古いファッション誌を読む(2015年4月投稿分)

1970年代・80年代のファッション誌(JJ、CanCamを中心に、ときどきananやViViも)からネタを見つけては備忘録的にポストしています。話題によっては80年代のティーン誌や50年代・60年代の服飾誌にも言及しています。
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ティーン誌の話題をちょこっと。84年2月に「国会でヤリ玉に挙げられた」であげられた5誌とは、ポップティーン、エルティーン、ギャルズライフ、キャロットギャルズ、キッスです。

ESHITA Masayuki @massa27

1984年2月に国会でティーン誌5誌が名指しで批判されたのだが、そのうちの1誌Carrot Galsは創刊間もなかったのに速攻で休刊となった。もはや幻の雑誌といえるかも。昨年、運良く創刊号と創刊3号をゲットできた。 pic.twitter.com/Lx6S26jp9v

2015-04-03 20:10:18
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ESHITA Masayuki @massa27

84年2月にCarrot Galsとともに国会でヤリ玉に挙げられたElleteenは、休刊にはせず内容を変更して存続した。まあ、創刊号を見てもわかるとおり内容はエロティーンとも言うべきで、ちょっとやり過ぎた感がある。 pic.twitter.com/0xDifDCsDp

2015-04-04 01:46:05
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ESHITA Masayuki @massa27

ポップティーン(PoP-Teen)の1981年1月号(創刊3号)、判型や表紙の雰囲気は創刊号とおなじ。まだヤンキー路線には入っていない。 pic.twitter.com/nXfjqPaLJX

2015-04-06 20:33:37
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ESHITA Masayuki @massa27

ポップティーンは創刊翌年の1981年に装丁からなにからガラリと変わっているのだが、内容的にもヤンキー路線が明確になった。フィフティーズや暴走族、竹の子族などのグラビアがあるので資料価値はけっこう高い。(写真は1981年4月号) pic.twitter.com/fdDkkSy6sz

2015-04-06 20:43:02
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ESHITA Masayuki @massa27

ポップティーンの場合、学年誌の延長的なティーン誌として始まり、すぐにヤンキー路線に切り替え、どんどんエロがエスカレートして84年2月に国会で叩かれて再度ヤンキー路線に戻り、90年代半ばにギャル路線になった、という感じかね。ユースサブカルチャーズ研究には要チェック雑誌だわな。

2015-04-06 20:47:29
ESHITA Masayuki @massa27

去年休刊になったegg、それ以前に休刊になったCawaii!Happie などの登場が90年代後半なので、80年代から続くポップティーンやElleteenは「路線の変化」をたどるのにちょうどいい。

2015-04-06 20:48:57
ESHITA Masayuki @massa27

84年2月にティーン誌5誌が国会で叩かれ云々は、正確には1984年2月14日の第101回国会予算委員会でのことで、ここに内容が公開されている。問題の箇所は半ばほどの三塚博委員の質問。「ティーン」で検索すればすぐたどりつける。 kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugii…

2015-04-06 21:02:53
ESHITA Masayuki @massa27

「それで書かれておりますのは、ありとあらゆることが書いてありまして、体位から始まり、それからどうやったらそれが成功するかということから、さらに中絶、愛撫術、同性愛のやり方、それからオナニー学、体位学、浮気学、イラストで全部入っております」

2015-04-06 21:04:26
ESHITA Masayuki @massa27

たぶん三塚博委員はポップティーン1983年12月号も見ていたものと思われる。 pic.twitter.com/YTISe5EybZ

2015-04-06 21:05:30
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ESHITA Masayuki @massa27

ポップティーンの創刊号と創刊第3号。創刊4号か5号で判型や表紙のデザインは一新されたのだと思うのだが、現物がないので確認できない。 pic.twitter.com/Dtny0PQxM5

2015-04-28 23:15:16
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昔のJJではメイクのbefore/afterの記事を定期的に掲載していて、歌手やアイドルのすっぴん写真が普通に掲載されていたんだよというお話し。

ESHITA Masayuki @massa27

タレントやモデルのすっぴん画像はブログでおなじみになったが、昔は雑誌でメイクのbefore/after記事がけっこうあり、JJ創刊号(1975年6月号)のこの夏木マリはけっこうインパクトがある。 pic.twitter.com/lWkiwqB8XD

2015-04-05 06:03:50
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これもわりとちょくちょく投稿している就活の話。お茶くみのこととかリクルートファッションのことをちょこっと。

ESHITA Masayuki @massa27

雇用機会均等法以前だと大企業の求人も圧倒的に短大卒が多かったんだよな。当時は社内結婚の比率がきわめて高く、短大卒→お茶くみOL3〜4年を経て寿退社というのが一種のレールとして機能していたわけで。

2015-04-05 17:38:04
ESHITA Masayuki @massa27

たとえばJJ 1984年6月号に掲載された「大量採用一流企業リストアップ」を見ると。 pic.twitter.com/nzawnh9cXE

2015-04-05 17:46:00
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ESHITA Masayuki @massa27

「お茶くみOL」はもはや死語だが、かつてOLではなくBGと呼ばれていた時代、「あなたの仕事はお茶くみから」などと堂々と雑誌に書かれていたりした。「若い女性」1967年4月号〈BG専科 就職から結婚までの5年間を設計する〉より。 pic.twitter.com/r8YdfObuuQ

2015-04-05 17:51:44
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ESHITA Masayuki @massa27

CanCam 1987年6月号〈会社訪問の完全服装チェック〉より。同時期のJJよりもカジュアルな感じがする。なお、モデルは現在の貴乃花親方夫人。 pic.twitter.com/BcXECxtKuI

2015-04-26 08:50:46
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今月わりと多く投稿したのは料理記事についてでした。70年代のJJでは料理記事の連載が長く続いていました。もちろん「おふくろの味」的な料理ではなく、おしゃれな雰囲気が濃厚な洋風の家庭料理です。昭和50年代に家の食卓の雰囲気が変化する過程を垣間見ることができそうです。

ESHITA Masayuki @massa27

JJの1978年4月号(ここから月刊化)から〈世界のサラダ〉という料理記事の連載が始まっている。食卓での「生野菜」が「サラダ」に変わったことで、食卓が確実に「おしゃれ」になったと思うのだが、切り替わりはこの時期か。 pic.twitter.com/SmpWteV5Mu

2015-04-09 22:34:05
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ESHITA Masayuki @massa27

ミートソースとナポリタンぐらいしかなかったスパゲティも、70年代後半になって一気に選択肢が増えたように記憶している。JJの1978年11号でもヨーロッパ家庭料理の連載でスパゲティが登場している。 pic.twitter.com/zIuQyeu6cy

2015-04-10 06:16:22
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ESHITA Masayuki @massa27

JJの料理記事を読むと、JJガールがその後VERY主婦になったということが納得できてしまうわな。

2015-04-10 06:17:12
ESHITA Masayuki @massa27

ファッション誌に掲載されている料理記事の傾向は調べてみるとおもしろいかもな。とくに70年代と80年代は。

2015-04-12 02:37:42
ESHITA Masayuki @massa27

ビーフストロガノフが家でも食うようになったのは80年代前半だと記憶するが、JJ 1979年3月号で取りあげられているあたり、やはり「おしゃれな家庭料理」という導入だったのかね。 pic.twitter.com/awov2KD70j

2015-04-20 20:58:33
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ESHITA Masayuki @massa27

とりあえず1986年までのJJとCanCamの目次を追いかけてみたが、CanCamでもときおり料理記事の掲載はあるものの、JJの方がコンスタントに扱っている。で、連載を持っていたのが、大原輝子、入江麻木(入江美樹の母親)、上野万梨子など、欧州と関係の深い料理研究家たち。

2015-04-20 21:45:29