- potfield1979
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あとはもう、東京→大手町→自宅という楽ちんコースですw
ここで女川土産をひとつ。東北版ヴェ○ディくんことシーバルちゃんストラップ。ほしいと思った人、女川へGo!← instagram.com/p/1GJpGuPRaL/
2015-04-05 23:10:37ここで今回の旅行の所感を
女川を1年ぶりに来訪したが、鉄道が復旧したからなのか、昨年に比べて観光客でそれなりに賑わっていた。住宅や商店向けの地ならしも所々で始まっており、復興へ着実に歩みを見せているように思えた。(続
2015-04-05 23:35:34鉄道の復旧や復興祭、コバルトーレ女川の存在から、女川には強い求心力があるように思えた。それが復興を推し進めているのではないかとさえ感じた。いや、それは「復興」を超越して「再生」「創造」という言葉が出てきても違和感が無いようにも思えた。(続
2015-04-05 23:42:37これからも女川は新たなものを創り続けると思う。来年は駅前に商店街が出来ると聞く。私は今後もできる限りその様子をこの目で見届けよう…そう認識させられた旅だった。
2015-04-05 23:45:49とはいえ、女川のような強い発進力を持つ土地は案外少ない。そして、そういう土地は復興が思ったように進んでいないのは偶然か必然か。帰りに野蒜を通った時、女川の時とは違う身体の震えを感じた。今後は未訪問の土地に手広く行けたらと考えている。
2015-04-05 23:49:48というわけで、今回のポットいい旅はこれで終わりです。
未曾有の震災そして津波で破壊された女川の町。
それでも復興への歩みを止めることなく4年の月日が経ちました。
そしてその4年後に念願の鉄路が蘇ったのです。
人口減少が止まらないローカル線が淘汰されていくこのご時世、大きな産業を持たない女川に鉄道が戻ってきたことは、「奇跡」の領域と言ってもいいかもしれません。
しかし、女川の再生物語はこれで終わりではありません。
今後とも環境が許すのなら、この物語の続きを見届け、女川の熱気を感じ取りたい…そう考えさせられた旅でした。
末筆ながら、3年前、震災から1年後に女川を訪問した時にツイートした一言をもって、今回のまとめを終了いたします。
そこには瓦礫と廃墟しか残っていなかった。でも、そこには地元を支える人たちがいた。そしてサッカーがあった。そこから多くの笑顔が生まれた。何が言いたいか…スポーツって、サッカーってすげえなあってことだよ。
2012-04-23 01:00:46