【仮タイトル】大正末~昭和初期アヴァンギャルド芸術曼荼羅

竹熊健太郎さん「ポップアートはサブカルチャーではない」 http://togetter.com/li/749288 の、【まとめ人連ツイ】につながる連ツイ
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昭和35(1960)年、劇団四季「創作劇連続公演」

もうれつ先生 @discusao

多作な劇作家・別役実。もう「味で書いてる」と嫌味も出そうなくらいスタイルを確立してるので、ちょっと舐めた態度で初期作品『象』を再読してみたら…すみません、強烈でした。ヒロシマで被曝した背中のケロイドを見世物にする大道芸人とその甥を中心にした物語。

2014-11-28 21:28:54
もうれつ先生 @discusao

寺山修司の『血は立ったまま眠っている』は蜷川演出で4年前にも上演されたそうだけど、オリジナルは1960年、劇団四季「創作劇連続公演」の第二弾として都市センターホールで上演されいた。演出はもちろん浅利慶太。蜷川版で窪塚洋介が演じた「灰男」は、日下武史がやっている。

2014-11-28 21:46:43
もうれつ先生 @discusao

寺山修司の『血は立ったまま眠っている』は<安保闘争の時代背景の中、兄弟の如く寄り添う若きテロリスト二人を筆頭に、若者たちの心の葛藤や怒りを~>とja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80…いった説明から、寺山脚本の映画『乾いた湖』を連想してしまうが、実際はかなり異なる。

2014-11-28 21:50:20
もうれつ先生 @discusao

劇団四季は、創立以後5年間ジャン・アヌイなどのヨーロッパの戯曲を題目としてきたが、この昭和35年の「創作劇連続公演」にて初めて国内の作家のものを手掛けることになった。作家は石原慎太郎、寺山修司、谷川俊太郎、矢代静一の4人で、音楽の林光、武満徹など「若い日本の会」絡みの面子が並ぶ。

2014-11-28 21:59:11
もうれつ先生 @discusao

ちなみに演目は 石原慎太郎『狼生きろ豚は死ね』 寺山修司『血は立ったまま眠っている』 谷川俊太郎『お芝居はおしまい』 矢代静一『地図のない旅』 谷川作品について言えば、タイトルから連想するアットホームなイメージとは随分異なる傾向。「エキセントリック」と表現すらできそうな饒舌さ。

2014-11-28 22:04:57
もうれつ先生 @discusao

石原慎太郎『狼生きろ豚は死ね』は、ちょっと読みたい。古本で探せばすぐ出てくるのかな。。。

2014-11-28 22:06:05

「マヴォ」他、大正末~昭和初期アヴァンギャルド芸術運動

もうれつ先生 @discusao

mavo.takekuma.jp/manga/memo/abo…【よりぬき たけくまメモ マヴォについて】流し読みで看過してたけど、竹熊さん、ここですでに「ハイアー.. togetter.com/li/749288#c168…

2014-11-29 06:49:39

↑まとめコメントなので文が途絶してるが、全文は↓
【よりぬき たけくまメモ マヴォについて】流し読みで看過してたけど、竹熊さん、ここですでに「ハイアートであるとポップアート」と書いてたね…

もうれつ先生 @discusao

前衛芸術グループ「マヴォ(MAVO)」のことは、思潮社現代詩文庫『尾形亀之助詩集』の年譜で初めて知った。あ、それに先行して萩原恭次郎のダダ詩集『死刑宣告』の復刻本を手に入れているので、なんとなくは知っていたはずだ。尾形亀之助詩集を購入した契機は、解説を別役実が書いてたからだね。

2014-11-29 07:07:15

尾形亀之助の詩
大キナ戦(Ⅰ 庭と角笛)
五月に入って雨や風の寒むい日が続き、日曜日は一日寝床の中で過ごした。顔も洗らはず、古新聞を読みかへし昨日のお茶を土瓶の口から飲み、やがて日がかげって電燈のつく頃となれば、襟も膝もうそ寒く何か影のうすいものを感じ、又小便をもよふすのであったが、立ちあがることのものぐさか何時までも床の上に座ってゐた。便所の蠅(大きな戦争がぼっ発してゐることは便所の蠅のやうなものでも知ってゐる)にとがめられるわけわけもないが、一日寝てゐたことの面はゆく、私は庭へ出て用を達した。
青葉の庭は青空が明るく透き、蜂のやうなものは未だそこらに飛んでゐるらしく、たんぽぽの花はくさむらに浮かんでゐた。「角笛を吹け」いまこそ角笛は明るく透いた西空のかなたから響いてこなければならぬのだ。が、胸を張って佇む私のために角笛は鳴らず、帯も締めないでゐる私には羽の生えた馬の迎ひは来ぬのであった。
(『歴程』19号 昭和17(1942)年4月 誤表記は原文ママ、なおこの年の2月に尾形は死去している)

もうれつ先生 @discusao

youtube.com/watch?v=atjAOF… 街と飛行船 別役実の存在はフォーク・グループ『六文銭』の作詞者として知った。メンバーの小室等や及川恒平が、別役実の芝居の劇中歌を作曲していたからだ。六文銭は、その後のカテゴリーでいうとアシッド・フォークに近いこと(も)やっていた。

2014-11-29 07:16:27
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もうれつ先生 @discusao

「街と飛行船」のような「あんまりこういうこと書いちゃいけないんじゃないの?」というか不穏当な歌詞を書く別役実が気になり、別役実の当時唯一の文庫本『戯曲・赤い鳥の居る風景』を読んでますます不可解で不快な魅力に憑りつかれていった pic.twitter.com/omtIkgkeek

2014-11-29 07:31:35
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もうれつ先生 @discusao

今なら「モラル・ハラスメント」といった考え方もあるので、別役の芝居の中にある「不快さ」の構造も理屈として分かってしまえることもできるわけですが。あ、それで不条理劇について知らなくちゃと入門書として買ったのが津野海太郎の『門の向うの劇場 同時代演劇論』だった。

2014-11-29 07:36:41
もうれつ先生 @discusao

津野海太郎『門の向こうの劇場』で取り上げられている佐藤信、唐十郎、別役実らの芝居を、当時は一本も観たことはなかった(少ない観劇経歴の中では、寺山修司の『白夜』がそれらに最も近かった)。対象を知らないまま批評を読んでるわけで、内容がどうこう以前の「難解」な読書だった。

2014-11-29 07:43:41
もうれつ先生 @discusao

しかし「プロセニアムアーチの彼方へ!」とか、今でもフレージングを覚えてるのは三つ子の魂百までってことか。。。その後(まさか再会するとは思わなかったけど)津野の自伝的な『おかしな時代』における演劇活動の経歴について読解する手助けになった pic.twitter.com/cIItTpFlaA

2014-11-29 07:48:01
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もうれつ先生 @discusao

その津野海太郎による『したくないことはしない 植草甚一の青春』 amazon.co.jp/%E3%81%97%E3%8… 無理矢理繋がらせようというわけではないのだが、この本でも村山知義が出てくる。 pic.twitter.com/nc5EWOVh3G

2014-11-29 07:52:31
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もうれつ先生 @discusao

植草甚一は、60年代後半より発生した新しい文化カテゴリー「サブカルチャー」の象徴となった人物だが、ある時津野に、自分には師といえるものはないが敢えて挙げると三人いる、と堀口大学、飯島正、村山知義の名前を列挙したという。

2014-11-29 08:01:15
もうれつ先生 @discusao

植草甚一が村山知義を師匠とも目したのは、アヴァンギャルド芸術への関心の素養を彼の活動から継承したということらしい。1924年頃、ハイティーンの植草少年は左翼思想にカブれたり雑誌『マヴォ』を読んでアヴァンギャルドに目覚めたりしていたと…

2014-11-29 08:09:15
もうれつ先生 @discusao

youtube.com/watch?v=UXlQ1_… 江戸川乱歩が、オタクな『新青年』や少々ロウブロウな『苦楽』ではなく大メジャー『朝日新聞』に『一寸法師』を連載しブレイクしたのが昭和元年(1926年)。新感覚派たちも関わった衣笠貞之助の前衛映画『狂った一頁』も同年。

2014-11-29 08:45:47
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もうれつ先生 @discusao

しかし、乱歩の『一寸法師』が朝日新聞連載ってのも、よく考えたらスゴイけどね。しかも、山本有三『生きとし生けるもの』の連載が作者急病のため中絶、次に予定されてた武者小路実篤の作品はまだ準備不足ということで急遽乱歩先生登板ということになったという…戸板一枚の教養主義と猟奇の距離。。。

2014-11-29 08:51:09
もうれつ先生 @discusao

また、年末に朝日で『一寸法師』連載が開始される1926年は、先の尾形亀之助編集の雑誌『月曜』に宮沢賢治の「オツベルと象」(一月号)と「猫の事務所」(三月号)が掲載された年でもあったりする。

2014-11-29 08:55:41
もうれつ先生 @discusao

村山知義に戻ると、津野海太郎は『したくないことは~』にて植草甚一の村山評価と自分のとの違いに驚いている。津野にしてみれば彼は「社会主義リアリズム演劇のあまりパッとしない指導者」「比叡山の荒法師のごときふてぶてしい風貌の坊主刈りの大男」 pic.twitter.com/JEEdAxWMgP

2014-11-29 09:32:47
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もうれつ先生 @discusao

これは思い当るフシがあって、劇団民藝といえば瀧澤修の臭くて思い大仰なヴァン・ゴッホ役の演技を思い浮かべる人はもういないかも知れないが、昭和44年(1969)の再演時には村山知義が演出・装置を手掛けている(これはオレ、見てるな)。

2014-11-29 09:38:56