#終戦後艦娘売春窟

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里村邦彦 @SaTMRa

終戦により、数万にも及ぶ失業者が生まれた。 #終戦後艦娘売春窟

2015-07-10 18:57:52
里村邦彦 @SaTMRa

非人道的な時代の終わり。開明的思想が息を吹き返したのである。立派に戦い抜き、人類に勝利をもたらした彼女たちも人間であるべきだ。しごく当たり前の意見ではあったが、問題は軍務以外の経験がろくにない、万の単位に及ぶ「職のない人間」の処遇であった。 #終戦後艦娘売春窟

2015-07-10 19:00:40
里村邦彦 @SaTMRa

国庫から養うには絶望的であった。しかしそれでも一部の艦娘、きわめて高練度なものたちは軍に残り、あるいは政府機関に奉職した。あるいは機能に制限を受けるより前に逃げ出して、非合法の暴力装置に居場所を見つけたものもあった。多かったのは、機能制限の上放たれたものだ。#終戦後艦娘売春窟

2015-07-10 19:03:22
里村邦彦 @SaTMRa

制限付きであっても人より優れた能力を、彼女たちはいくつも持っていた。持ち合わせないのは生殖能力くらいのもので、それ以外大体のことには、一般の人間より一回りも二回りも優れていたのだ。たとえばかつての上官と、婚姻や養子縁組、あるいはそれに近い関係になった者がいる。#終戦後艦娘売春窟

2015-07-10 19:06:14
里村邦彦 @SaTMRa

幸せであったものもいるだろう。そうでないものもいるだろうが、少なくとも気心の知れた相手と暮らしてよいならば、天涯孤独となるよりは、幾らもマシだったろうか。また、とにかく職を探したものもいた。戦災復興の為、人足ならば幾らいても足りない。服従暗示も信頼性を生んだ。#終戦後艦娘売春窟

2015-07-10 19:08:37
里村邦彦 @SaTMRa

生きる術どころか動機を見失い、野たれ死にしたものが全体の二割に及ぶ。退役艦娘の連続自壊事件は、その"差別的"文言の面からも耳目を集めた。そしてまた別に、公称されてこそいないが、無視できない数の退役艦娘の辿った道がある。起因となったのは、服従暗示だったともいう。#終戦後艦娘売春窟

2015-07-10 19:12:32
里村邦彦 @SaTMRa

艦娘は若く美しい。その点でも常人より優越していた。そして、服従暗示は、人に従うこと、ある意味で尊厳を他人に預けることへの抵抗感を大幅に軽減する。戦時下であっても、上官と性的な関係を結ぶ艦娘は相当数であったという。最も単純に稼ぐ手段は、春をひさぐことであった。#終戦後艦娘売春窟

2015-07-10 19:15:11
里村邦彦 @SaTMRa

売春窟は、泊地やドックなどと称された。責任者の多くは「退役」した提督であったが、艦娘自身が音頭を取り管理していたものも、相当数あったと言われている。そこに後半生を生きたものたちが何を思っていたのか、幸いであったかそうでなかったか、私たちに伺い知る術はない。 #終戦後艦娘売春窟

2015-07-10 19:17:50

◆彼女の場合◆

里村邦彦 @SaTMRa

何といっても、シチュー缶に肉団子がふたつも入っていたのだ。「ああ。今日はツイてる」歯をよく磨く。くちをゆすぐ。それから熱いシャワーを浴びる。徹底的にニオイを消す。白粉をはたくのは、ニンゲンのニオイがしなくなってからと決めている。香水は、とうとう付けず仕舞いだ。 #終戦後艦娘売春窟

2015-07-15 22:13:43
里村邦彦 @SaTMRa

白粉のニオイが好きになったのはいつからだったろう。最初は違和感があった。鉄や油や火薬とはかけ離れすぎていたから。今は好きだ。わかりやすくていい。今どきはやらないほどに、鼻につくくらいたっぷりと白粉を叩けば、自分がそういうものだとわかる。シンプルだ。 #終戦後艦娘売春窟

2015-07-15 22:15:10
里村邦彦 @SaTMRa

「摩耶」はむかし、摩耶だった。あの戦争で、あの海で戦っていた摩耶の「一隻」だった。ある日戦争が終わって、放り出されて、そして、ドウしたらいいのか、サッパリわからなくなったのだ。重巡洋艦の艤装を背負って、敵の巡洋艦や駆逐艦、ときには戦艦だって沈めたものなのに。 #終戦後艦娘売春窟

2015-07-15 22:19:48
里村邦彦 @SaTMRa

戦争を辞めて、軍隊を辞めて、イヤ、辞めるというのもよくわからなくて、艦娘でないものになって、「摩耶」は行く場を見失った。ともかく仕事は多くあったが、何をしたらいいかピンと来ないのだから、これは仕方がない。とにかく、艤装の重さがないのがいけない。落ち着かない。 #終戦後艦娘売春窟

2015-07-15 22:22:57
里村邦彦 @SaTMRa

タンクトップの上から、古着屋で見つけた、むかしの服に似たジャケットをひっかける。そろそろ夏も迫っていた。賑やかな佐世保の街、周りの目は引く。けれどいまさら、気になるものでもない。「摩耶」のスタイルだ。形が決まっているのだ。仕事着は窟[ドック]に置きっぱなし。 #終戦後艦娘売春窟

2015-07-15 22:26:54
里村邦彦 @SaTMRa

「よっ。やってるかい」半地下の窟[ドック]に、きょうも一番乗りだ。「どうもなのです」窟の顔役だけが、帳場でヒマそうにしていた。週の頭。麗しのもと戦乙女を買いに来る客も、夜半を過ぎない限り数えるほど。「店、回ってるか?」「お陰様なのです。お茶でも入れますか」 #終戦後艦娘売春窟

2015-07-15 22:31:09
里村邦彦 @SaTMRa

「いいや。仕事の後にするよ」ジャケットを担いでニカッと笑う、ここまでがいつものことだった。「そうですか」顔役は帳場から動こうとしない。きっと、お茶の用意もされていないのだ。船渠で生まれた頃から、「摩耶」はこういう時飲み食いをしないのだった。作戦中も。仕事中も。 #終戦後艦娘売春窟

2015-07-15 22:34:06
里村邦彦 @SaTMRa

息を吸えば、湿った木とコンクリートと、白粉のニオイばかりが鼻につく。それがいい。シンプルだ。「摩耶」は一夜ここで仕事をする。その間、とりあえずは「摩耶」が何であるか決まっているのだ。それがいい。それでいい。「ロッカーキー出してくれ」「はい。どうぞ、なのです」 #終戦後艦娘売春窟

2015-07-15 22:36:39
里村邦彦 @SaTMRa

鍵は遅滞なく出てくるのだから、これも、やはりいつものことだ。ロッカールームで少ないタオル地に着替えて、白塗りの顔を鏡の中に見る。上客も来るだろうか。イヤイヤ、来るはずだ。なにしろきょうはツイているはずだから。「やれるかって?」いつものことだ。「当ったり前さ」 #終戦後艦娘売春窟

2015-07-15 22:39:29
里村邦彦 @SaTMRa

遠く地上から、建機の音が響いていた。「摩耶」は目をつむり、コンクリートの柱に背を凭れた。冷たい人口の石壁が、あたたかな自分を教えてくれる。人と触れ合える温度のからだを。「やるぞ」続く言葉はない。自分の名前に、もう、大したこだわりは残らなかった。 #終戦後艦娘売春窟

2015-07-15 22:42:11
里村邦彦 @SaTMRa

<私は全年齢向けなのでやって朝チュンまでですとも> #終戦後艦娘売春窟

2015-07-15 22:42:48