黒い羽の蝶

熟年夫婦の話です。
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水谷なっぱ @nappa_fake

社会人を終えて家へと帰る。長い務め人生活だった。だがそれも今日で終わり。定年退職した今日、妻はどんな顔で私を出迎えてくれるだろうか。息子や娘たちもなにか声をかけてくれると嬉しいのだが。そこまでは期待できないだろうか。せっかくなら息子と語り明かしたいものだ。 #黒い羽の蝶

2015-02-19 21:35:30
水谷なっぱ @nappa_fake

「ただいま」『おかえりなさい、あなた。お勤めご苦労様でした』「ありがとう。明日からはすることがなくなってしまったよ」『なら趣味に生きればいいじゃない。バイトをしたっていいわ。あなたは自由なのよ』「でもせっかくならきみと過ごしたいね」 #黒い羽の蝶

2015-02-20 21:52:14
水谷なっぱ @nappa_fake

妻の笑顔が一瞬強張り真顔になった。そしてそれが手渡された。…これは、ドラマとかで見たことがある。いわゆる"離婚届"というものではないのか?なぜ?どういうことだ?意味がわからなくて、頭が真っ白になり、言葉が出ない。一体彼女はどういうつもりなんだ? #黒い羽の蝶

2015-02-21 08:31:55
水谷なっぱ @nappa_fake

わたしは今まで良き妻でいようと努力を続けてきた。夫を立てて、居心地のいい家庭を作る。子どもたちにもよき母であろうと、褒めるときは褒め怒るときは怒り必死にやってきた。だからもういいんじゃないかしら。老後ぐらい、一人で好きなことをしてもいいんじゃないかしら。 #黒い羽の蝶

2015-02-22 21:31:14
水谷なっぱ @nappa_fake

「なんで、こんな、急に…?」『急なんかじゃないわ。これが、今まであなたと続けてきた生活の答えよ』「もう夫婦生活は続けられないと?」『ずっとあなたのために、子どもたちのために生きてきたわ。だから老後は一人で静かに暮らしたいの』「そんな…」 #黒い羽の蝶

2015-02-23 21:18:32
水谷なっぱ @nappa_fake

妻の決意は固いようだった。妻は何かをやると決めたら貫き通す。私がこれ以上何を言っても無駄だろう。でも。だからといって諦めたくない。一人きりで寂しく老後を過ごすために働き続けてきたわけじゃない。彼女と共にこれからも歩んでいきたいのだ。 #黒い羽の蝶

2015-02-24 21:16:25
水谷なっぱ @nappa_fake

「少し考えさせてくれ」そう言って話を打ち切った。妻はそれを了承し夕飯を出してくれる。何と言ったら彼女は考え直してくれるのだろう。どうやって彼女を説得しよう。彼女は本当に私と別れて一人で生きる道を選ぶのだろうか?それが彼女のしたいことなのか? #黒い羽の蝶

2015-02-25 21:31:14
水谷なっぱ @nappa_fake

数日後、久しぶりに友人と食事に行った。「最近どうだ?」「バイトを始めてね。新しいことにチャレンジするというのはいいものだ。そっちは?」「実は…妻に離婚を申し渡された」私は友人に事情を話す。友人は神妙な顔で話を最後まで聞いてくれた。 #黒い羽の蝶

2015-02-26 21:23:07
水谷なっぱ @nappa_fake

「嫁さん、本気なんだな」「ああ、そのようだ」「一人で自由に、か。それは結構堪えるな。だがいつまでも引き伸ばすわけにもいくまい?まさか浮気とかはしてないんだろ?」「お互いにそのようなことはないはずだ。私は彼女に何と言って引き止めればいいのだろうな」 #黒い羽の蝶

2015-02-27 21:05:56
水谷なっぱ @nappa_fake

友人から有益なアドバイスは得られなかった。妻が本気であるならそれに従うしかないのでは、とのことだ。そうだろうな。今の私は彼女の足を引っ張る存在でしかない。ならば手を離して、彼女を自由にさせてやることが私に出来る最後のことではないだろうか。 #黒い羽の蝶

2015-02-28 22:16:32
水谷なっぱ @nappa_fake

毎晩のように昔のことを思い出すようになった。花見をしたときのこと。美しく舞い散る桜吹雪。歓声を上げる子供達。でも、ひとつだけそこには足りないものがある。遊園地に行ったこと。青い空の下、コースターに乗ってみんなで笑い合う。やはりそこにも足りないものがあった。 #黒い羽の蝶

2015-03-01 21:18:32
水谷なっぱ @nappa_fake

「決めたよ。離婚しよう」『そう、助かったわ。わがままを言ってごめんなさい。でも譲れないの』「わかっているさ。子どもたちもとっくに家を出ているし私にはきみを引き止める言葉は見つからなかった。だからさようならだ」『子どもたちには私から連絡しておくわ。今までありがとう』 #黒い羽の蝶

2015-03-02 21:25:13
水谷なっぱ @nappa_fake

翌朝、朝一で市役所に離婚届を出しに行った。数日後、財産分与をして妻は、いや彼女は出て行った。私の手元に残ったのは多額の貯金と、数枚の家族写真、それに家だけだった。私は今まで何のために働いてきたのだろう。寂しくて、悲しくて、胸が引き裂けそうだ。 #黒い羽の蝶

2015-03-03 22:32:02
水谷なっぱ @nappa_fake

結局のところ、彼女は常によい妻であろうとしてくれていたけれど、私はそれに応えられていなかったのだろう。そのつけが今回ってきたのだ。私は友人の紹介でバイトを始めた。子どもたちもたまに孫を連れて遊びに来てくれる。いつかまた彼女と笑いあえるまで歩き続けるとしよう。 #黒い羽の蝶

2015-03-04 23:09:35