(摩耶の生存者と武蔵乗組員の内の負傷者が、舷側に接弦した島風に移乗。武蔵は1軸のみ使用可能で、6ノットにて微速航行) #武蔵のモノローグ
2014-10-24 17:34:25「(命令は絶対だが…このままでは…)……ああ、行くのか、利根。何?『ザイドリッツの戦例に鑑み艦首浮力の保持に努められよ』?…なるほど。後進な。ふふ…ああ、わかったぞ。…武運長久を、利根。……清霜ぉ、話がある。命令じゃない、相談事だ。ちょっと耳を貸せ…」 #武蔵のモノローグ
2014-10-24 17:42:07(摩耶の乗組員は全員が退艦することなく、いくらかは武蔵に残り復旧に努めた。利根の黛艦長は、第一次世界大戦中に被雷し艦首が沈降したが、後進して港に戻り無事座礁に成功した巡洋戦艦ザイドリッツの戦訓をなぞることで武蔵が沈没から免れることを望み、栗田艦隊に復帰した) #武蔵のモノローグ
2014-10-24 17:48:08(武蔵から清霜へいくつか信号が送られたが、「戦線を離脱してコロン島にと考えている」「右舷の機械室が使用可能でまだ操舵も可能」「日没後に清霜による艦尾曳航操舵を試したい」といったものだった。戦艦武蔵全体が混乱の中にあったが、それでも尚奮励努力する兵らは多かった) #武蔵のモノローグ
2014-10-24 17:53:55「よし、皆は行ったな。最期までそばにおってくれるのは…浜風と清霜か。そうか。……軍旗を降ろすゆえ、暫く待ってくれ」 (1915 傾斜角暫時増大し、復旧の見込み無し。総員退去用意下命。軍艦旗降下) #武蔵のモノローグ
2014-10-24 19:17:53……。 ……皆の分まで、この武蔵は敵を惹き付けられただろうか…? 栗田艦隊の皆。西村艦隊の皆。…長門さん…大和…… #武蔵のモノローグ
2014-10-24 19:35:19「……浜風! 清霜! 後を任せるぞ!」(1935 左舷に転覆、連続爆発2回、艦首より沈没) #武蔵のモノローグ
2014-10-24 19:37:06(まだ、艦内は息のある者ばかりだろうが…じきにそれも。水面の者をも渦に引き込むことになる、か。………さあ、行こう。敏平。) #武蔵のモノローグ
2014-10-24 19:40:47戦艦武蔵の沈没に伴う戦死者は、全乗組員2399名中猪口敏平艦長以下1023名、生存者は1376名。さらに重巡洋艦摩耶の乗員も117名が犠牲になった。 救出された生存者はフィリピンのコレヒドール島に集められ、「戦艦武蔵が沈没した」という事実を口外せぬよう監視の下に置かれた。
2014-10-24 20:23:47彼らはそのままフィリピン守備隊として現地に残され、陸戦隊としてマニラ市街戦に参加させられたりしたが、その多くは戦死してしまった。生存者は五十余名程度ともいわれている。 有体に言えば口封じだ。それが罷り通った時代・組織だった。(肯定も否定もしない。各々が考えてくれれば良い。)
2014-10-24 20:26:18シブヤン海に没した者。生き延びてなお地獄を味わい続け散った者。終戦まで生き、それからも強烈なトラウマに苛まれ続けて亡くなった者。 彼我すべての将兵の皆様のご冥福を祈っている。
2014-10-24 20:31:12成人前に戦艦武蔵に乗り込み生き残った、渡辺清殿の「戦艦武蔵の最期」。 日本ペンクラブ・電子文藝館にそれが抄録されている。総員退艦命令後の艦の様子が読み取れるものとなっているので、興味のある方は目を通して欲しい。 本日描写を避けた過酷な表現が多少含まれている点にのみ、注意されたし。
2014-10-24 20:38:58日本ペンクラブ・電子文藝館 japanpen.or.jp/e-bungeikan/ 戦艦武蔵の最期(抄録)(PDF形式) japanpen.or.jp/e-bungeikan/no…
2014-10-24 20:40:11