- misonikomioden
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1950年代のアンフォルメル旋風でも書画・東洋的なものが結びついたが、1910年代も書画・東洋的なものが結びつき新南画として評価された
2014-12-17 21:28:03「ヘタと生」論争 山脇信徳「停車場の朝」について石井柏亭と高村光太郎の生の芸術論争。 永井荷風バーナード・リーチがモネを引き合いに褒め、伯亭は誇張、森田恒友は情景に乏しいとしたが、高村は不器用で拙いが作者の見た感じが自然の感じを出し…と下手さを賞賛した
2014-12-17 21:36:27高橋由一を見ると分かるように、油彩画はその写実性、本物そっくりであることが驚きであり、それを描けるツールであることが重要であり、写実性・技術性があること求められ、その点では日本画よりも、下手さを賞賛すること自体が事件出会ったとも言える
2014-12-17 21:38:27ニューペインティング、ヘタうまは熱い運動で、中ザワにとってそれ以上の動向はないというか、中村上の時の動向とも違う生の芸術運動という感覚があった。
2014-12-17 21:41:55高松次郎と数の宇宙(美術手帖 2004年) 高松次郎展を府中市美術館で行っていたが、むしろ国立近代美術館がやるいふさわしいはすでなでここなのか、と義憤にかられる人もおり、今年ついにそうなった。
2014-12-17 21:51:36その府中市美術館でのゲストトーク、真武真紀子さんが行う時に希望されたゲストが高島直之、もう一人が中ザワ。 当時の担当学芸員は、多様性の時代であり高松次郎について話せる人が無くがっかりしていたが、そこで中ザワ活動が適任であると思えたそうだ
2014-12-17 21:54:48点=二次元・三次元での点は意味論的に違い無し。 一本の線=意味・形態を有する。 未加工部分ある一本の杉=1であることに揺さぶり。 黒御影石=素材の単数多数の破片が揺さぶり。 形=多数から再び一つの形へエイの形
2014-12-17 22:13:01杉の単体=ブランクーシ、台座と彫刻の関係 ミケランジェロ 無彩色・単体大理石彫刻の美学。新プラトン主義者 イデア(精神)=形態(人体)。1つの大理石から1人の人物を掘り出すことがそのまま思想の現れとなる
2014-12-17 22:18:33中ザワヒデキ 変曲点のある単一曲線。 高松次郎の線、そこにダマがあるが、中ザワは内。 線に対し変曲点という多数で揺さぶりをかける
2014-12-17 22:19:42複数について 2個、3個・・・ 1に対する違反からついに回帰せず、2,と提示されることになった。 コラージュ、複合体=レンガ+キャタツ、1+1=2、揺さぶりをかけ危うく成立した状態に
2014-12-17 22:25:50フォンテーヌ・ブロー派の絵画における接続を見ると、高松次郎の複合体は性的にみえる。 またリー・ウーファンの関係項を見て、そのガラスにヒビが入る状況は情念的とも言える
2014-12-17 22:34:15音楽では、モノフォニーからポリフォニー。 生物ではシャム双生児 しかし動物は単数であり、複数はタブー。 しかし植物では接ぎ木が複数はタブーではない。 天体では二重星
2014-12-17 22:35:32高松次郎は多数を多数のまま扱う追求は持ってないかもしれないが原理を表現。多数性が色彩の快楽。 多数の画素の集合としたヴェネティア派から点描に至る色彩画系譜。
2014-12-17 22:38:47