クロの恋

第一部終了。ここまでをまとめました。
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クロ @kuronokoi

いつまでそんなみっともない格好をしているのか。あれはあの日、その場しのぎであげただけのタオルなのに。「そのタオル、返せ」捨ててもいいと言っていたくせに、返せと俺が言うと、クロは眩しいものを見るような目で俺を見つめた。

2011-12-24 14:55:31
クロ @kuronokoi

立っていって部屋の隅に置いてあった袋を取る。プレゼント用でもなんでもないのに、店員が勝手にリボンまで付けている。そんなつもりじゃなかったから、俺は自分の手でバリバリ袋を破り、中身だけをクロに渡した。毛糸の帽子とマフラーは、どこにでもあるよな安物だ。

2011-12-24 14:59:50
クロ @kuronokoi

そんなに大したもんじゃないし、別に意味もない。適当にあげたヘタレたバスタオルより少しはマシだろうと思っただけだ。お揃いのマフラーと帽子には、大きなクリップの飾りが付いている。クリップの端っこには小さな鈴。指で触れると、チリチリと小さく音が鳴った。

2011-12-24 15:04:19
クロ @kuronokoi

「これはちょっと可愛らしすぎるな」男のクロにこの鈴は少々不似合いだ。俺が飾りを取ろうとすると、クロは「付けたままがいい」と言った。「ネコに鈴か?」俺が笑うと、クロも笑った。「じゃあこのまま」帽子を被り、マフラーを巻き、クロが「ありがとう」と言う。首もとの鈴も一緒にチリリと鳴った。

2011-12-24 15:09:31
クロ @kuronokoi

クリスマス寒波だとか言っているが、ただの寒い冬の日曜日だ。一瞬チラついた雪は本当に一瞬で、幻のように跡形もない。テレビはまだお祭り騒ぎで、なんだか俺まで乗せられて、ケーキのひとつでも買っときゃよかったか、なんて思ってみる。……ケーキなんて。馬鹿らしい。苦笑してチャンネルを替える。

2011-12-25 19:06:48
クロ @kuronokoi

ホトホトとドアが鳴り、なんだ本当に暇なのか? と、笑いながら腰を上げる。やっぱりケーキ買っておけばよかったと、一瞬そんな後悔が頭をよぎる。タオルは取り上げた。今日は鈴のついた帽子とマフラーだろうか。 ドアを開ける。 そこに立っていたのは、クロではなかった。

2011-12-25 19:15:38
クロ @kuronokoi

「何しに来た」俺の問いにドアの前の男はふざけたように肩をすくめ、笑う。ドアを閉めようとしたら、手で止め「なんだよ。入れてくれてもいーじゃん」と尚も笑いながら言った。「用はない」「俺があんだよ」「は?」「忘れ物」そんなものはあるはずがない。こいつの持ち物は全て送ったし、他は捨てた。

2012-01-02 21:50:51
クロ @kuronokoi

「なあ、入れろよ。寒ぃ」どうせ女に振られたか、それとも二股三股がバレて修羅場にでもなったか。どちらにしろロクなことじゃない。関わらないことに決めたのだ。「帰れ」「いいだろ、どうせ…」「これから人が来るんだ」俺が言うと、男は面白い話でも聞いたようにカハッと笑った。「嘘吐くなよ」

2012-01-02 21:58:58
クロ @kuronokoi

「嘘じゃない」「お前に会いにくる奴なんかいんの? クリスマスの夜に」からかいの言葉には棘が含まれている。自覚があるのかないのか。こいつのこんな態度に今までどれだけ傷つき、翻弄されてきたか。「じゃあさ、そいつが来るまで部屋に入れてくれよ」俺の言葉を信じていない男が笑ながら言った。

2012-01-02 22:05:52
クロ @kuronokoi

「いーじゃんちょっとくらい。誰か来るんだろ?そしたらすぐに帰るからさあ」ニヤニヤしながら男が言う。お前のところになんか誰も来やしないと、その顔が言っている。人をいたぶることが好きな男。いたぶり突き落とし、甘やかす。最悪な奴だ。部屋になんか入れない。誰も来なくても。

2012-01-03 21:41:35
クロ @kuronokoi

不意に、男の後ろから微かな音がした。風に紛れ、聞こえるか聞こえないかほどの微かな、鈴の音。はっとして男の後ろを覗くが、暗くてよく見えない。耳をすませてみるが、何も聞こえなかった。暗闇に目を凝らし「……クロ?」と呼んでみる。姿は見えないが、また微かにチリチリという音がした。

2012-01-03 21:48:11
クロ @kuronokoi

「クロ、上がってこいよ」俺の呼びかけに、タン、タン、と階段を上ってくる音が聴こえた。ドアの前に立つ男の後ろにふわ、と影が立つ。ドアを広く開け、後ろの影に来いと促す。振り返っている男の背後から、クロがスルリと音もなく入ってきた。今度は男がクロの影になって、立っていた。

2012-04-07 11:53:10
クロ @kuronokoi

玄関に入ってきたクロが振り返る。それからまた俺のほうを見た。いいの?と、問うような眼差しに、無表情のまま「上がれよ」と言った。待っていたわけじゃない。だけど、俺の口から発せられた声は、なんだかとても、嬉しそうにも聴こえ、泣きそうにも聴こえ。そんなはずはないのに、俺は慌てた。

2012-04-07 11:53:42
クロ @kuronokoi

「じゃあ、悪いけど」呆気に取られているあいつにそう言ってドアを閉める。暫く佇んだあと、階段を下りていく足音が聴こえた。小気味いい感覚。この音を、前は絞られるような痛さを持って聴いていた。クロがそんな俺の顔を覗いている。知らずに口端を上げている俺の顔は今、たぶんとても醜悪だ。

2012-04-07 11:54:08
クロ @kuronokoi

クロの前をすり抜け、下を向いたまま部屋に入る。「何してんの?上がれよ」玄関に突っ立ったままのクロに呼びかける声は、何故か尖ったものになった。台所に行き、湯を沸かす。クリスマスの夜。用意なんか何もない。来るなんて思っていなかったし、期待もしない。そんなものはとっくに捨てた。

2012-12-01 15:55:19
クロ @kuronokoi

「寒いな。雪でも降るんじゃないか?」そう言って外を見る振りをして、窓の下を確かめる。あいつの姿はなかった。アッサリ諦めて別の誰かん所に行ったのか。ざまあみろ。カーテンを閉めて振り返ると、クロが俺を見つめていた。玄関に突っ立ったまま、何かを言いたげに、そこに立っている。

2012-12-01 15:55:29
クロ @kuronokoi

「……なんだよ。なんか文句でもあんのかよ!」音を立ててカップが割れた。その目はなんだ。なにが言いたいんだよ。……今頃になって来やがって。忘れたのに。待っているうちは、一度も来なかったくせに。あんなやつ。やかんから湯気が上がり、俺は割れたカップを見つめ続けた。

2012-12-01 15:56:00
クロ @kuronokoi

不意に後ろから伸びて来た腕に抱き締められた。それはほんの一瞬で、シンクの前からのかされる。カチャ、と静かな音がして、クロが割れたカップを拾っていた。静かに、そっと、音を立てないように。まるでこれ以上何かが壊れるのを防ぐように、優しい手つきで欠片を拾っている。

2012-12-01 15:56:12
クロ @kuronokoi

狭いリビングの、小さなテーブルの上にコーヒーが置かれる。割れてしまったカップの代わりに、クロが手にしているのは湯のみになっていた。鈴の付いたマフラーと帽子と、綺麗な男。クリスマスと殺風景な部屋。黙って向かい合う無関係な二人。湯のみにコーヒー。全てがちぐはぐで、なんだか笑えた。

2012-12-02 10:42:04
クロ @kuronokoi

風が窓を叩き、ハッとして顔を上げる。戻ってきたのか。そんなはずはない。待つのはやめた。荷物も送った。カップも……割れた。もう何もない。いるはずはない。そんなやつじゃないことは知っているじゃないか。だけど外は寒い。行くあてがなくて、最後に俺のところに来たのかもしれない。

2012-12-02 10:57:46
クロ @kuronokoi

クロがじっと俺を見ている。誤魔化すように俺はカップに目を落とした。コツン、と風が窓を叩く。三度目の音を聞いて、とうとう窓を開け、街灯の下を見下ろした。期待したわけじゃない。そう言い聞かせたはずなのに、何の影も落とさないその場所を見つけ、俺はやはり、がっかりしたのだった。

2012-12-09 12:36:34
クロ @kuronokoi

チリン、と小さな音がして振り返ると、クロが立ち上がり、俺のあげたマフラーを巻いているところだった。「帰るのか?」「うん」短い会話。引き留める理由はない。クリスマスの夜も、正月の夜も、俺には関係ない。夜は夜だ。ただ帰ってきて、ここで寝るだけ。誰も来ないし、誰のことも待たない。

2012-12-09 12:37:19
クロ @kuronokoi

ああ、そういえば、本物のクロはどうしたんだろう。あのクロのことだけは待っていたような気がする。テリトリーを移し、別の場所を徘徊しているのか。居心地の良い部屋に招かれ、そこに居着いてしまったのか。ここなんかよりずっと良い所を見つけて、俺のことなんか忘れてしまったんだろうか。

2012-12-09 12:38:30
クロ @kuronokoi

「か……」 帰るな、なんていう資格はない。だってクロは俺が待っていたクロじゃない。チリ、と小さな音がして、クロの腕の中に閉じ込められた。俺の鼻先に鈴がある。こういうのは駄目だ。分かっている。さっき俺をどかした時と違い、今のこの腕には明確な意思がある。だからここから出ないと駄目だ。

2012-12-09 12:43:38
クロ @kuronokoi

風の音がする。外は寒い。今日はクリスマス。ただそれだけの理由で、俺はクロの腕の中から逃げることができない。駄目なのに。分かっているのに俺は、抱き締められた胸を押し、そこから出ることができなかった。だって、とても温かい。チリン、とまた音が鳴り、俺は黙って目を閉じた。

2012-12-09 12:45:26