パトリス・ルコント監督のトークショーの記録(2014年12月6日)

第6回京都ヒストリカ国際映画祭の初日(2014年12月6日)、京都文化博物館フィルムシアターで新作『暮れ逢い』の特別上映後に行われたパトリス・ルコント監督と映画評論家滝本誠さんとのトークショーの記録です。主にルコント監督の発言に焦点を絞って採録しています。
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エンドス @los_endos_

本日、京都文化博物館フィルムシアターで行われたパトリス・ルコント監督のトークを以下に要約します(2014/12/6)。twitterで充分だと思ってまとめ始めたら思っていた以上に分量が多くなりました。全部で28に分割してアップします。基本的に監督の発言のみ記載します。(1/28)

2014-12-06 23:03:35
エンドス @los_endos_

『タンゴ』(1993年)以来、毎作品完成の度に来日している。日本での初上映作品は『髪結いの亭主』。その時は別作品の撮影で多忙だったため代理を行かせた。日本とはその頃からの付き合いとなる。映画公開の挨拶で毎回来日しているが、別にギネスを狙っている訳ではない(笑)。(2/28)

2014-12-06 23:04:19
エンドス @los_endos_

本日上映した『暮れ逢い』の次の作品は既に完成しており、今月末からフランスで公開される。私は映画監督として退屈するリスクを取りたくない。監督が退屈していたらいい映画が出来る訳がない。新作は『暮れ逢い』とは真逆のコメディーで、スピーディーな作風になった。(3/28)

2014-12-06 23:05:52
エンドス @los_endos_

最新作は、レコードコレクターの主人公が長年探し続けていたレア物のレコードをレコ屋で遂に発見し、まっしぐらに家路を急ぐが、なぜかなかなか帰れなくていつまで経っても聴けないという話。『一時間の休息』というタイトルのこの作品で、たった1時間さえままならない現代を揶揄した。(4/28)

2014-12-06 23:07:11
エンドス @los_endos_

ここでインタビュワーの滝本誠氏(映画のみならず音楽にも深い造詣を持っておられます)が「その話は自分にものすごくフィットする。今すぐにでも観たい」と仰って、ルコント監督と自分は年齢も近く、ルコント監督はデヴィッド・ボウイ、自分はブライアン・イーノと同い年だとの発言が。(5/28)

2014-12-06 23:07:43
エンドス @los_endos_

ルコント監督が映画の世界に進もうと思ったきっかけは、シネフィルの父に子供の頃、よく映画に連れて行ってもらったこと、短編映画フェスティヴァルを観て、これなら遠い夢ではないと思い始めたことなど。パリで映画学校へ通ったが何も学ばなかった。学ぶべきことは映画館の中にあった。(6/28)

2014-12-06 23:08:56
エンドス @los_endos_

短編映画を撮ることで映画製作のノウハウを沢山学んでから長編を撮るようになった。最初の作品はコメディーだったが全然ヒットしなかった。失敗作だった。それからの3年間は何も撮れなかったが、その後に撮った2本目が大ヒットして今に至っている。来年で監督生活40周年を迎える。(7/28)

2014-12-06 23:10:03
エンドス @los_endos_

映画学校に通っていた頃、講師でもあったクロード・シャブロル監督の『ドクター・ポポル』("Docteur Popaul")という作品があまりにも酷い駄作だったことに憤慨して、監督の住所を調べ上げて次のような手紙を送りつけたことがある。(8/28)

2014-12-06 23:11:20
エンドス @los_endos_

「親愛なるムシュー。もしリュミエール兄弟が貴方の『ドクター・ポポル』のような映画を観ていれば、きっと彼らは映画を発明することなどなかったでしょう」。数年後、自分は映画監督になり、偶然エージェントが一緒だったことから、或る日シャブロルの下に連れて行かれた。(9/28)

2014-12-06 23:12:12
エンドス @los_endos_

シャブロルに会った私は正直に「学生時代に失礼な手紙を送ったのは私でした」と打ち明けると「すばらしい!僕はあれを今でも額に入れて飾っているよ!返事を書いたけど、郵便局に行けなかったんだ」。そこで私が「一体どんな内容の返事だったんですか?」と尋ねると彼はこう答えた→(10/28)

2014-12-06 23:12:51
エンドス @los_endos_

「親愛なるムシュー。もし万年筆のウォーターマンが貴方の手紙を読んでいれば、きっと彼は万年筆を発明することなどなかったでしょう」。滝本「シャブロルって顔おっかないですよね?」ルコント「Oui」滝本「他のゴダールとかメルヴィルとかに同様の手紙を出す勇気はありましたか?」(11/28)

2014-12-06 23:13:52
エンドス @los_endos_

→「メルヴィルだったら殺し屋を送り込んできたでしょうね(笑)。シャブロルはユーモアの分かる人だと判っていたのであのような文面の手紙を出せたのです。そうだ、メルヴィルのとっておきの話をしましょうか」と言って、ジャン=ピエール・メルヴィル監督の話を始めるルコント監督。(12/28)

2014-12-06 23:14:44
エンドス @los_endos_

メルヴィルという人はユーモアをまったく解さない人だった。或る日メルヴィルが学校に教えに来ると聞いてワクワクして待っていたら、アメリカの外車が横付けして、トレンチ・コートにベルトを締めて真っ暗のサングラスに帽子を被った"メルヴィル・スタイル"の監督が降り立った。(13/28)

2014-12-06 23:15:53
エンドス @los_endos_

教室に入ってきてもコートを脱ごうとしない。行儀の悪い人だなと思った。友人が質問をぶつけると「その質問はあまり面白くないな、次どうぞ」とかわされる。みんな黙ってしまうと「じゃあ、これで」とさっさと出て行った。滞在時間5分。その日以来、メルヴィルが大嫌いになった(笑)。(14/28)

2014-12-06 23:16:41
エンドス @los_endos_

『仕立て屋の恋』『髪結いの亭主』で音楽を担当してくれたマイケル・ナイマンは、ピーター・グリーナウェイの映画で知って以来ずっと大好きだった。ナイマンの音楽で映画を撮るのが夢だとプロデューサーに伝えたら、それは難しいと断られたので、自分で直接コンタクトを取って→(15/28)

2014-12-06 23:17:40
エンドス @los_endos_

→ロンドンまでナイマンに会いに行って快諾してもらった。どんなことでも無理だと諦めずトライすることが大切だ。ナイマンはエレガントでダンディーでチャーミングな人。『仕立て屋の恋』ではグリーナウェイの『数に溺れて』の楽曲を少し使っているのだが、後にナイマンはこう言った。→(16/28)

2014-12-06 23:18:23
エンドス @los_endos_

→「グリーナウェイの映画よりも僕の音楽が生きている」と。お世辞の上手い人だなとその時は思ったが、グリーナウェイと喧嘩して仲が悪くなっていたらしい。そんな訳でグリーナウェイの次の映画の音楽は、ナイマンではなくベルギーの大したことのない作曲家に変ってしまっていた(笑)。(17/28)

2014-12-06 23:19:34
エンドス @los_endos_

自分の映画には必ず音楽をかけるカットがある。レコードに針を落としたり、カセットテープをかけたりする時のクローズアップを挿入する。新作でもレコードに針を落とす瞬間、プレイヤーにカメラが寄っていくシーンがある。撮影監督からは「パトリス・ルコント・カット」と呼ばれている。(18/28)

2014-12-06 23:20:36
エンドス @los_endos_

『暮れ逢い』は叶わぬ恋を描いた物語だが、原作者のツヴァイクは「どんな恋も不可能ではない」と言っている。この映画はフリドリックが旅立つまで彼の視点で描かれる。ロットとの出逢いのシーンも彼女が階段の上から降りてくるのを彼は仰ぎ見る。メタファーとして逆の構図はありえない。(19/28)

2014-12-06 23:22:17
エンドス @los_endos_

ここで滝本氏から、視線の交錯や、室内の肖像画と風景画が掛けられていることの意味などについて、その演出意図を尋ねる質問が相次いだが、一つ一つカットを分析されると私自身が重たくなってしまう、私はもっと軽やかな映画を撮っているつもりなんだよとやんわり拒絶される一幕も。(20/28)

2014-12-06 23:23:55
エンドス @los_endos_

では軽い質問をということで好きな色を尋ねられたルコント監督は、昔は大嫌いだったが今はオレンジが好きだと答えられた。オレンジの中でもアジアに多いサフランに似た色があって、それを知ってからはオレンジが好きになった。紅葉のオレンジ色も好きだとも。(21/28)

2014-12-06 23:25:06
エンドス @los_endos_

客席からの質問への回答。自作に登場した役柄で特に好きなのは、『橋の上の娘』でヴァネッサ・パラディが演じたアデル。『暮れ逢い』で冒険したことは、全編英語の劇でイギリスの俳優と初めて一緒に仕事をしたこと。英語にしたのは今の人間に通じるエモーションを伝えたいと思ったから。(22/28)

2014-12-06 23:26:21
エンドス @los_endos_

現代に生きる我々の感情にフィットする作品にしたいという思いから、今回の撮影ではオリジナルな試みをした。毎朝、俳優が現場へ到着したら、Tシャツなどの普段着のままで当日の撮影の動線を確認し、それから衣裳に着替えてもらう。物語の中の時代の衣裳ではなく、現代の服装のままで。(23/28)

2014-12-07 09:00:43
エンドス @los_endos_

→それはとても重要なことだった。現代の普段着のままで感情が伝わるなら、このシーンはきっとうまくいく。それはこれまで一度もやったことのない試みだった。この先、また時代劇や歴史物を撮ることがあれば、このエクササイズをやってみるつもりだ。(24/28)

2014-12-06 23:27:31
エンドス @los_endos_

映画はベルギーで撮影した。アラン・リックマンの起用はキャスティング・ディレクターの推薦によるもの。嫌な人物という評判を聞いていたが、ロンドンまで会いに行ったら全くそんなことはなかった。きっと彼はアメリカ映画に出る時だけ嫌な人物を演じているのかもしれない(笑)。(25/28)

2014-12-06 23:28:36