たなばた【横山家】

かおり @orange_shake_

【たなばた・1】 『はぁ〜っ…』 車を停めて、降りる前に溜息。 傘、会社に忘れてもうた。 玄関までは大して距離もないし、家入ってすぐ着替えればどうってことない。 ただ、今日はそれだけじゃなかった。 『ついてへんなぁ…』

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【たなばた・2】 会社を出るときには止んでたはずの、フロントガラスに叩きつける大粒の雨。 新入社員のミスの尻拭いで、朝から取引先をハシゴして頭下げ続けた。 仕事に慣れ始めて良くも悪くも緊張が解けてくるこの時期にはよくある話やし、新人は失敗すんのが仕事やと俺は思う。

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【たなばた・3】 やからミスに関しては別に何とも思うてへん。 ただ、 『仕事場で泣くのはあかんやろ…』 俺怒ってへんのに。 どっちかっちゅーと泣きたいの俺や。 新入社員の女の子泣かしたって社内の注目浴びるし、取引先の駐車場で向こうのお偉いさんの車に水たまりで水かけられるし。

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【たなばた・4】 まぁわざとちゃうのはわかってるけど、このスーツ今日おろしたてやねんぞ… 1日謝罪回りに使ってもーたから今日仕上げたかったプレゼンの準備手付かずで、申し訳程度に残業してはみたもののこんな日に限って俺が使ってる途中にシュレッダー止まるしプリンターのトナー切れるし。

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【たなばた・5】 トナー補充したと思ったらコピー用紙も切れるし。 ストックなくなってたから総務部に取りに行こうとしたらエレベーター点検中で3階分の階段をコピー用紙3箱持って上がって、前見えへんからどうせ誰もおらんやろって適当に歩いとったら専務に激突するし。

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【たなばた・6】 その専務からは "疲れてる？ここ、白髪あるよ" なんて指摘されて。 白髪て。 俺まだ三十路そこそこやぞ… 極めつけは、その残業のために今日会う約束しとった彼女にキャンセルの電話したとき。 いつもは俺の仕事を1番に考えてくれて、ものわかりのええ彼女が、

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【たなばた・7】 「せっかくの七夕なのに、残念」 なんて言いおった。 たなばたぁ？ クリスマスとか誕生日ならまだしも、七夕までそんな大事なイベント扱いせなあかんの？ お前そんな面倒くさい女やったん？ 虫の居所が悪かったんもあって、珍しくキツいこといっぱい言うてもーた。

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【たなばた・8】 彼女は黙って聞いてて、しまったと思ったときには「ごめんなさい」の一言で電話切られてた。 もちろんその後残業が捗るはずもなく、友達に週末のフットサルの約束をキャンセルする連絡を入れて帰ってきた。 いつもは全部笑い飛ばしてしまえるけど、今日の俺は、俺らしくない。

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【たなばた・9】 ただ、この感情を家に持ち込みたくはない。 雨足が弱まったのを見て、深呼吸。 車を出て、小走りで家に駆け込んだ。

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【たなばた・10】 『ただい…うわっ』 玄関のドアを開けると、何かが倒れこんできた。 『またかい…』 次はどんな災難や、と頬にあたるちくちくした物体の正体を確認すると。 "忠義に素敵な彼女ができますように" 見慣れた綺麗な字で書かれた、ピンクの長方形の紙。 『七夕…』

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【たなばた・11】 妹の短冊は、少し前に悪い女に引っかかって大失恋した弟を思いやるものだった。 その失恋のせいで自分も泣く羽目になったのに、こいつはどこまでも他人のことばっかりやな… リビングからは賑やかな声が聞こえてくるけど、誰も俺が帰ってきたことに気づいてないらしい。

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【たなばた・12】 誰もおらんのをええことに、他の短冊も見てみることにした。 緑の短冊に "社会心理学の単位とれますように。ただよし" 『…自分でなんとかせぇよ』 いかにも大学生らしい、そして弟らしい願い事。 その隣。 "家族みんなが幸せで過ごせますように♡お母さん"

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【たなばた・13】 『またかい』 オカンは毎年この願い事しか書かへん。 タチ悪いのが、使い回しちゃうかと思うぐらいのこのテンプレ短冊、オカンは毎年何時間もかけて悩みながら書いてるってとこ。 その隣には。 "母さんのダイエットが失敗しますように。よこやまゆう"

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【たなばた・14】 なんでうちの大黒柱がフルネームひらがなで署名やねん。 あと、人の努力を潰すような願い事すんなや。 倒れてきた笹を元の位置に立てて、ふとその白い短冊をもう一度見ると他にも文字が書いてあった。 油性ペンででかでかと書かれた"ダイエット失敗"の隣に、鉛筆で薄く。

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【たなばた・15】 "母さんは今のままが1番可愛い。嬉しそうにいっぱい食うとこ見たい。" って。 それ直接言うたれよ。 オカンがダイエットしてんのだって、親父のことしか考えてへんやろ。 家に入ってきたときの重い気分が少し晴れて、靴を脱ごうとしゃがみこむと。

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【たなばた・16】 『……？』 すると笹の下の方に、目立たないような位置で控えめにかけられた紫色の短冊に気がついた。 紫って、俺の短冊やんけ… 毎年紫の紙に書かされてたきたけど、今年俺まだ書いてへんで？ 気になって、裏向きになっていた短冊をペラッとめくると。

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【たなばた・17】 "今年こそはちゃんと夏休みがとれて、家族旅行に参加できますように。信五" 『はぁ？』 思わず大きな声が出てもうて、 「あらっ信ちゃん？」 って、オカンが出てきた。 「おかえりなさい♡今日遅くなるんじゃなかったの？」 『あ…いや、おん…ただいま』

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【たなばた・18】 「信ちゃん、ごはん食べる？♡」 『あるん？』 今日彼女と会う予定やったからいらんって言うて出てきてもうたから。 「今日は天の川をイメージした流しそうめんだから、たくさんあるわよ〜♡お手手洗って着替えてらっしゃい♪」

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【たなばた・19】 天の川をイメージした流しそうめんって…どういうことやねん。 食卓から聞こえてくる弟の"オカン、おかわり〜！" に、「はいは〜い♡」と戻っていったオカンの後姿を確認して、もう一度紫の短冊を見る。 『…あ。』 "信五"と書かれた名前の隣に、小さな文字。

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【たなばた・20】 "信五 の父と母と妹と弟" 父、母、妹、弟の文字はそれぞれ本人達の字で。 『…んやねん』 こんな目立たんところにかけてくれんなや。 短冊を外して、妹と弟の短冊の隣に掛け直す。 そういえば、ここ最近ずっと夏休み返上で働いとった。

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【たなばた・21】 夏の恒例行事の家族旅行、そういえば最後に行ったんいつやったっけ… 『…見とけや』 七夕の願い事なんて、好きちゃう。 願い事は自分で叶えるもんや。 スーツのポケットに入ってたボールペンを取り出して、"家族旅行"の文字の隣に"九州希望"と書き足した。

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【たなばた・22】 手を洗って部屋に戻って、着替える前にカバンから携帯を取り出す。 発信履歴の1番上。 『…もしもし？俺。あの、今日ホンマに悪かった。』 七夕までそんな大事なイベント扱いすんの？って思ってた数分前の俺、えらいこと忘れとった。

かおり @orange_shake_

【たなばた・23】 俺やってきっといつか、家族の短冊を勝手に書いてしまうような家庭を築きたいんやっていうことを。 悪ないな、イベントも。 【おしまい】