戦艦陸奥について「海員」誌より
全日本海員組合発行の「海員」誌に戦艦陸奥の記事が載っていたので ちょろっと抜粋してみるのじゃ。 まずは24号の「陸奥の涙」から
2015-07-18 21:29:39私は思わず吼門するように激しく 「では、陸奥はあの世界に誇った巨砲を一度も敵にむかって発砲する機会がなかったというのですか」
2015-07-18 21:30:01私が幼いころ、海軍の大演習の映画を見て連合艦隊の先頭に波を蹴立てて走る陸奥の勇姿と、轟く主砲の弾幕に心を躍らせ、あの戦争中でも、北の海の涯、南冥の海で陸奥の健在を信じ、心の支えとしてきたのである。
2015-07-18 21:32:55その陸奥が一発の弾丸もうたず海の藻屑になろうとは、男は私の失望の激しい視線を受け止め、乾いた声で「そうです。世にいう宝のもちぐされに終わったのです」と、ポツンと言葉を切った。 (以上、海員誌24号「陸奥の涙」より)
2015-07-18 21:35:09全日本海員組合発行「海員」誌24号 戦艦陸奥引揚より 陸奥の爆沈の真相は多くの謎に包まれている。というより永久に知ることはできないであろう。戦記ものを得意とする作家は、その原因についてさまざまな思わせぶりな書き方をしているが(続)
2015-07-18 22:38:11海員誌24号より (続)これはいずれも推理の範疇をでることなく、ただ読者への未知への好奇心を不満足ながらに満たしているに過ぎない。私はこの船体引き揚げを目にして陸奥にまつわる戦争の悲惨とむなしさを、あとの世で伝説化あるいは興味本位に創作化されないうち、真実を残すことが (続)
2015-07-18 22:41:08海員誌24号より (続) 戦争をとおし生き残った私たちの義務であり、また陸奥の犠牲者に対する弔慰とも思った。ここに深田サルベージが損を覚悟で引揚に、また我が組合員の手でその作業が行われる。心からのそのご苦労を謝しまた危険を犯して作業される人々に対し無事とその成功を祈ってやまない。
2015-07-18 22:44:51海員 - 国立国会図書館サーチ iss.ndl.go.jp/books/R1000000… #ndlsearch 陸奥引揚関連の記事が載っている海員誌24号
2015-07-19 01:06:34海員 - 国立国会図書館サーチ iss.ndl.go.jp/books/R1000000… #ndlsearch 「陸奥の涙」元記事が載っている海員誌23号
2015-07-19 01:07:557月22日は陸奥引揚工事が開始されてから45年目 8月は起重機船長門が進水して43年目です。 長門は1972年に竣工、習熟運転後に陸奥引揚に参加 進水後の初仕事が陸奥引揚作業だったと思われます。 また桂島沖に暑い夏がやってきます…。 pic.twitter.com/op2zsWorej
2015-07-18 23:00:161970年7月 戦艦陸奥引揚工事が深田サルベージ建設により始まる 1972年8月 起重機船長門(6100t・1300t吊)三井造船玉野造船所にて竣工 1972年12年 長門,習熟操業運転後、陸奥引揚工事に参加 1977年4月 陸奥引揚工事、油流出等により中止決定される #起重機船
2015-06-20 12:01:21陸奥繋がりですとこの船も。経歴も面白いですが、あの「原子力船むつ」母港の関根浜港の建設に関わった船です。 フェリーからタグボートへ 第三陸奥の航跡を辿る - Togetterまとめ togetter.com/li/838902 @togetter_jpさんから
2015-07-18 23:24:13