- NakaieNatsuko
- 21125
- 31
- 0
- 71
言葉レベルでの自走性、体系に依拠したメトニミーと解釈すれば、AIに任せるのが一番早い。するとステレオタイプと自走性との共犯は見えてくる。
2016-04-22 18:22:53『うずく、まる』はじめ最近の中家さんのツイート内容とかを思い出しながら、批評会に向けてまた読んでるのだけど、表紙のゴッホはなるほど納得だ
2016-04-16 10:35:09「事実性はおいといて」と前置きした時に「経験を通過する作者」というのが"どこにいるのか"、というのが重要なんじゃないかな。作者の存在論
2016-04-17 13:59:07ここで、言葉において"反映するもの"が、「作者の実時間」か「時間的に隔たった過去や未来、あるいは別世界(の時間)」に飛ぶときに、時間が言葉に先行される、という構造が前提にあって、実はその前提を外れる「時間-言葉」の関係の領野は広く、あるいはそれこそ言葉の「母国」ではあるまいか
2016-04-17 14:02:00染野さんが、頭韻の執着などに注目して「意味が後景化して、音が前景化」する、というところには共感するのだが、そこで「観念」とどう構図づけるか、というのが見ものである。
2016-04-17 14:42:42たぶんここで「観念(=理念idee)」と名指されているものは文字どおり「身体-経験」と対をなすものであり、染野さんが飯田さんの歌や河野さんとの対比で見ていくのは、その「身体-経験の固有性」「歴史-物語histoire」を離れた(「ステレオタイプ」と呼んでいる)性質なんじゃないかな
2016-04-17 14:45:49あと「自走」の意味を経験的にとらえすぎるとそれこそ蒙昧主義なので、縁語の理論に結びつけるにせよ情動の理論に結びつけるにせよシニフィアンのメトニミーにせよともかく何らかのエンクロージングを用意するか、あるいはその括弧に入った動態への意識を忘却しないこと、
2016-04-19 07:58:43ここで引用した批評会発言などはひとえに僕の記憶に頼っています。歪曲をしたつもりはありませんが、引用というものはおしなべて歪曲なので、問題があった場合お知らせ願えると幸いです。twitter.com/mon_de_tour/st…
2016-04-18 13:18:29加藤さんが言ってらした(TLを見て思い出した)、一つのコンセプトから詩集や歌集を編むというのは、それは音楽のコンセプトアルバムの発想ともとれるが、むしろキュレーション的に解釈して、これはジャンルにおける「創造のコンセプト」を相対化する仕事として、個人の域を超えて重要だと思う。
2016-04-19 10:45:24それと、収まりが悪いので先述の文章に入れなかったけれど、たとえば「短歌と詩の越-境」をするときに、そこに一本の境界のみが横たわっていて領土が隣り合っている、と暗黙に了解してはいけなくて、その境界をまたぐときに、詩と音楽の境界、短歌と視覚との調停地帯などを跨いだりしないだろうか。
2016-04-19 10:49:19境界と調停地帯とそれぞれに使い分けたのには、単に相対性の話であって、個別にそうだと言うわけではなく。「融合」にせよ「越境」にせよ、その言葉を使う裏に前提される二元論が、シンプルすぎる形、ましてや二律背反にならないように。
2016-04-19 10:49:46@NakaieNatsuko 批評会盛会、おめでとう(*゜▽゜)ノ行きたかったなー。土日はなかなか行けず…陰ながら見守ってたよ!素晴らしい躍進、羨ましくもあり奮起させられる気持ちもありo(*^▽^*)o♪
2016-04-18 08:46:25『うずく、まる』のパーティでの、中家菜津子さんとカニエ・ナハさんの「ポエトリー・リーディング」とは、どのようなものだったのだろうか。ききたかったなあ。
2016-04-18 17:05:36音だけの花火を聴いた ぎんいろのテレビの向こうガザにつながる 中家菜津子 花火の音=花火は見えない。液晶の画面に光が反射。銀色ともいえない色の被膜がある。ぎんいろ=ガザは見えない。不気味な砲声=音があるのみ。しかし、その向こうには、ほんとうのガザがあるはずだ。ガザは難しいのだな。
2016-04-19 06:54:46中家さんの批評会で短歌の遺産として和歌の修辞のことが取り上げられた。なぜかみんな「縁語」にふれていたのだけれども、それにプラスして「掛詞」を使った重層的な広がり方を好ましく思っている。
2016-04-17 17:39:18「うずく、まる」の ✖️いる ✖️いない ○いたい の「いたい」は いたい(ここにいたい、存在したいという希望) 痛い(搔爬されるなどした身体的、心的な痛み) 遺体(命を抹消されたゆえの死の結果としての) とイメージの膨らみがうまれてくると思うのだが
2016-04-17 17:40:43神林長平が「言葉は自走する」というようなことを書いていた記憶があるのだが、いつだれが短歌の批評等に「言葉の自走」を用い始めたのかな?
2016-04-17 17:47:20批評会で中野へ。古典を学んでいた頃とと違い、今は実作をしているので、短歌の自走性とわたくし性というキーワードは心に残った。 あとなぜか、先輩歌人の方とお話したときの「短歌に限らず、作品を世に出したら批評される事を覚悟(?)しないとね」という会話を思い出した。
2016-04-17 17:23:14講義=一段高い所を見上げてお話を伺うという刷り込みのせいか、机を並べて同じ目線で、という歌会や批評会、勉強会のスタイルは新鮮だけれどもまだ慣れない。 学生時代のゼミと同じか。違うのは、机を並べて話を聞かれている側の方々も、著名な方だったりするところ。
2016-04-17 19:45:36本日の中家菜津子さんの批評会とパーティー、当日参加を目論んでいたのだが、今年二件目の告別式で行けず。今回は斎場は千葉。きのうのかばん歌会にも行けなかったので、短歌成分が足りない。
2016-04-17 14:24:17