戦う前に壊滅したトルコ海軍in希土戦争(1879年)

リンク先を読むと、盛大に海軍予算が削減された結果の模様……
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遠藤 @enco2001

1879年の希土戦争の際、トルコ海軍は敵軍と一発の砲火も交えることなく主力艦を軒並み行動不能に陥ったことがある。かれこれ20年ぶりにトルコ海軍主力艦が金角湾を出港したところ湾をでないうちにメスウーディエ号は機関の3/8基が破裂、しかし無理をして航行を続けた。

2015-06-25 15:54:28
遠藤 @enco2001

さらに最新鋭艦のハミディーエ号もなぜか激しく浸水してポンプも使用不可能に陥り、機関室まで浸水するに及び付近の港に停泊して船底に溜まった300tの海水を水兵400名が20日間バケツリレーで汲み出した。なお、この汚水が原因でチフスが流行した。

2015-06-25 15:57:02
遠藤 @enco2001

夜間、嵐にあって水雷艇を装甲艦の風下に退避させようにも電気式信号灯がなく、中にロウソクを立てた手動式。てんやわんやの大騒ぎのうちにコルベット一隻が行方不明となり、後日座礁しているのが発見された。

2015-06-25 15:59:21
遠藤 @enco2001

ようやくダーダネルス海峡を抜けて(ここまでの混乱は金角湾をでてマルマラ海という内海をわたる際に起こっていた)、射撃訓練を始めた艦隊はすぐに中断せざるを得なかった。

2015-06-25 16:03:54
遠藤 @enco2001

わずか数発撃っただけでたちまちオスマーニエ号、ハミディーエ号、アズィズィーエ号といった主力艦の砲が次々と台座から吹っ飛んだ。かくてトルコ海軍は、ギリシャ海軍と一戦も交えぬまま戦力を喪失したのであった。

2015-06-25 16:05:23
遠藤 @enco2001

山田邦紀 坂本俊夫『東の太陽、西の新月 日本・トルコ有効秘話「エルトゥールル号」事件』より。 この三年後にエルトゥールル号が日本まで航海できたはほんと奇跡だったんだとおもう。

2015-06-25 16:07:12
遠藤 @enco2001

ググったら眠い人がもっと詳しくかつて書き込んでるじゃないか>トルコ海軍の惨状 sinzirarenai.com/others/greece.…

2015-06-25 16:10:29
遠藤 @enco2001

ちょっと補足用に連続ツイートを。

2015-06-25 20:10:46
遠藤 @enco2001

19世紀後半のトルコは巨額の負債に苦しんでいた。非効率的で前近代的な国家体制もさることながら前々帝アブデュルアズィズ(前帝ムラト5世が約3ヶ月で退位させられているので実質的に前帝)が見栄で装甲艦を西欧から購入しまくり、一時は英仏に次ぐ世界第三位の大艦隊を建造してしまったからである

2015-06-25 20:11:40
遠藤 @enco2001

海軍運営費用は公営企業に肩代わりさせ、実質的な国債で負担していた。軍艦は中古で隻数トン数砲数こそ世界有数の戦力だったものの実戦については疑問符がついた。なにより、艦長以下航海士や機関士など高級乗組員がほぼすべてお雇い外国人で占められ、造船・操艦能力ともに海軍に根付かなかった

2015-06-25 20:12:28
遠藤 @enco2001

国力に比さない無謀な軍拡はあっさり失敗する(西欧金融恐慌や輸出品たる農作物の不作のせいもあるが)。前述の企業が破産。最終的にオスマントルコは国家予算について西欧人の介入を招いた。

2015-06-25 20:17:28
遠藤 @enco2001

対外的にもクリミア戦争で敗北したロシアが虎視眈々とトルコ領土を狙い、「永遠の国家」オスマン帝国の威信は失墜し続けていた。

2015-06-25 20:17:56
遠藤 @enco2001

こうした失策の結果、大幅な海軍予算削減を呼び込み、が20年近く金角湾に繋がれ、出撃するや自滅したトルコ海軍を招き、また「とうてい極東への航海に耐えられない」と言われたエルトゥールル号の遭難につながるのである

2015-06-25 20:23:21