- vc_shinano
- 5994
- 172
- 0
- 20
70年前の今日、1944年11月28日13時30分 空母信濃は呉海軍工廠へ回航すべく横須賀港を後にしました。 第十七駆逐隊、浜風、磯風、雪風を従えて...
2014-11-28 13:30:5370年前の今日、1944年11月28日15時30分 空母信濃艦長、阿部俊雄大佐は総員を格納庫甲板に集め、今後信濃が帝国海軍機動部隊の中心となるべく猛訓練に入ることと、本航海の無事を希望する旨の訓示を行った。
2014-11-28 15:30:1970年前の今日、1944年11月28日18時00分 空母信濃は浦賀水道を抜け、城ヶ島南方海面に進出。最初にして最期となる外洋航海の始まり。
2014-11-28 18:01:5870年前の今日、1944年11月28日19時00分 空母信濃は伊豆大島を右舷に見ながら之字運動を行いつつ一路南下。速力20ノット。月のない暗夜。
2014-11-28 19:00:1270年前の今日、1944年11月28日22時00分 空母信濃では夜食の汁粉が配給された。たかが汁粉とはいえ、当時の甘味は貴重品。小豆は主計長が北海道から取り寄せ、砂糖は軍需部から特別配給をうけたものであった。
2014-11-28 22:00:50空母信濃回航コースの選定(1) 信濃艦長阿部は、薄暮に出航し夜の間に米潜水艦の多い遠州南方海面を通過、朝、潮岬沖に達する「薄暮出撃・外洋コース」を主張。
2014-11-28 22:19:15空母信濃回航コースの選定(2) これに対し駆逐艦側は、水中聴音機を破損している今、肉眼による潜望鏡発見の他に警戒見張りの方法はなく、夜の航行は危険と反論。
2014-11-28 22:19:28空母信濃回航コースの選定(3) しかしながら信濃には航空機の援護はなく、昼間は敵機動部隊の奇襲の恐れありとの判断からこれを却下。かくして世界一の空母が一機の直衛機もつけず、わずか三隻の直衛艦のみで外洋に出ることに。
2014-11-28 22:19:4370年前の今日、1944年11月28日23時15分 空母信濃は味方小型輸送船と出会う。問信号および答信号を交わし確認す。
2014-11-28 23:17:04(少し時間戻りますが) 70年前の今日、1944年11月28日21時00分 信濃のレーダー後方に感度あり。雪風に反転調査を命ず。雪風は味方識別に応ぜざるも、乾舷高く、漁船と判断。しかしながらこの艦影が信濃を浮上追跡中の米潜水艦アーチャーフィッシュであった可能性が高い。
2014-11-28 23:48:5070年前の今日、1944年11月28日22時00分 艦隊の先頭の浜風は前方6,000mに並走するマスト2本の水上目標を発見。増速し距離3,000mまで接近するも、信濃より、深追いして直衛に隙間をあけないよう、引き返すよう命ぜられる。
2014-11-28 23:49:1070年前の今日、1944年11月28日22時45分 アーチャーフッシュは信濃のマストに10秒-20秒-10秒という赤色発光信号を確認、護衛駆逐艦の攻撃を警戒。浜風と雪風は砲撃態勢をとったが、阿部艦長は自軍の所在の暴露を恐れ発砲を認めず。
2014-11-28 23:49:5770年前の今日、1944年11月28日23時30分 米潜水艦アーチャーフィッシュは真珠湾潜水艦隊司令部とニミッツの最高司令部宛に、護衛駆逐艦三隻を率いる大型空母を追跡中の旨を打電。
2014-11-29 00:37:0670年前の今日、1944年11月29日2時40分 米潜水艦アーチャーフィッシュは必死の追跡を続けるも、自艦が魚雷発射の射点に着くのは困難と考え、司令部宛に応援要請の第二信を発電するが支援は得られず。
2014-11-29 02:37:5170年前の今日、1944年11月29日2時40分〜 しかしながら、信濃はプロペラ軸受けの加熱により速力を18ノットに落としていたことと之字運動の関係により、アーチャーフィッシュは信濃右舷前方という発射点につくことになる。
2014-11-29 02:39:4770年前の今日、1944年11月29日02時45分 空母信濃は右30度距離7000mに敵潜水艦らしき艦影発見。その艦反航で速力15乃至20ノット。味方潜水艦らしき型にはあらず、味方識別信号も応答なく敵潜水艦と確認。
2014-11-29 02:47:2070年前の今日、1944年11月29日3時05分 米潜水艦アーチャーフィッシュは急速潜航、接敵運動に移行。 空母信濃は敵潜水艦影を見失う。護衛艦に潜水艦警報を発す。 護衛駆逐艦も敵潜水艦のものと思われる電波を傍受していたが、位置の特定には至らず。
2014-11-29 03:04:0670年前の今日、1944年11月29日3時13分 米潜水艦アーチャーフィッシュは浜名湖南方176kmにて魚雷6本を発射。
2014-11-29 03:12:5670年前の今日、1944年11月29日3時17分 空母信濃、連続二発被雷。十秒後さらに二発、艦橋の真下より後方に被雷。位置、潮岬南東約80マイル。艦内一部停電。最悪の事態に備え最短港直進に針路を変える。
2014-11-29 03:19:0670年前の今日、1944年11月29日5時頃 空母信濃は傾斜の増大により、機関運転不能に陥る。左舷注水策を試みるも不能。速力停止。
2014-11-29 04:10:4270年前の今日、1944年11月29日8時頃 浜風と磯風の二隻で信濃曳航を試みる。最初はワイヤが切れ失敗。次にワイヤを駆逐艦の後部砲塔に巻き付け再試行。駆逐艦に全速をかけさせる間も、信濃の傾斜は酷くなる一方で、このままでは沈没時に駆逐艦を巻き添えにする危険あり、曳航を断念。
2014-11-29 08:01:0470年前の今日、1944年11月29日8時30分 信濃の注排水指揮所が水没。注排水指揮所の全滅と曳航作業の失敗により、空母信濃の喪失は確定した。
2014-11-29 09:09:23