屋代聡さんyashirosatoruの「おそらく多くの国民は、戦後の昭和天皇は(象徴だから)あまり政治に関与していない、吉田茂はじめ政治家がサンフランシスコ体制樹立に尽力したとのイメージをお持ちだろう。」
真理はあなたがたを自由にする。好きなもの:文学、哲学、歴史学/雪かき仕事/批判的精神/私は誰でしょう。敢えてお教え申しません。お教えせずとも、あなたは、いつか私を見掛ける。(太宰治「待つ」)
おそらく多くの国民は、戦後の昭和天皇は(象徴だから)あまり政治に関与していない、吉田茂はじめ政治家がサンフランシスコ体制樹立に尽力したとのイメージをお持ちだろう。
2015-06-28 03:44:08しかし次の番組を見た方は、戦後の天皇と政治の関係について、少しイメージが変わったはずだ。まだ見ていないかたは必見である。 NHKスペシャル 「戦後70年 ニッポンの肖像 日本人と象徴天皇 第1回」 youtube.com/watch?v=8yLBTh…
2015-06-28 03:46:22この番組では、1947年、昭和天皇が、共産主義との戦いを支持するため、また本土の占領終了を早めるため、「沖縄を25年から50年、あるいはそれ以上の期間にわたってアメリカに貸与すること」を提案したことが述べられている。この事実は、1979年になってから明らかになった。
2015-06-28 03:50:56芦田らは本土と沖縄の同時主権回復を主張していたが、昭和天皇は本土の自治早期回復のため、沖縄をGHQに差し出すことをためらわなかったのである。また1945年7月、天皇は対ソ和平工作を提案しているが、この時も「沖縄、小笠原島、樺太を捨て、千島は南半分を保有する程度とする」としていた。
2015-06-28 04:02:17東京の政治家や昭和天皇は、沖縄戦が行われていた時点~戦後にかけて、沖縄とその人びとを取引材料にしていたと言われても、全否定はできない。
2015-06-28 04:06:19また在日米軍にかんしても、当初、吉田茂は講和条約発効後、米軍が駐留することに反対していた。しかしここでも昭和天皇はダレスに書簡を送り「基地問題をめぐる最近のあやまった論争」を批判し、米軍駐留を強く求めているのである。(1950年)
2015-06-28 04:10:12沖縄の分離支配と米軍駐留は、吉田ら総理大臣の意見ではなく、かつての大元帥、戦後は象徴になった(はずの)昭和天皇の意向が強く反映されたものだったのである。 そしてサンフランシスコ体制の負の側面を、今日も沖縄は押し付けられている。了
2015-06-28 04:14:21