(1223年) RT アッシジの広場(法廷)で、真っ裸になっての父との決別の後、グッビオの友人のところへ行く。 「フランチェスコと狼」のエピソードはこの時。
2017-07-06 21:20:23特に帯は縄にした。当時、騎士は皮帯に帯剣し、商人は皮帯に金入れをつけていた。 QT 帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない」という言葉を聞き、説明してもらい、歓喜して同じ格好で遍歴するようになる。
2017-07-06 21:25:52この頃の少し前に「叙任権闘争」があり、神聖ローマ帝国のハインリヒ4世とグレゴリウス7世の戦い(カノッサの屈辱でハインリヒ4世を跪かせるが、その後、ハインリヒ4世がイタリアを攻め、グレゴリウス7世はサンタンゼロ城に逃げざるをえなくなる)があった。
2017-07-06 21:32:18