茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1449回「ニュー」
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有楽町のニュートーキョービルが昨日で終わりだったそうで、さびしい。ビアガーデンには何回か通ったことがあって、生ビールがおいしかった。それと、あそこの映画館では、何度も映画を見た。学生の頃、マリオンの映画がうまく合わないと、向かいを見て、「ああ、あれやっている」と渡ったりした。
2015-03-09 08:14:49「ニュートーキョー」という名前が絶妙である。1937年だそうだけれども、「ニュー」というところが、新鮮な印象があるし、一方で「ニュー」とつけること自体がレトロで、要するに新鮮かつレトロという、塩をまぶしたスイカのような絶妙な甘みがあって、この名前自体が懐かしい。
2015-03-09 08:17:00何かに「ニュー」を付けたくなる時代精神のようなものがある。ニューヨークは以前はニューアムステルダムと呼ばれていたそうだが、「新しい」ヨークというのも、意味がわからない。ヨークは城壁の残る魅力的な町だが、ニューヨークとは似ても似つかない。それでも、「ニュー」と付けたかったのだろう。
2015-03-09 08:20:03「ニュー」には、更新され、革新され、ピカピカのイメージがある。そこから新しい物語が始まる、とでもいうような。そのような感覚を懐きやすい、また人々が共同幻想としてそのような形容詞に共感しやすい、そんな時代があるのだろう。そんな時代には、さまざまなものに、「ニュー」がつけられる。
2015-03-09 08:22:01一方、現代は、「ニュー」ということが実感しにくくなっているようだ。インターネットも、今の子どもたちにとっては、神話時代からあったようなもので、何が新しいのかわからなくなっている(それがネイティヴということ)。ネットが隕石だとか、時代を革新するとか、そういう感覚自体が陳腐化している
2015-03-09 08:23:31スマホも、これ以上進化する必要がなくなっているように感じられるし、ドローンなど、一部新しいテクノロジーもあるのだろうが、インターネット文明の基盤が整備されてしまって、もはや大きな変化が起きない停滞期に入っているようにも見える。こんな時代には、「ニュー」という形容詞が、眩しい。
2015-03-09 08:25:01「ニュートーキョー」の「ニュー」という文字が眩しく見えるのは、そこに、今現在では難しくなった更新への希望を感じるからかもしれない。ニュートーキョーが創業された1937年の日本人にとって、「ニュー」の向こうにどんな世界が見えていたのか、ビールを傾けながら想像してみたい。
2015-03-09 08:27:09