『ゆゆゆ』11話を見た後の呟き

タイトル通り。備忘録として。
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雪見バーガー @H926

『ゆゆゆ』は、風先輩にしても東郷さんにしても、彼女らが世界に対してキレるのは、世界の有り様がクソだからでも、自分の運命や未来に悲観したからでもなくて、大事な人にひどい仕打ちをしたからであって、自分が苦しむだけなら東郷さん実際言ってたけど、それは受け入れるんよね。園子にしてもそう。

2014-12-24 00:25:18
雪見バーガー @H926

友奈も樹ちゃんも、自分の身に起こったことは辛いし、これからのことも悲観してないわけではないし恐怖も覚えるけど、でもそれは受け入れられるんだよね。受け入れるしか無いとも言えるけど。それは苦難かもしれないけれど、必ずしも不幸ではない。それは物語の最初から、東郷さんの姿で示されている。

2014-12-24 00:31:00
雪見バーガー @H926

勇者として戦って、満開して、散華して、身体機能を失った、五体満足とはいえない女の子の姿っていうのは、『ゆゆゆ』には最初から描かれている。ではその女の子、足の不自由な東郷さんは不幸だったのでしょうか? 自分の人生や未来に悲観し、笑えない日々を過ごしていたのでしょうか?

2014-12-24 00:43:47
雪見バーガー @H926

自分と違って普通に立って走れる友奈と一緒にいて、勇者部のみんなと一緒に活動して、東郷さんは不幸だったでしょうか。身体的に出来ないことに劣等感とか覚えて辛そうにしていたでしょうか。そのように描かれていたでしょうか。

2014-12-24 00:48:02
雪見バーガー @H926

東郷さんと園子の違いっていうのは、身体欠損の度合いじゃなくて、友達が傍にいたかいないかで。友奈や勇者部の皆という友達が傍にいた東郷さんと、自分を崇め奉る大人に囲まれて、わっしーという会いたい友達1人にすら会わせて貰えずにいた園子の違い。

2014-12-24 00:55:51
雪見バーガー @H926

その上で、他の誰でもない東郷さんが、勇者部の皆が自分のように身体機能を喪うことに憤りや恐怖を感じて、世界に、神樹様に叛逆するっていうのが、重いのですね。東郷さんが受け入れたそれはけして絶対的な不幸ではないけれど、それは友奈がいたからこそであるし、望んで受け入れたものでもないし。

2014-12-24 01:02:19
雪見バーガー @H926

身体機能を喪って生きていくことを許せないことだ不幸だと東郷さんが断じるというのは、重いんだよ。だってそれは、そうなった後で生きていた自分を、友奈や勇者部の皆と笑い合ってた日々も含めて、幸せではなかったと否定することにも繋がるんだもの。

2014-12-24 01:10:12
雪見バーガー @H926

許そうと許すまいと世界はそこにあって、降りかかった理不尽はもう覆ることはなくて、だから受け入れるしかなくて。でも許すか許さないかと受け入れるか受け入れないは別の話で。生涯許さないままに、でもそれが在ることは受け入れて生きていくというのは、けして不可能なことではないと思うのですよ。

2014-12-24 01:25:52
雪見バーガー @H926

話が逸れていっている。…まぁいいや風呂ろう。

2014-12-24 01:28:15
雪見バーガー @H926

言葉や顔に出さないからって、苦しくも辛くも怖くもないわけないじゃん…。東郷さんが友奈や皆にこれ以上傷付いて欲しくないというのは、それ以上の散華を経験した自分を基準にしたからで、自分のような苦しみ(例えば、大切な友達のことを忘れてしまうこと)を味合わせたくないと思ったからでしょう?

2014-12-24 02:05:52
雪見バーガー @H926

つまり東郷さんは、勇者部で笑い合った日々を踏まえた上で絶望したのだし、絶望を知った上で笑ってもいたんだと、思うわけで。樹ちゃんだってそう。樹ちゃんの場合は、風先輩が、お姉ちゃんが自分の為に泣いたり怒ったりしてくれたからこそ自分は笑うのであり。…絶望しなかったわけ、ないじゃん。

2014-12-24 02:13:05
雪見バーガー @H926

周到な構成と演出は、テキストなら()内に書くだけで、台詞で言わせるだけで済む心情を、直接的な言葉――ではないもので窺い知れるように描いた結果でもあって、それは映像という媒体にバッチりハマっていたように思います>ゆゆゆ

2014-12-24 02:24:55
雪見バーガー @H926

『ゆゆゆ』の勇者達の自己犠牲の容易さっていうのは、自分に価値や意味を見出していないから安易にそれを生み出すそれに飛びついている…わけではなくて、単に目的の為の手段として自己犠牲的な手法があって、何を差し置いても果たしたい目的があって、且つ手段がそれしかないから躊躇わないだけだよ。

2014-12-24 02:35:21
雪見バーガー @H926

SFというジャンルの面白さや凄さというのは、例えば人類が滅んだ後の世界を描けるということだ、という話がありますが、そういうSF設定を用いても、描いているのが遙かなる未来や宇宙の果てや真理なんて壮大なものではなく、凄くミニマムな、今ここにある、普遍的な人の物語というのも割とあって。

2014-12-24 22:40:50
雪見バーガー @H926

『ゆゆゆ』で描かれているのは後者の、凄くミニマムな、どこにでもある、割とありふれた人と人との物語なんだろうなぁというのを感じてます。

2014-12-24 22:46:15
雪見バーガー @H926

例えばそれは障害者と健常者の関係。車椅子の東郷さんに普通に話しかけて友達になった友奈や一緒に活動する勇者部の面々と、崇め奉られ、距離を置かれ、腫れ物に触るように扱われる園子との対比。園子≒神樹様と大赦というのは、東郷さんと勇者部の対比であり、大赦はアナザー勇者部なんだと思うし。

2014-12-24 22:59:45
雪見バーガー @H926

東郷さんや園子は身体障害を抱えているから不幸なんじゃないし、環境や周りの人間次第では健常者の中でも当たり前のように生きていけるし、笑えもする。でも障害自体は消えないし、個性だなんだ、スティグマだなんだって言い繕ったところで障害は障害で、障害を持つことはけして望ましいことではない。

2014-12-24 23:26:45
雪見バーガー @H926

満開と散華が示すのはそういうことで、21の障害と引き換えに21の精霊という個性や力を得ることは園子が望んだ幸せな結末ではないし、 他人が、好きな友達が自分と同じように障害を得ることがよいことだなんて、東郷さんには思えない。障害者であることは不幸ではないけれど、障害は、障害なんだ。

2014-12-24 23:38:02
雪見バーガー @H926

例えば、友奈と東郷さんの、介添えするものとされるものの関係。彼女等は対等な関係であり親友である筈だけれど、1話において、土壇場で東郷さんは自分が文字通り足手まといであることと、そこに覚えている卑下を自覚する。友奈が命を懸けて東郷さんを守るのは、東郷さんが友達だからってだけなのに。

2014-12-24 23:52:51
雪見バーガー @H926

大好きな友達が困っていたら助ける。自分ならそうするし、自分が困っていたら友達は同じように助けるだろう。だから友奈は東郷さんを勇者部を助けるために戦うのも満開するのも躊躇わないし(いや躊躇わなかったわけではないけれど)、夏凜がそうするのも止められない。自分だってそうするのだから。

2014-12-25 00:05:30
雪見バーガー @H926

友達とはそういうものだという認識を夏凜と確認した上で、東郷さんがそういう認識ではない、そういう関係を築けていなかった、だからああいう行動に出たんだということに思い当たるからこそ、友達として、本当の友達になるために友奈は東郷さんと対峙するんだ。多分したことのない、喧嘩をするために。

2014-12-25 00:24:49
雪見バーガー @H926

なんつーか、結局のところ、余計なこと考えすぎて、気を使いあって、喧嘩もしたことなかった、でも仲のいい、好きあってる友達同士が、初めて喧嘩して、腹の内をさらけ出し合って、名実ともに親友になるってだけの話のよーな気もするのですね>友奈と東郷さん んで、ようやく下の名前を呼ぶ、とか。

2014-12-25 00:30:48