【自分メモ】映画「コンタクト」を見ながら思い浮かんだこと
映画コンタクトって、1997年の作品か、もっとずっと以前のように感じるけど、意外と新しいな。 ってか、実際には、今2015年だという自覚が足りないんだΣ( ̄□ ̄;)
2015-07-15 19:24:02僕は、ジョディー・フォスターのファンではないし、あまり興味も無いけれど、コンタクトのエリーと、羊たちの沈黙のクラリスは魅力的な人だと思う。
2015-07-15 19:45:11コンタクトは、物語の構成上、科学者のエリーと対比的な宗教家が恋愛関係になるわけだが、ここで、人間性みたいなのを深く描写できたら、コンタクトは映画史に残る傑作になったんだろうと思う。 でも、どうも僕には、恋愛関係になりそうな二人に見えなかった。
2015-07-15 19:47:31エリーが「宇宙には数百万の文明があるはず」と言ったとき、宗教家のパーマーは「そうでなければ空間がもったいない」と返す。 これが、エリーにとって、心の奥底で共感し合える感性だった。 この会話は良いと思う。 良いと思うっていうか、僕の好みの会話なんだろうな。
2015-07-15 19:52:47エリーのような、論理的な正しさに誠意を見出す人って、世の中のどれくらいの人数なのだろうか。 そしてその誠意は、どれほどの人に届くのだろうか?
2015-07-15 19:57:34エリーにとって、ロマンであり「科学的な探求」が、他の人にとっては全く別の意味を持つという体験と戸惑いは、本質的には多くの人が体験するはずだけど、自覚しない人も多いのかな。
2015-07-15 20:10:35相手の地球外の知性が、地球人が発見しやすいように考えてデータを作成しているところが、この映画(というか、原作で考えられてることか)の凄いところ。 この凄さはどのくらいの人が感じるだろうか。
2015-07-15 20:14:56地球から漏れでた電波(テレビによるヒトラーの演説中継)の映像を送り返してきて、そこに新たなデータを重畳(ちょうじょう)してある。 「全く謎のデータでは解読困難だが、地球人が出した電波なら復元できるだろう」という予想と「そこに重畳したデータなら見えるだろう」という知性を…
2015-07-15 20:20:01地球外の知性を、データとして表現してある。 これ、SFとして優れた表現だと思うなぁ。 「高度な知性が交信を図るべく、工夫した信号を送り返してきた」という表現は、SFのサイエンスの部分をしっかり描いてる。
2015-07-15 20:23:06「コンタクト」では、日本が登場するわけだが、これを映画の解釈として書いてる映画評を見たこと無いなぁ。 作品として、無意味に日本を選ぶはずもなくて、そこに物語としての意味が込めてあるはずなのだが、日本人映画評論家にはそれを解説する能力は無いのだろうか。
2015-07-15 20:31:30僕は、ヨーロッパ人の大航海時代の最後を締めくくるのが日本だったと考えている。 しかも、多くの土地は植民地として支配できて、中国にも租界を作ったように、白人は世界で敵無しだったのに、日本人はロシアに勝っちゃった。 白人とは別の文化を育てていた謎の国。
2015-07-15 20:35:16白人の、地球における探検で、日本人と出会ったことは重大で、しかも、アメリカ人にしてみれば、戦争で酷い戦いをして、そのあと、アジアの国の中では最も親密な関係になった国だ。 「コンタクト(接触)」というアメリカ映画にとって、日本は、地球を描くのに必用だっただろうと感じる。
2015-07-15 20:38:06そういえば、最近は「ワームホール」って考え方を見かけなくなったけど、どうなったのかな。 理論的に、30年くらい前に言われたっきり、進歩してないのかな?
2015-07-15 20:41:51あ〜「wormholeワームホール」を「連絡路」って訳してあるw でも、「連絡路」にふりがなで「ワームホール」って書いてあるところが、翻訳で悩んだのを想像させるw
2015-07-15 20:44:39「観察する位置によって、観察結果が異なる」という厄介な問題を、SF映画として、物語の根本に置いてある。 観察という行為そのものの限界がそこにあり、証明不能に陥る。 「証明が困難である」という現象に対して、どうやってそれを真実と受け入れるのか。
2015-07-15 20:57:25エリーの誠意とは、論理的解釈と、考え得る限りの可能性を考慮すること。 そのために、自分自身の体験をも、幻覚の可能性であると認める。 僕には、可能性と選択肢としてそれを認めている彼女の姿勢と、しかし、体験したことに対する「実感」を、理解できるような気がする(気がするだけかも)。
2015-07-15 21:00:21