思い出の大船渡五年祭
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ここでの繋がりが、こんなに嬉しい記事になりました♪これからももっと福島の事を知りたいと思って下さる方が増えますように♪感謝 ! @laughmaker1979 @nijiiromikan11 @hayano zakzak.co.jp/smp/society/do…
2015-03-14 09:34:07そして、被災者同志、また、そこに関わって下さった方々に改めて感謝いたします。目に見える物だけでなく、心の面でも復興が進みますように。@laughmaker1979 @nijiiromikan11 @hayano
2015-03-14 09:39:42【忘れない、立ち止まらない 東日本大震災から4年】福島から三陸へ温かい思いやり 「必要な方に」と提供申し出 - ZAKZAK zakzak.co.jp/society/domest… @zakdeskさんから
2015-03-14 09:47:41【緩募・大船渡】今から15年くらい前、三陸を訪れました。その時、綾里の町で5年に1度という素晴らしいお祭りに遭遇し、感激したのですが、その時の写真が見つかりました♪ネガもあります。思い出を探しておられる方がいらっしゃったら、ご連絡下さい。これから連ツイします。
2014-10-28 20:54:48大船渡・綾里の五年祭(3) 今から15年くらい前 右側の写真の背景に写っている学校は、綾里小学校だと思います。 pic.twitter.com/jbNhdfisOY
2014-10-28 21:02:05大船渡・綾里の五年祭(4) 今から15年くらい前 小さな町なのに、すごい人で驚いたのを覚えています。大船渡の民宿のおばさんが、丁度五年祭だから行った方がいいよと教えてもらい、行った記憶があります。 pic.twitter.com/CkveLZWW5q
2014-10-28 21:06:04さすがに海の町だなぁと思いました。船の形の屋台を見たのは初めてでした。赤や緑のきれいな色の旗や飾りがついた屋台には、太鼓を叩く若者や、裃や袴を着たお年寄りがたくさんいました。大漁祈願のお祭りだと聞いた覚えがあります。五年に一度の素晴らしいお祭りに出会えて感激したのを思い出します。
2014-10-28 21:14:59実は、震災の時に本棚から落ちてきた本やアルバムが、段ボールにそのままなっていました(TT) 三年半の間にプチ引っ越しがあったり、自主的な除染を優先させていたので、整理がなかなか出来ずにいました。気になっていた思い出の写真がやっと見つかり、今なら公開出来るかなと思いました。
2014-10-28 21:21:33この時の旅行で三陸が大好きになった。陸前高田の町を抜けて行くあの道路。雪っこを初めて飲んだのもこの時。高田の道の駅で買った南部鉄の風鈴は今もそのまま。越喜来、吉浜、綾里… 大船渡の高台にある料理屋さんで食べた、雲丹といくらとホタテの丼♪民宿の目の前で釣ったお魚。
2014-10-28 21:48:15民宿があった町はすっかり変わってしまったけれど、住居を変えた後もご縁がまだ続いていて、福島から桃やリンゴを送ると、三陸からはホタテやワカメが届く。それぞれの町の被害を思いやりながら、それぞれの町の元気を喜び合う。
2014-10-28 21:56:20本日、11月11日付けの東海新報社に、平成13年…つまり今から13年前に行われた大船渡市三陸町綾里(りょうり)の「五年祭」の様子を写したものについての記事が掲載中です。ご覧になれる方は是非どうぞ。思い出の写真が一枚でも お一人でも多く届きますように。
2014-11-11 12:27:051)この記事の写真は平成13年、つまり今から13年前に行われた大船渡市三陸町綾里(りょうり)の「五年祭」の様子を写したものです。 福島にお住まいの女性がかつて三陸を旅行した際お撮りになったそうで、東海新報へ提供してくださいました。 pic.twitter.com/jJfcSKnLX8
2014-11-11 17:55:332)「五年祭」とは文字通り五年に一度行われる、各地域の神社のお祭り(名前は「五年祭」であっても四年に一度のところもあります)。 綾里の場合、平成23年6月に挙行予定でしたが、震災直後だったため開催を断念。つまり18年以降は祭が行われていないので、この写真は貴重な資料でもあります。
2014-11-11 17:56:473)メイン会場だった綾里小学校をはじめこの一帯は津波被害を受けていますし、写真を流失した人も多いのではないかと思います。「そういった方のお役に立てれば」と、今回ご提供くださったわけです。もし「写真が欲しい」という方がいらしたら、弊社までお電話(0192・27・1000)ください。
2014-11-11 17:57:284)記事にもありますが、女性が13年前の旅行をきっかけに「三陸を大好きになった」と言ってくださっていること、当時知り合った当地の方と今も交流を持ち、福島からは果物を、三陸からは海産物を送り合っていらっしゃるということが、ひとさまのことながらうれしくてなりません。
2014-11-11 17:58:085)女性がおっしゃる通り「それぞれの町の被害を思いやり、町の元気を喜び合う」そんな関係が、いろんなところで生まれ、育まれてきたのですよね。 結局のところ、一番強固で、無理なく長く続く〝応援〟の形というのは、個人と個人の間にある「遠くの友を心配する気持ち」なのだなあと思います。
2014-11-11 18:00:22ただの観光旅行が、忘れられない思い出の旅行になるのは、その地に住む方々との繋がりが出来た時なのかもしれない。実際に言葉を交わす事が無かったとしても、長い歴史が育んだその土地に伝わる独自の伝統や文化に触れた時、心が共鳴したその時に繋がりが出来るんだろう。
2014-11-11 21:40:39人と人との繋がりは、その地域同士の繋がりになっていく。その事を震災を経験してから強く思う。観光、ボランティア、復興事業で訪れて下さった方の中には、東北を福島を好きになってくれた方も多い。そして私たちがその方々から学ぶことも多い。
2014-11-11 21:53:50一つの感動が小さな繋がりを作り、それがいつか必ず大きな繋がりになっていく。 震災は確かに辛く悲しい出来事だったけれど、それを乗り越える力をもらえたのは、そういう繋がりだったような気がしている。
2014-11-11 22:05:15当時の思い出を探している方に
懐かしい写真が届きますように。