千野帽子の異見と訂正と被害者意識について

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千野 帽子3月4日共著TOKYO MACHオンラインイヴェント @chinoboshka

さっきのこれ(twitter.com/chinoboshka/st…)に至る一連の引用は女性への要求ではなくただの分析だと思う。読んで「ひ弱な男が女に理想を要求されても困る」と反論する人がいたとしたらその人が男に理想を要求しているだけだ。

2015-02-07 13:51:54
千野 帽子3月4日共著TOKYO MACHオンラインイヴェント @chinoboshka

「女は世の中のルールがわかってない」と嘲笑する男と、「男は現実を見ていない」と嘲笑する女は、嘲笑せざるを得なくなるほどに余裕を失っている点でそっくりだ。惨めったらしい。仕事であれ私事であれ、そういう男女に会ったら反論しないで帰る。その人の乗ってる土俵に乗るだけ無駄だ。

2015-02-07 14:00:02
千野 帽子3月4日共著TOKYO MACHオンラインイヴェント @chinoboshka

嘲笑する人が言う「世の中のルール」とか「現実」って、所詮その人が目の前の「ものの感じかたが違う人」にたいして勝利宣言するために持ち出す自我防衛呪文だ。業務遂行や楽しく過ごすといった当初の「目的を果たす」ことより目先の「自分の優位を確認する」ことを優先する人につき合う時間はない。

2015-02-07 14:08:05
千野 帽子3月4日共著TOKYO MACHオンラインイヴェント @chinoboshka

「えー、でもここが違うよ」とわざわざ「訂正」しなければならないことは世の中には意外に少ない。異見に接して「そこの見解が違ってても自分たちの共同作業に支障はない」と思えないときは、自分の自我が肥大して余裕がなくなってるとき。気をつける。「譲れないこと」が多いほど人は弱い。

2015-02-07 14:13:45
千野 帽子3月4日共著TOKYO MACHオンラインイヴェント @chinoboshka

むかしはここのところがわからなくて、どっちでもいいことをいちいち「訂正」してた。自我が肥大していて、打たれ弱かったわけです。いまはたいていの異論は「そうですか」で終えて話題を変えられる。

2015-02-07 14:17:01
千野 帽子3月4日共著TOKYO MACHオンラインイヴェント @chinoboshka

被害者意識が旺盛だった(そしてその自覚がなかった)ときは、同じく被害者意識を持った人と押し問答になってた。いまはなにか発言する前に「自分は被害者として語ろうとしてないか? 被害者だから語る権利があると思ってないか?」と自問する。被害者意識が自覚できたら発言しない。

2015-02-07 14:21:29
千野 帽子3月4日共著TOKYO MACHオンラインイヴェント @chinoboshka

また、被害者意識から発言している人を見たら(その自覚の有無にかかわらず)、どんなに間違ったことを言ってても反論しない。かつての自分のように、その人にはなにも通じない可能が高い。弱ってて余裕がなくて、つよがるしかできない人だから。

2015-02-07 14:25:22
千野 帽子3月4日共著TOKYO MACHオンラインイヴェント @chinoboshka

この「反論・訂正しない」、という自己ルールの難しさの最大のポイントは、他人に要求できない自分一個のルールであるということ。相手がどんなに間違っていても反論してきても、相手に被害者意識がみえたら自分側は意見を表明しないという掟は、つい破ることがいまもある。

2015-02-07 14:39:03
千野 帽子3月4日共著TOKYO MACHオンラインイヴェント @chinoboshka

それでなにが変わったかというと、相手から被害者意識が立ち上ってこないときだけ反論するようにしたのと、あと、賛同の意はサボらずに表明するようにした。

2015-02-07 14:41:35