g「グラフィティには明るくないが、、、存在証明の自己主張の仕方、見栄を張ることでしか存在し得ず、だから場に対してメッセージとしてある。それがグラフィティ的。
2015-05-24 19:45:28以外、まったく共感はできないがすごく重要なことを言っている気がする。誰か分かる人説明して下さいッ! twitter.com/misoni_2013/st…
2015-05-24 19:45:30h「ディスプレイそのものがストリートでありえると思う。ホワイトキューブに持ち込めるものは何かしらの物質でしかない。ホセカルラのような作家もあるが、ストリートアライブ(?)でしかない。 そのようなことから人間性・現代性を取り戻すのがディスプレイ
2015-05-24 19:44:12h「見得とはアフェイムのこと。グラフィティはイリーガルなもので評価も経済的成功でもない。タグに評価が集まってもそれを描く自分自身とは乖離がある。ストリートで自己を拡張できた証拠である。
2015-05-24 19:46:42h「ネットに没入してた時期は自分の身体性もそこにあった。見栄を張ろうにも外側に出すことができなかった。そこからポストインターネット時代になり、ディスプレイの中に対して見栄を張れるというか。
2015-05-24 19:48:45h「作家の自意識を感じるとgnckは言うが、それは考えてない。 g「構図の問題。斜めに伸びる線はなにもない人間の筆には見えない。作りこんでる線ではないが。
2015-05-24 19:50:30h「あらゆる像が情報空間に統合されてるのに、モニタの上に何かの図像を描こうとすることに疑問。絵の具は固定されてるのにディスプレイではいくらでも改変され、光という純粋なものにより表示される。
2015-05-24 19:52:47g「端的にかっこいいもの作ろうとしてる。 h「描いてる時は判別できてない。ブラックライトで照らしつつ描いているがそこでは何が描かれてるか分からない状態。人に見てもらって判断される。かっこいいといわれそうだったのか、と
2015-05-24 19:54:08h「この状況はディスプレイに対峙する自分たち自身である、と。 h「絵の具のあとは身体的行為の形跡。あるとればグラフィティ行為が身体に残っててそれが出てきた、ともいえる
2015-05-24 19:56:11h「なぜ自分自身が二次元でないのか、という疑問。僕の世代くらいに強いのかな、と。ポストインターネット環境の若い人とは異なるかもしれない。 自分が向こうに行くのでなく、向こうがこっちにこい、と
2015-05-24 19:57:05g「不可能性を抱えること、それが作家の誠実性。見きれない光、画面に入っていけない、人間の視覚外のブラックライト。人間の限界に向き合ってることは倫理的だ。完結したものに絶対性を見る。宗教画は否定神学で、神とは何々だ、と、人間に記述できるものではないとするしかない、
2015-05-24 20:02:02g「そのようなことにどう関わるか。人間の限界とそれを超えたところの狭間。しかし単純に結論をだしていない問答を止めてないところが良い所だ。
2015-05-24 20:02:43h「不可能性、見えないものなのだが、それはグラフィティで重いこと。深夜三時の繁華街を見るとか、警察に追いかけられビルの狭間の洞窟のような空間に入り込むとかグラフィティで知ることだが、この世に知られてないことは当然有る
2015-05-24 20:04:01h「美術作品が蛍光灯下でなく、そうでない空間でしかみることができないものもある。身体の限界性から逃れられない。 ディスプレイの中には我々の身体はないが、あらゆる情報がそこに不可能性はない。しかし絵の具はディスプレイの上にあるからその不可能性にたちあえる。
2015-05-24 20:05:17h「蝶に紫外線見えるのは、花に紫外線が反応してるで蝶はそれで花が見える。色覚は環境からの要請に必要で答えた、と。 我々が我々になる以前に規定されてしまう。そこにいかに思想を刻みつけるか、と
2015-05-24 20:08:04g「画面に強く思想が出てきてる、というか、蟷螂の斧のように振るわざるをえないものとして出てきてる。不可能性の倫理的態度のように、答えを出せないものに答えを出してないという倫理的正しさのような。
2015-05-24 20:09:00h「不可能性に思想を紡ごうにも困難。言語に支えられる思想を作品に内向させないようにしている。それは自分自身の多様性から来ている。グラフィティ、画家、ネット、メディアアートで得られる知見を重視するような自分、言語を使うとどれかに寄ってしまうため避けている
2015-05-24 20:10:21h「そのような保留する態度だけでは何も表現できない。その交錯する地点で表現する。作品タイトルが数字だが、作品に思想は内包させてないが、そのことで原点に戻れるのでは、と
2015-05-24 20:11:31h「認知不可能な画面の上では、動物的にならざるを得ない。しかしそれでも人間であろうとペインティングする。その領域で仕事してるといえる。
2015-05-24 20:12:13