あと1話アバンの人形劇への回帰。魔王と戦うのではなく話をする勇者。神樹様とか勇者とか魔王とか障害者とか、特別視して怖がったり崇め奉ったりと距離をとるとろくなことにならないし寂しいから、普通に接しろ、話をしろ、友達になろ、みたいな。そういうなんでもない話なんじゃないかって>ゆゆゆ
2014-12-25 00:38:441人じゃどうしようもないことも2人ならどうにかなることもあるし、2人だけじゃ行き詰まることも3人寄れば文殊の知恵で道が拓けたりもする。個人じゃ出来ないことも、個々人が寄り集まった団体や場でなら出来ることもあるし、そこが拠り所になったりもする。
2014-12-25 01:33:23勇者部っていうのはそういうアレで、それはなんかすごくタカヒロさんぽい、らしい感じのソレで。んでもって、大赦っていうのは、行き過ぎた勇者部なんだろうなぁ、みたいな。
2014-12-25 01:34:40アナザーていうか、そうなってはいけない勇者部の未来なんだと思う>大赦 神樹様と大赦って、藤堂さん(或いは友奈。特別な誰か)と勇者部の対比で、彼女らがそうなってはいけない関係なんだと思う。巧く言えないけれど。
2014-12-25 01:41:29神樹様を崇め奉るのって、人類の感謝や善意なんだろうけれど、それって間違いなんじゃないの…? って、崇め奉られてる園子を見てると思うんだよもん。東郷さんも巫女の資質あって声が聞けるというなら、まず普通にお話しようよ。いやできないんだっけか…?
2014-12-25 01:48:03「神は確かに存在するわ。大昔、人間と神々は助け合っていたの。でも、聖書とコーランは神を「ひとりぼっち」にしてしまったわ。だから彼は気が狂ってしまったの。たった一人で「完全な存在」になろうとして。そして最近では、誰も彼の言うことを聞こうとはしなくなったわ」(毎度の『EDEN』2巻)
2014-12-25 01:54:32我々の界隈では「勇者」というのは、地方イベントのマイナーサークルのスペースに1人で乗り込んできて、これを買う為に今日は来ましたとか言って、物怖じせずに(いや物怖じはしてたかもしれない)ガンガン突っ込んできて、そのままお友達になってしまったような人のことだったりもするのですが、
2014-12-25 02:02:28東郷さんや夏凛ちゃんに物怖じせずにガンガン突っ込んでいってお友達になってしまう、正直いろんな意味でとっつきにくい彼女らを特別な誰かやナニカに「ひとりぼっち」にしなかった結城友奈というのは、なるほどその意味でも勇者であるな、と個人的に凄く納得をしているのです。
2014-12-25 02:07:17『ゆゆゆ』の1話。東郷さんは「今すぐ私を置いて逃げて!」って友奈に叫ぶんだよね。「友奈ちゃん助けて!」ではなく。普段、友奈の介添えを自然に受け入れているように見えるけれど、けしてそれが当然だと思っているわけでも、依存しているわけでもないのがわかる。負い目を感じていただろうことも。
2014-12-25 14:28:30友奈は友奈で、誰かが傷つくくらいなら自分が頑張るって変身する。自然なようで正しいようで、どこか不自然でおかしい2人の決意。助ける側と助けられる側の関係性に凄く真摯だな、て思う。
2014-12-25 14:48:22弱肉強食という理を受け入れるなら、自分が弱くて死ぬこと自体は受け入れられるのだよね。寧ろ、弱いのに生きているという状態のことの方が受け入れ難い。強さ、或いは生きている意味や価値に強迫観念的に囚われ、でもそれを得られない、見出だせないとなったときに罪悪感を覚え、死を志向してしまう。
2014-12-25 16:02:32弱肉強食的な思想に囚われ且つ自己評価の低い、自分は弱くて生きる価値や意味がないんだと、生きることに罪悪感を覚えている人達は、誰かに助けられることや生かされるということも耐え難い。剰え、自分より強いと、優れていると、意味や価値があると思っている相手に生を譲られることは受け入れ難い。
2014-12-25 16:09:09生きることや生かされること、何かや誰かに助けられることに意味や価値が必要だって、考えるのはいいけど、それに強迫観念を覚えてるのはなんか違うよ、辛すぎるよ…って思う。
2014-12-25 16:16:33ここら辺の話。弱肉強食の理に則り、強い方、優れた方が生き残るべきだと考えるならば、強い側が弱い側に生を譲るという行為は全く意味がわからないし、弱肉強食の理に対し不正を働いてしまった罪悪感や、譲った側以上に自分が強くならなければならないというプレッシャーに常に晒されることになる。
2014-12-25 16:36:30生きることに資格や強さや意味や価値が必要で、且つ自分はそれを持ってないのに生かされてると思い込んで、罪悪感とか覚えながら生きてる人間にとって、自分の死に意味や価値があると伝えられることはほんと願ったり叶ったりで、献身による自己犠牲なんて、喜んで自らしてしまうんだよ。クソなことに。
2014-12-25 17:03:52「自分がそう思うってことは、相手もそう思うってこと」 「自分がそうするっていうことは、相手もそうするっていうこと」 そういう理解と信頼と、ある種の諦め?がある関係。 「自分を置いて逃げて」と言う東郷さんと、出来ないと言いかけ口ごもる友奈。逆の立場なら自分も多分そう言うと思うから?
2014-12-25 20:30:07友達だから自分を置いて逃げて欲しい、友達だからそんなこと出来ない。このままじゃ動けないまま2人とも死ぬ。その状況を変える為に結城友奈は勇者になる。友達だっていうだけじゃ出来ない、足りないことを為す為に。
2014-12-25 20:33:51『ゆゆゆ』の勇者部の善さをどうにかして表現したいのだけれど巧く言葉にできない。正しくあろう、ではなく、善くあろうとする意志、とでも言えばいいんだろうか? 正しくなくても、間違っても、理不尽なことがあっても、曲がっても、歪んでも、折れずに戻ろう、真っ直ぐにあろうとするような意志?
2014-12-25 21:02:27綺麗に死ぬのと汚く生にしがみつくのとどっちがいいか、なんて極端な二者択一に逃げることなく、ただ当たり前に生きていこうとしてるだけなとこに惹かれてる…のかな。神樹様が世界を戦時体制とか効率重視の過去とか未来とか楽園ではなく、只の現代(?)日本にしてた理由、なんとなく分かる気がする。
2014-12-25 21:18:59『ゆゆゆ』のOPの最後、「生きて」って、ただそれだけの呼びかけなのが凄くいいなーと思って。「戦え」とか「勝て」とか「神話になれ」とか、何かを為せとか果たせとか何者かになれとかじゃなく、ただ「生きて」ってのがいいなって。守りたい人に願うのって、結局それだけだしね…っていうか。
2014-12-25 21:35:33