- donkeys__ears
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あらすじ①大衆雑誌の編集者シバタを、海外から大学時代の友人カツラギが訪れる。日本の報道が"クラブ"にコントロールされていると気づいたカツラギは、制止を聞かずに"クラブ"を調査しようとする。もう一人の大学の友人、ニノミヤは、ベンチャー企業でアプリ開発をしていた。
2014-10-20 00:12:17あらすじ②「過去の嫌な記憶をアップロード」できるアプリを作り、ある少年がモニターとなる。あるとき、突然携帯電話の電波が使えなくなる。カツラギは再び海外へ。連絡は不通に。クラウドにアクセスができず、少年が記憶を取り戻せなくなったため、ニノミヤは責任を取らされどん底へ。(3)
2014-10-20 00:12:50あらすじ③シバタは、電波についての"クラブ"の説明に違和感を抱き主催者を問いただす。かつての理想をカツラギに呼び覚まされたシバタとニノミヤは、それぞれの信念に従い新しい道を歩く。電波が消えたはずの世界で、新しい携帯端末が発表される。かつての事件は忘れ去られているように……(4)
2014-10-20 00:14:26記者クラブ的なものが最初に出てくるので、メディア批判がテーマと思いきや、「人々はニュースを忘れていく。だから報道は安心だけを与えればいい」という黒幕の台詞、ラストの「新しい携帯端末」のシーンに表れるように、「記憶喪失」の状況がより強いテーマとして印象に残る。(5)
2014-10-20 00:14:43先学期、映画の授業で「映画は社会の記憶装置」、司書講習では「図書館は社会の記憶装置」と言われたり、もちろんアート、博物館。人類学でも「ある共有された記憶」が問題になることがあるので、色々考えられる広がりのあるテーマだった。(6)
2014-10-20 00:15:53「記憶喪失」は、例えば死んだ夫に延々と手紙を書き続けるシバタの母の姿がある。あるいは、シバタとニノミヤは、大学時代の理想を「記憶喪失」によって忘れることで、理想とはほど遠い現在を受け入れている。カツラギの帰国によって、その記憶が取り戻される様子が回想シーンで描かれていた。(7)
2014-10-20 00:16:14記憶と関連して、僕は平野啓一郎の「分人」概念を持ってきて、ストーリーのつながりを色々と考えていた。分人(dividual)とは、「個人」に対置されるもので、ある個人が他者との関係性の中に持つ人格。ペルソナ=仮面のように「真実の自分」を想定するのではなくて、それぞれの場面での(続
2014-10-20 00:16:58続)それぞれの自分、いわば現象学的な自分自身の総合として人間を考える。「一人でいるときの自分」も他と並列に一つの分人とする、と考えればわかりやすいか。作中で少年が記憶を失うとき、少年だけでなく彼の父親、元カノにとっての彼との「分人」も失われている。(9)
2014-10-20 00:17:55「分人」は、一人ではなく、他者との"あいだ"に存在するため、片方がその記憶を失うことでもう片方の中でも何かが死んでしまう。これと対置されるのが、「死んだ夫に手紙を書く」シバタの母で、その行為によって「夫との分人」が生き続けている。(10)
2014-10-20 00:18:14その一方で、カツラギというキャラクターは、完全に「個人」として生きる存在に見えた。どの地点においても「変わらない」、信念に常に忠実に動く人間として描かれているように見える。そしてその姿が一種の理想、「カッコいい」ものとしても。(11)
2014-10-20 00:19:02ラスト、そうした「分人」を生きる母親も、記憶を失った少年との分人を忘れた少女も、「電波」についての事件を忘れ、「記憶喪失」の状態で生きる様子が描かれる。新しい恋人たちのさわやかな姿にグロテスクさが垣間見える。(12)
2014-10-20 00:20:10テーマから考えると色々出てくるのだけど、舞台としては脚本が物語を十分に描ききれていない、平坦だったという感想。当事者性のなさ、報道を「忘れていく」というテーマは身近に感じるのだけど、そうしたメタの視点すら繰り返し語られるため、十分なインパクトを感じられなかった。(13)
2014-10-20 00:20:38例えば映画「ホテル・ルワンダ」には、今日にでも自分の携帯にルワンダから「助けてくれ!」と電話がかかってくるような切迫感があった。それだけのリアリティの中で、「にも関わらず人は忘れる」というメッセージが強く、しかし絶望的に響いてくる。(14)
2014-10-20 00:21:28最初に書いたように、「メディア批判」は実際は背景だ、と僕は感じたのだけど、それにしても「メディア」への視線があまりにもシンプルに思える。"システム"をある一人の人間に代表させる(彼自身が「自分は役割に過ぎない」と言ったとしても)視線(続
2014-10-20 00:22:50続)さらには「青臭い理想」でそれに立ち向かう「カッコいい」主人公達の姿。その結末やカツラギの存在自体が、むしろより複雑なシステムを盤石にしていくコマに思える。批判的な視線がレトロな、90年代くらいの古くささを感じてしまった。(16)
2014-10-20 00:23:10演劇で思い出すのは、蜷川幸雄の「真情あふるる軽薄さ」という劇で、60年代に初演したときは「体制」の象徴として機動隊を出す事が出来たけど、01年に再演したときには、そうした体制、権力、支配するものを「目に見えないもの」として表現しようと思ったという話。(17)
2014-10-20 00:23:36「記憶」「メディア」「信念」というテーマを印象的に提示しておきながら、十分に回収されていなかった。ストーリーは巧みに統合されていったのだけど、それでも起伏、クライマックスが弱く110分が長く冗長に感じられる。(18)
2014-10-20 00:24:30一方で役者の演技が好きだった。主人公シバタの細かな演技がゆっくり変化する心情を伝えてくる。後半、自分の頬を叩いて気合いを入れるところ、決意が伝わってくるいいシーンだった。(20)
2014-10-20 00:25:29休憩前の「その日から携帯が使えなくなった」という引きには「おっ」と思わさせられ、続きが気になったのでそのぶん肩すかしを受けた気分。(19)
2014-10-20 00:24:49カツラギの役者さんはいつも思うけど凛々しくて存在感があって今回もはまり役。カリスマ的なカツラギ役は彼あって成り立ってるという感じ。(以前何かの舞台でもっと情けない役やっててそれも好きだったけど)(21)
2014-10-20 00:25:44もう一人のニノミヤ役も、起伏のある人生を人間味たっぷりに演じていて、見ていて楽しかった。物語が平坦と書いたけど、この3人の話は役者さんの魅力で楽しめました。(23)
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