それが正しいとも間違っているとも言わず、結果として善くなったとも悪くなったとも示さず、人が前に進んでいくことの是非も示さず、しかしそれによって人は前に進んできたし、これからも進んでいくのだけは確かだと示す、そういうような作品だと思いますね。その上でどうするかは視聴者の判断に任す。
2015-03-06 15:00:31「生きろ。」とか「『それでも』と言い続けろ」とか命令するのでも願うのでもなく、「君は生き延びることが出来るか?」、「それでも、『それでも』と言い続けるか?」 っていうような問い掛け。どこか挑発的なものも含みつつの。
2015-03-06 15:13:22「頼まれなくたって、生きてやる。」の人ですからね。残せるものは残していくけれど、それに負債が含まれていることもわかっているし、頼まないし、託さないのですよ。きっと。
2015-03-06 15:22:17『Gのレコンギスタ』はその世界観の提示が目的の1つだと思うのだけれど、それを見せていくのが、作られた本来の目的は目的、託した親や故郷の人達の思惑は思惑として、自分たちの思うようにG‐セルフを使うベルリの物語であるというのは、提示したものは好きに使えってことなのかな、とも思う。
2015-03-06 23:45:01往人さんの母君のことを思い出すなどしていた。 「これをどう使うかは、あなたの自由」 「ただお金を稼ぐためだけに、人形を動かしてもいい」 「旅をやめてしまってもいい。人形を捨ててしまってもいい」 「空にいる女の子のことは、忘れて生きていってもいい」
2015-03-07 00:01:52「あなたには自分の意志で道を決めて欲しいから…。」 「わたしはあなたにそれを強要はしたくないの」 「あなたはあなたの幸せを見つけて」 「ひとは自分の幸せを見つけるために生きているんだから」
2015-03-07 00:03:28なので、『Gのレコンギスタ』は、作品の意味やら製作者の意図やらを知るのは第一段階で(極端な話そこは無視してもよくて)、それを視た人たちがどう使っていくか、どう活かしていくかが本題なんだろうなぁ、みたいなことは考える。
2015-03-07 00:15:47師匠の教えをちゃんと理解してそれを守ってそこから一歩も出ていかない弟子と、教えの理解度は低いけれど、その誤解から師匠の想定の先のことまでやってみせてしまう弟子がいるとして、師匠はどっちが可愛いだろう。人によるだろうし、理解した上で尚それを超えていく弟子が一番可愛いだろうけれど。
2015-03-09 11:13:45「やはりよい文芸評論というのは作家に、本人も気付かなかったような無意識の意図を喚起させ、新たなテーマを見つけて書く気を起こさせるようなものでなくてはならない」と筒井康隆は言っているけれど、作者の想定を完璧に理解した批評と、無意識の意図を喚起させてくれる批評はどちらが嬉しいだろう。
2015-03-09 11:22:00『UC』とか種って、『機動戦士ガンダム』の批評としては的を射ていない部分が多々あって、濃いガノタや富野監督からすれば「わかってない」作品だと思うんだけど、でも「本人も気付かなかったような無意識の意図を喚起させ、新たなテーマを見つけて書く気を起こさせる」ものだったとは思うのだよね。
2015-03-09 11:34:07それはきっと意図的なものではなく、ただ単に正当に解釈しようとした時に溢れ出た歪みの部分だったとは思うのだけれど。 「王道や正統・常識をごく当たり前に解釈して描こうとした時に、その人が持っている勘違いや歪みのせいで、常人とは違う解釈をしてしまう異形の部分。それを個性と言うんだよ」
2015-03-09 11:36:31自分や自作を理解されないフラストレーションを抱えていると、それを分かってくれる人を求め、現れたら傾倒してしまうけれど、そういう承認欲求が満たされたり、或はそういうのを超えた自信や自己を確立できたなら、求めるのは正確な理解よりも、自分の想定を超える批評になっていくような気はする。
2015-03-09 11:48:10『Gのレコンギスタ』のベルリが、親達の在り様とかスコード教の意味とかG-セルフを託された意図とかを、理解した上でその枠の外側に行くっていうの、自分や自作を正しく理解した上でそれを超えて行って欲しいていう理想が反映されてるのかなってちょっと思う。ウッソにも似たようなとこあるけど。
2015-03-09 12:00:29