#即興小説 掌編から始まる、筆者と読者との小説作法(?)談義

 即興小説トレーニング( http://sokkyo-shosetsu.com/ )で書かれた掌編作品に寄せられた感想ツイートをきっかけに、小説をどう読むか、どう書いたか、の談義が始まりました。  なかなか面白い体験だったのでまとめておきます。    なお、登場する「久保田弥代」「井上剛」の二名は、著作のある小説家です。久保田弥代の方はあんまり胸を張れないですが(今や電子書籍版しかないし)。
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nomad(のまd) @nomaddaemon

@plummet @highdownforce 詰めて通したのは良かった。 混乱しそうになるから全部の部分が一体になってるかんじが出るんだろうと思う。

2015-05-24 22:22:35
井上剛@きっと、誰よりもあなたに本を買ってほしいから。 @winouhe

@plummet @highdownforce あ、そうか。行アケは、そこで視点が「ぴょん」と飛ぶんよな。時間的にとか空間的にとか、視点者そのものが交代するとか。回想だと時間空間人物が移ってても視点そのものは回想実行地点から動いてないから、行アケが馴染まないのか(・_・)ゞ

2015-05-24 22:23:02
井上剛@きっと、誰よりもあなたに本を買ってほしいから。 @winouhe

@plummet @highdownforce 歴史的小説みたいな「主観位置の高さ」があればその馴染まなさが発現しないのは、視点が「作中のあらゆる地点」から事実上ほぼ等距離にあると見做せるからだな(・_・)ゞ

2015-05-24 22:25:35
井上剛@きっと、誰よりもあなたに本を買ってほしいから。 @winouhe

電球の光は拡散するが太陽光は平行で届くようなものか。なんかよく分からん喩えだが(・_・)ゞ

2015-05-24 22:27:46
久保田弥代/plummet @plummet

@nomaddaemon ういっす_(´ㅅ`_)⌒)_ あと詰めることで、(読者も、話者も)感情を「落ち着かせる」隙を与えなかった、というのもありますかな……一気に押し切って、物語の中に絡めとって逃がしたくなかった、というのはあったかも(落ち着かれると粗さに気付かれるし

2015-05-24 22:34:16
久保田弥代/plummet @plummet

@winouhe 回想に馴染まない、のはそうだと思う_(´ㅅ`_)⌒)_ エピソードが「(秘められている)話者の時制」からすると過去である、という位置付けは変わらないので、わざわざ「間を作る」効果があるアキを入れてもな……という

2015-05-24 22:39:50
nomad(のまd) @nomaddaemon

@plummet 違和感を少しでも減らすためにもう少しテクニカルに詰めるって言うのもあるんでしょうね。 時間制限ありの習作サイトの任ではないが。 なのであの時間の中でどんなエピソードを入れて、結末まで持っていくか、っていうのがきっと練習になるんでしょうね。

2015-05-24 22:40:34
久保田弥代/plummet @plummet

@nomaddaemon もちろん、(枚数の)長さを確保して、リアルタイムな時制で追っていくってのもありますしね_(´ㅅ`_)⌒)_ 狭められた選択肢の中でどうするか、という面での技術は鍛えられます。

2015-05-24 22:46:16

《筆者補足》
 ここでこの流れの話はおしまいになりました。お読みいただきありがとうございます。お疲れ様でした。
 

 

井上剛氏による“部分読解”

井上剛@きっと、誰よりもあなたに本を買ってほしいから。 @winouhe

掌編のため全編を享受しての大きな感想は書きにくいので一点だけ。作中、「二つの手を、違う調子で撫で回してやるのは、涙があふれるくらいに難しいことだった。」という一節があるが、この一文を読むだけでも本作を鑑賞する意義があると言っても過言ではない、筆者の巧まざる巧みが光る(・_・)ゞ

2015-05-22 23:56:23
井上剛@きっと、誰よりもあなたに本を買ってほしいから。 @winouhe

それはそうと一昨夜にツイートした「二つの手を、違う調子で撫で回してやるのは、涙があふれるくらいに難しいことだった。」という一節のどこがそんなにイイのかという問い合わせが殺到しているので説明しておくと、この一文が語る表面的事実は「力を調節して撫でるのが難しい」ということだが、→

2015-05-24 22:09:31
井上剛@きっと、誰よりもあなたに本を買ってほしいから。 @winouhe

読み手に伝えたいのは主人公の悲しみや悔いる気持ちであって、悲しいとも悔いているとも書かずにそれが伝わるのである。そして主人公は「力を調節して撫でる」という冷静な作業に尽力することで悲しみや悔いる気持ちを懸命に堪えようとしていることが読み取れる。これぞ「描写」というものである。→

2015-05-24 22:13:29
井上剛@きっと、誰よりもあなたに本を買ってほしいから。 @winouhe

「巧まざる巧み」と表現したのは、こなれた書き手というのは、いま述べたような理屈や効果を能動的に考えなくても、過去の蓄積によって自動的にそういう表現を思いついてしまうのである。→

2015-05-24 22:15:38
井上剛@きっと、誰よりもあなたに本を買ってほしいから。 @winouhe

それにしても、世の中の読み手がみんなこんな回りくどい読み方をしてくれるなら、俺の書く小説もたぶん25%ぐらい短くできるのではないだろうか(._.)

2015-05-24 22:17:02

《筆者補足》
 井上剛氏と筆者は、双方のデビュー前からの友人であるので、かなり甘めに高評価をいただいており、ありがたい限りです。
 さすがと言うべきか、勘所の似ている二人であるからこそなのか、筆者自身、この部分をするりと書けた時には『あっ書けた』という手応えはありました。その意味ではやはり、井上氏の眼光紙背に徹するを驚嘆すべきでありましょう。

 なおこの「手応え」とは、具体的にこの表現が良かった自信がある、という意味合いではなく、「こういう演出的な表現が自然に出てきた」ということへの手応えです。本来なら推敲の果てに修正も必要となってくるでしょう。
 

 
 
 

参考というか