んっ? 「愛の喜び」と「愛の悲しみ」間違えたかな。いいや、明日見直します。今夜は余力がない(苦笑)。椿の役割が面白い。彼女もまた「隙間の傍らに立つ女」を見つめる役をさせられている(冒頭の覗き込む動きは水中の運動にまで続くイメージ系の始点だろう>君嘘12
2015-01-10 07:02:42プールで、花火に照らされるかをりと亮太をみつめてお似合いだよと内心つぶやく公生をみつめる椿の構図は冒頭の補習教室と音楽室のシーンのアレンジ(カーテンをゆらすそよ風が花火に当たり、このツーショットのようなものがあれば演奏にもけじめがつくという暗示で、それがかをりと歓声の構図に結ぶ
2015-01-10 07:08:59椿‐幼公生‐俊也‐二人乗りの場面のかをりと公生(あと冒頭の練習)は、「ピアノの下で眠る子供」の系列(彼らには広い空間が与えられている。あの水中のような、身を起こす空間が。そしてピアノの前に立つ。そこでは涙を見せてはならない(紘子が発見した“隙間”、あるいは早希が見たあの眼のような
2015-01-10 07:22:33かをりはああいう彼はどっちも見てないわけだけど、見せるべきじゃないんだよな、やっぱ(かをりには見えない位置にあるのだ、どちらも。見る責任はあるにせよだ。うまい、まったく上手い>君嘘12
2015-01-10 07:28:49今月の月マガ掲載『四月は君の嘘』最新話にまたしても打ちのめされているが、「告白」の“芯”から“君”が吹きさらわれていくとして、私はどうやってその代‐変‐替‐換わりを(“私の中から”)築こう? というおよそ不可能なアナロジーの、途方もない命題が、なるほど記譜であり、演奏なのかと…。
2015-01-10 17:06:43“私が見ている”幽霊とは何か? それと並走し君をつなぎ止めようという“この演奏”とは一体何なのか? 彼女も去れば、彼も去る―ふたりを追って旅をする彼らもまた同じ問いに晒されることになる。
2015-01-10 17:12:37ドキュマンとは可能なのだろうか? 楽曲のモチーフである彼女たちはいない、私にとっての彼女など記録されえるはずもない―のだろうか? 何かが再現されようとしているのではないか? 直接の彼女ではないにしろ、間接的に、演奏家たちの彼女はどうなのか? そんな術は、あるのではないか?
2015-01-10 17:18:29誰も知らないあるものをあると記述し続けるという試みは(私が覚えているのかというあまりにもかなしい問いかけは)、アニメーションだよなあ。
2015-01-10 17:23:26うめぇ…見直してみると完璧なアバンだこれ…(「君嘘」12話二週目/参道脇のはずれで公生に早希の話をする紘子さんの場面で、参道をスクリーンに投影される親子関係は回想もふくめてどこか確かさを感じない手触りがあるが、あれは前段の公生の回想にあった改変要素同様、願望の領域のことだ、たぶん
2015-01-11 04:36:41紘子さんにはそういう幻を見る理由があるが、それがほんとうは存在しなかったものなのか? ―それを言うことができるなら、あの地上の風景なき「きらきら星」の夜空も、花火に照らされるプールも、水中の灯りも(ここのインサート部分は参道の投影の流れだろう)、あの歓声も、ない。>君嘘12
2015-01-11 04:41:15そして三池くんの憂鬱は、描かれ方がやや唐突ではあったが(紘子さんの当たりがもうちょいヒステリックなら良かったかもだが)、歓声の領域をみたことがないことにあるだろう。「隙間」から向こう側にせり出していくかのような芝居、ムーヴメントはアバンから提示されている。>君嘘12
2015-01-11 04:44:41そしてこちら側がおそらく「悲しい」の領域なのであって、「喜び」は、あの幻や歓声のように、アプリオリには存在しない―のだとしても、弾かない理由は、ほんとうはないのかもしれない。「隙間」からうっすら入るメロディが、風が、火花が、星の光線が、領域を被覆しているかのような。>君嘘12
2015-01-11 04:49:08ここにおける「悲しみ」の含意は最新号の月マガに掲載されている原作「君嘘」で、紘子さんが感じる「かなしい」まで続いている。すなわち「悲しみ」は、正確な形容・語用ではないけれど、アプリオリに存在していると客席側がついに知るのだと、まあそんなことも言えるかも知れない。>君嘘12
2015-01-11 04:52:27四月は君の嘘12話。また一人原画かよ、どうなってんだよこれw クールな顔して中身は大分アレな絵見が今日も今日とてクソ可愛かったです。#君嘘
2015-01-10 22:39:32帰り道の夜空、あの日公生が想いを巡らした「彼女と見る星空」がそこにあって、こぼれる笑みと共にきらきら星を歌いだす。重ねられるかをりの歌声、いつも多弁な言葉はこの瞬間にはいらなくて、ただ音楽を通じて共鳴するものがあるだけ。そして、それはやはり母親との記憶にも繋がるわけだ。#君嘘
2015-01-10 22:42:59死んだ者とは永遠に分かり合うことはできない。だからこそ、結局は自己完結するしかない。ただ、他者の中にいるまた別の「その人」のイメージを知ることで、虚像は変質することがある。公生にとっての「呪い」はもしかしたら「祝い」で、彼の「罰」は彼女にとって「愛」だったかもしれない。#君嘘
2015-01-10 22:46:24それを決めるのは自分自身。他者との関わり合いを通じて、少しずつ公生の内面が変革をおかしていき、紘子さんが言う様にやがて大人になる。母親からの巣立ちは、しかし彼女と鏡写しの存在であるかをりとの関係と対になる構図があって、常に連動している。#君嘘
2015-01-10 22:49:31プールでの花火のシーン、柏木さんに進路を問われたかをりの、その手に持った花火が消える。「先のことは考えていない」と答える彼女が、代わりに公生の花火を奪ってトーチのように掲げる、この一連に泣きそうになった。#君嘘
2015-01-10 22:51:44少なくとも「先ずアニメーションであることから解釈せよ」と、その態度を私は崩さなかったと思うし、そう求めないこともなかったと思っているが、そうは見えないのか?
2015-01-13 03:27:35俺が回りくどいのはちょっと言葉が過ぎるなと思っても直接肩を叩きたくなどないからだ、ずっとそうだ。知ってるはずじゃないか。それにこの作品はあのとき大きな批判の流れの中にもあった。それがたまらなかったのだ。
2015-01-13 03:37:53アニメーションとして記号的に置きなおすならここが悪いというのは、所詮はアニメーションとしてこちらが直して再提出しなければ意味ないと思っているが、語りによる再現を信じてアニメ記号をさらに要素的に語ること、それを褒めるときにこぼれ落ちるものがあるのは、許してくれよ。動体的には難しい。
2015-01-13 03:47:14