「カルヴァート・キャリーズ・オン・ザ・デス」――『ニンジャスレイヤー』二次創作小説

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うさぎ小天狗(実写版) @USAGI_koTENGU

……五分後。タケヒトは違和感を覚えつつ、アパートの自室前に立っていた。違和感の原因は、臭いである。下水の臭い。それが今日に限ってやけに強い。振り返れば、三十メートルほど離れて、暗渠が静かに流れている。再び自室に向き直れば、下水の臭いはさらに強くなる。 23

2015-03-31 22:15:42
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((まさか))タケヒトは顔をしかめた。妻に電話した時の奇妙な音がニューロンに甦った。((結婚記念日が下水の処理で終わるのか?))そして苦笑した。いや、それでもいいだろう。どうせしばらくは、この臭いと付き合っていかなければならない。 24

2015-03-31 22:17:28
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だが……((ホダヨがいる。ハルコがいる。タケシがいる。……俺には、家族がいる))そうニューロンに唱えた。すると、妻の可愛い笑顔が、娘のこまっしゃくれた顔が、歯の生え始めた息子の顔が浮かび、彼は下水の臭いに巻かれて、しかし微笑んだ。ささやかな幸福を味わう男の顔だった。 25

2015-03-31 22:20:59
うさぎ小天狗(実写版) @USAGI_koTENGU

「ただいま」タケヒトは自宅の戸を開いた。 26

2015-03-31 22:21:50
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……一瞬のち、彼は覚醒した。体がバランスを失い、後ろに倒れかけるのを、取っ手に捕まりどうにかこらえているのだった。……それほどの悪臭が、あたかも質量を備えたかのごとく、彼を打ちのめしたのだった。 27

2015-03-31 22:23:07
うさぎ小天狗(実写版) @USAGI_koTENGU

((なんだこれは……))タケヒトは呆然と立ちすくんだ。悪臭は彼の正面、つまりオリーベ家の中からしていた。下足場の正面、板張りの廊下の先、居間から臭ってくるのだった。((まさか、本当に、今日という日に下水工事を呼ばなければならないのか?)) 28

2015-03-31 22:25:26
うさぎ小天狗(実写版) @USAGI_koTENGU

しかし、彼もモチモリ・ワークショップの主任職人である。作業中事故を認識した瞬間と同じく、即座に気持ちを切り替えた。「ホダヨ!」妻の名を呼んだ。返事はなかった。 29

2015-03-31 22:26:25
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「ホダヨ!」再び呼んだ。返事はなかった。「ホダヨ!……ハルコ!」娘の名も呼んだ。返事はなかった。「ハルコ……タケシ?」息子の名も呼んで、そこではじめて、彼は自分の声が震えていることに気がついた。 30

2015-03-31 22:28:05
うさぎ小天狗(実写版) @USAGI_koTENGU

何か異常な事態が起こっている。タケヒトは既にそう気づいていた。妻が応えないのはその証である。それでも……だからこそか、奥ゆかしく靴を脱ぎ、廊下に上がった。小脇に抱えた紙袋がガサリと音をたてた。そこではじめて、彼は自分が静寂の中にいることに気がついた。 31

2015-03-31 22:30:35
うさぎ小天狗(実写版) @USAGI_koTENGU

静寂。ハルコの声も、タケシの声も、……ホダヨの声もしない。水音もない。タケヒトはぶるりと震えた。しかし踏み出した足はとまらず、廊下を二、三歩進んだ。ギシギシッ、廊下がきしんだ。悪臭が強まった。「ホダヨ!」彼は叫んだ。腹がきゅうっと引きつれた。「誰か!?」 32

2015-03-31 22:33:20
うさぎ小天狗(実写版) @USAGI_koTENGU

ほとんど駆けるようにして居間に飛び込んだ……タケヒトが見たものは!? 33

2015-03-31 22:34:02
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……十分後。男は先ほど出てきた家へと戻った。戸が開け放たれているのを目にし、にんまりと笑みを浮かべた。その笑みは、彼の顔と一体化している、凶悪犯拘束具めいたマスクの奥で、次第に半月の形に釣り上がっていった。 35

2015-03-31 22:36:13
うさぎ小天狗(実写版) @USAGI_koTENGU

「やァーッぱりなァ」男は嗤った。そして、踊るようなステップで下足場に踏み込み、奥ゆかしく揃えて脱がれた靴を踏み越え、軽くスキップしながら居間へ踏み込んだ……そして、彼も、見た。 36

2015-03-31 22:38:05
うさぎ小天狗(実写版) @USAGI_koTENGU

彼が……そして十分前、家主であるタケヒト・オリーベが見たものは……ALAS……それは悪臭芬芬たるヘドロの海、かつて幸せな家族の団欒の場であった場所。黒々とした汚水がカーペットを、チャブ・テーブルの足を、ベビーチェアを、片付けられぬおもちゃを濡らす汚穢の底。 37

2015-03-31 22:40:32
うさぎ小天狗(実写版) @USAGI_koTENGU

そして……そこに横たわる三人の人間、その亡骸と、呆然と膝をつく一人の男、タケヒト・オリーベの背中を、後から入ってきたフードの男はにんまりと眺めた。 38

2015-03-31 22:41:41
うさぎ小天狗(実写版) @USAGI_koTENGU

「ヨォヨォ」男は陽気に声をかけた。「やッぱり、あンた、旦那さんだろ」男の声に、タケヒトの体がびくりと震えた。「いややッぱそうだよ、俺の鼻はキくンだよな。おんなじ臭いだったもンな。あんたの嫁さんだろ?そこの……死んでるの」 39

2015-03-31 22:43:47
うさぎ小天狗(実写版) @USAGI_koTENGU

タケヒトはゆっくりと振り返った。細い足が目に入った。顔を上げた。パーカーを着た痩せた体が目に入った。小刻みに震える体の上に、フードをかぶった男の顔があった。ジッパーが引き上げられて口元は見えぬ。フードをかぶって額から上も見えぬ。……目だけが見えた。 40

2015-03-31 22:45:28
うさぎ小天狗(実写版) @USAGI_koTENGU

その目は笑っていた。ぎらぎらと光る目が笑っていた。「ックックック」声が漏れでた。声も笑っていた。そこでタケヒトは、男が震えているのが、笑っているからだと気がついた。「アハ」男が嗤った。「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」 41

2015-03-31 22:47:02
うさぎ小天狗(実写版) @USAGI_koTENGU

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッハハヒャ、ハハハハッヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!」「何がおかしいッッ!」 42

2015-03-31 22:48:29
うさぎ小天狗(実写版) @USAGI_koTENGU

「あンたの顔だよ」男が言った。「いィーい顔してる。いや、俺、うれしくなっちゃうよ。やッぱり戻ってきてよかった。いいもン見れたから」男はふらふらと歩み寄ってきた。その時には、タケヒトも体を男に向けていた。立ち上がろうとして、膝に力が入らない。だが、立った。 43

2015-03-31 22:50:07
うさぎ小天狗(実写版) @USAGI_koTENGU

「お前か」「そうだよ」「お前がやったのか」「そうだッつッてンじゃン。あンた、ここ(男は自分のこめかみをつついた)ダイッジョブ?」「ウオオオーッ!」 44

2015-03-31 22:51:18
うさぎ小天狗(実写版) @USAGI_koTENGU

タケヒトは男に襲いかかった。あっさりと押し倒した。「貴様ーッ!」殴った。「ヒヒ!」男が嗤った。「おまえーっ!」殴った。「ヒハ!」男が嗤った。「お前がーッ!」殴った。「ヒヘ」男が嗤った。「ホダヨを!」殴った。「ヒヒ」男が嗤った。「こんなに!」殴った。「いてえや」男が嗤った。 45

2015-03-31 22:53:08
うさぎ小天狗(実写版) @USAGI_koTENGU

タケヒトは男の首に手をかけた。怒りが、悲しみが、苦しみが、憎しみが、タケヒトの両手に宿った。男の細い首をギリギリと締めあげた。「死ね」「グヘッ」男がうめいた。「死ね」ギリギリと締めあげた。ボキリ。骨の折れる音がした。 46

2015-03-31 22:54:42
うさぎ小天狗(実写版) @USAGI_koTENGU

次の瞬間、タケヒトの腕から力が抜けた……正確には、肩から。タケヒトの肩が砕けていた。タケヒトはゆっくりと自分の左肩を見た。汚水まみれだった。汚水がまとわりついていた……床を浸す、悪臭を放つ汚水が、スライムめいて立ち上がり、タケヒトの背中を覆い、肩を掴み、砕いていた。 47

2015-03-31 22:56:34