風刺とテロと特捜最前線
ガチガチの差別だったら「野郎!ぶっ殺す」となって襲っても「この異教徒めが!」ってやり返してきて殺し合いになるけど、中途半端なもんだから「表現の自由ガー」とか逃げ口上うつやろ。そんな中途半端なことの為に(便利な)表現の自由を無駄遣いすんな、と。
2015-01-12 01:29:36twitter.com/morecleanenerg… 宗教じたい全部恐い、になっちゃいましたけどね。
2015-01-12 01:34:19オウム真理教のテロを受けて「だから仏教は怖い」といい出す人はほとんどいなかったはずで、イスラム関連のテロ事件を受けてイスラム教に対して変な偏見を煽る必要はないですよね。
2015-01-08 07:05:14もっぺん書くけど、フランス文化がどうのとか表現の自由とかなんとかかんとか、知ったこっちゃねぇんだよ。自分が大事にしてるもんを馬鹿にされたら暴れる奴がいるってのは当たり前だ、っちゅう話だ。そういう畜生相手に「諷刺だから許せ」とか云っても仕方ねぇだろ。
2015-01-12 01:46:45相手のこと人だと思うんだったら最低限相手の大事にしてるもんを馬鹿にすんな、相手を畜生だと思うなら理窟が通じると思うな、っちゅうとんねん。
2015-01-12 01:48:33御坊の意見はやっぱり特捜最前線だと思うんだよね。犯罪を犯す側のロジック。犯罪を犯す側には割と無理もない事情があるし、人として許されない行為に対する憤りが動機の犯罪もある。そこは坊さんとして掬い上げるべきだろうけど、俗世のほうは「まあでも人殺しはいかんよね」って言うべきなんだろう。
2015-01-12 04:42:00「こいつらこんなヒドイことをしたんだから怒っても仕方ないよね、やっぱりぶっ殺しちゃうよね」ってのが人情として仕方ない場面ってあるんだよな。でもまあ、聖俗の俗の側に生きている人間は「それでも人殺しはダメだ」って言わないといけないんだと思うよ。
2015-01-12 04:44:29俗世のロジックでは、どんな腹に据えかねる行為をされても、その報復として人を殺してはいかんのよ。どんな不愉快な言説でも暴力で黙らせてはいかんのよ。でも、そう謂うやり場のない怒りが暴力に結び附くことは誰でも理解出来る。そこを慰藉するのが宗教の役割なんだろうね。
2015-01-12 04:47:39でも、そこで「如何なる事情があろうが」って捨象されちゃった無理もない感情ってどうでも好いことなのかと言ったら、人間の現実ではそれはどうでも好いことでも何でもないよね。そこの落とし所が必要だから宗教があるんだろうと思う。
2015-01-12 04:50:57人としての最低限の尊厳を踏みにじられて、それに対して政治的に対抗出来るほどの力もないものが、その怒りを暴力の形で叩き付けたことがそんなに許されないのかって言われたら、まあ社会的な文脈では許されないって言わざるを得ない。それを許せるのは宗教的な文脈だけなんだよな。
2015-01-12 04:53:39宗教的な文脈で許すってことは、社会的な文脈ではあんまり意味がないんだ。でも、個人の救済の文脈では意味があるだろう。そう謂う関係なんだよな。
2015-01-12 04:54:49「言論の自由」って、要するに「剣を持って殺し合うな。殺し合うならせめて言葉でやれ」って意味でしかないんだと思うし、それはそれで人間の知恵なんだと思う。
2015-01-12 05:06:12そこで「どんなに相手の言葉が許し難かったとしても、剣を持って殺したらおまえの負けだし、社会はそれを許容しない」って話なんだと思うんだよね。
2015-01-12 05:07:46何故なら、剣を持っての殺し合いには「勝ったほうが正しい」と謂う判定しか下しようがないし、人間は正しさの判定においてその原理を放棄したからそれを許さないんだと思うよ。
2015-01-12 05:10:28社会秩序の側が絶対的な線を引かざるを得ないのだとしたら、それは「真の諷刺であるかないか」じゃないんだよね。現実の暴力であるかないかしかない。そこはもう、絶対的な防衛ラインなんだよ。
2015-01-12 05:13:13御坊の意見も理解出来るが、ある個人にとって絶対的に許し難い行為なんてのは人によって違うんだよ。高々「面子潰された」程度のことでも許せないと謂う立場の人だって幾らでもいるし、置かれた状況によってはそれは無理もないことでもあるんだ。
2015-01-12 05:17:09個人の価値観の多様性を許容する立場からすれば、だからこそ「個人にとって許し難い行為が行われた」と謂う事情を以て暴力の行使を許容することは一律に禁じられると謂うのが俗世のロジックなんだね。
2015-01-12 05:18:50