宮廷歌手小森輝彦さんのツイートまとめ第5回「オペラ「沈黙」長崎公演記録2」

日本人初ドイツ宮廷歌手小森輝彦さんのツイートまとめです。
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小森輝彦 Teruhiko Komori @TeruhikoKomori

強風で羽田空港が混雑、遅れて到着しましたが、無事に降り立ちました。これでオペラ「沈黙」長崎公演の旅程が終わる。数日の旅でしたが、大きく、重いものを受け取った度だったように思います。この受け取ったものを自分の中で育てて、6月の本公演に再び持ち寄りたいと思う。

2015-02-15 21:42:16
小森輝彦 Teruhiko Komori @TeruhikoKomori

今日の長崎での公演、不遜かと思いつつスタッフにお願いをして、1幕は客席で聞かせて頂きました。新国立劇場では出来ないこと。恐らくメイクに入らなくちゃいけないし。 幸い僕の役は2幕開始後しばらくしての登場なので、1幕を客席で過ごしても大丈夫。何よりこの仲間達の歌を客席で聴きたかった。

2015-02-15 21:44:54
小森輝彦 Teruhiko Komori @TeruhikoKomori

すさまじいオペラだ、と思った。1幕始まってすぐに、これはただ事ではない事件に立ち会っている、と言う思いがあった。もちろん、たかがオペラ、たかが舞台です。されどオペラ、されど舞台。〈栗山先生の受け売り〉 この長崎の地で、この土地の人達の苦悩と受難を舞台で繰り返す意義とは。

2015-02-15 21:46:21
小森輝彦 Teruhiko Komori @TeruhikoKomori

今日の長崎公演、演奏会形式でしたが字幕が付き、出演者の衣装も燕尾服でそろえるのではなく、ダークスーツというドレスコードでそれぞれがチーフなどで工夫をしていた。 字幕には、演技の様子をト書きとして伝える役割もあった。

2015-02-15 21:49:18
小森輝彦 Teruhiko Komori @TeruhikoKomori

字幕が伝える、歌詞以外の部分は大事だし効果的だった。 例えば1幕終わりでキチジローの密告によってロドリゴが捉えられるシーン。あの効果的なオーケストラのモチーフの反復と懺悔だけでない異様な緊張感は、ロドリゴを捕らえようと迫ってくる者達の姿がないと了解出来ない。

2015-02-15 21:53:40
小森輝彦 Teruhiko Komori @TeruhikoKomori

昨日見たGPと今日の本番では、字幕のそういったト書き、演技の解説の部分が少し変更になっていたところがあった。演奏会形式なのにわざわざ長崎入りして見守った演出家の宮田慶子さんの判断で繊細な変更を施したのではないだろうか。ブラボー。 宮田さんとは仙台、新国立劇場での「遠い帆」以来。

2015-02-15 21:55:50
小森輝彦 Teruhiko Komori @TeruhikoKomori

宮田さんは三善晃先生のオペラ「遠い帆」では総監督という立場で関わっておられた。僕は文化庁オペラ研修所の研修生時代に、栗山昌良先生のアシスタントとしての宮田恵子さんとご一緒している。その宮田さんは今、新国立劇場の演劇芸術監督。考えれば23年経っている。いやいや。

2015-02-15 21:58:17
小森輝彦 Teruhiko Komori @TeruhikoKomori

GPのあとや終演後に宮田さんと少しお話しして「遠藤周作先生がらみの作品が続いているんです」という話になった。オペラ「遠い帆」は遠藤周作さんの作品ではないが、演出の岩田達宗さんの演出コンセプトとして、同じ支倉常長を扱った小節「侍」での支倉の立ち位置というのがあった。

2015-02-15 21:59:55
小森輝彦 Teruhiko Komori @TeruhikoKomori

宮田さんとお話し出来て良かったのは、実は今回、フェレイラを演じるにあたって、台本と音楽のなかで、自分の立ち位置をどこに置くのか、決めかねる部分があったから。そこで今回僕が思いきって出してみたフェレイラの方向性が、宮田さんの演出コンセプトと合致するのか。それをずっと考えていたのです

2015-02-15 22:01:43
小森輝彦 Teruhiko Komori @TeruhikoKomori

今日は具体的にフェレイラの役作りについて書くのは控えます。もうちょっと寝かせたい。 忸怩たる部分と、「愛のために転ぶであろうキリスト」の姿をどこまでフェレイラが自分の心に描き得たのかと言う部分、そして若い宗教者として短い人生を生ききったキリストの熱、とかそういう所で悩んでます。

2015-02-15 22:04:41
小森輝彦 Teruhiko Komori @TeruhikoKomori

今日の公演のことに戻る。 字幕に触れたのはこのため。踏み絵のシーンで、じさまが踏めずに拝んでしまう、というト書きを見て、グッとなった。「字幕見てグッとなったの?」と自分に突っ込んだりして。でも事実。何故だろう?と考える。

2015-02-15 22:07:27
小森輝彦 Teruhiko Komori @TeruhikoKomori

松村サウンドが踏み絵のシーンを現代の長崎に現出させ、長崎ブリックホールは踏み絵を見守る人々で埋まっている。そしてじさまはそこで演技はしていなくても、第4場で大森いちえいさんの声で心に迫ったじさまの姿は、我々の脳裏に残っている。 そのじさまが踏めずに拝んでしまったから、グッときた

2015-02-15 23:04:00
小森輝彦 Teruhiko Komori @TeruhikoKomori

僕は、自分の心がそこに何を見たのだろう、と考えた。 ひとの「信じる力」をそこに見て感動したのじゃないだろうか、と今は思います。このオペラはその力に満ちている、と言えます。 あるいは、その信じる力が余りに強い人達の苦悩とも言えるし、その強さが揺らいだときの葛藤とも言える。

2015-02-15 23:06:41
小森輝彦 Teruhiko Komori @TeruhikoKomori

モキチが、死に瀕しながらも「参ろうよなぁ、参ろう」と歌う、そこにも「信じる力」がある。そこに打たれるのではないだろうか。 「きこえるとるぞぉ」とさけぶ村人も、そのモキチの「信じる力」に答えようとするのだと思います。 人間ってすごいですね、と思いました。

2015-02-15 23:10:24