「午前0時の小説ラジオ」・「愚行」

「午前0時の小説ラジオ」・「愚行」
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高橋源一郎 @takagengen

「愚行」23・話はぜんぜん変わるが(ほんとうはぜんぜん変わってないのだが)、おれは、杉田成道さんの『願わくは、鳩のごとくに』という本を読んで、深い感銘を受けた。杉田さんは『北の国から』の名ディレクターだが、この本で、杉田さんは、彼が行った大「愚行」について書いている。

2011-01-04 01:04:32
高橋源一郎 @takagengen

「愚行」24・杉田さんは、「57歳で第一子、60歳で第二子、63歳で第三子」を授かるのである。尋常ではない。おれも還暦で6歳児と4歳児の子育て中で、そうとうバカだと思っていたが、もっと凄まじいバカがいて、ほんとうに嬉しい。

2011-01-04 01:06:34
高橋源一郎 @takagengen

「愚行」25・そもそも、子どもを生み・育てることが「愚行」かもしれないということをさておいて、老年に達して子育てを敢行しようというのは、はっきりいって「愚行」だ。子どもが成人する頃には、親が死んでいるなんて、ほんと無責任だし。穏やかな晩年なんて吹き飛んでしまうし。

2011-01-04 01:08:48
高橋源一郎 @takagengen

「愚行」26・いや、もっと悲惨なのは、若い父親ならできることができないことだ。肩車しようとするなら、待っているのはぎっくり腰だし。杉田さんの本でも、杉田さんが「愚行」を行った結果、甘受しなければならなかった無残な出来事が列挙されている。慣れない洗濯で妻に怒られる。

2011-01-04 01:11:33
高橋源一郎 @takagengen

「愚行」27・子育ての一つ一つが下手くそで、やはり怒られる。汗みどろになり、疲れ果てて、眠る。それが「愚行」の結果なのである。だが、そこで、杉田さんは重要なことに気づく。それは自分が「弱者」であることだ。

2011-01-04 01:14:15
高橋源一郎 @takagengen

「愚行」28・それまで、杉田さんは、たいへんなことがあったにせよ、有名なディレクターで、我が世の春を謳歌していたのかもしれない。だが、老年での子育ては、杉田さんを「弱者」にした。杉田さんの名声も経歴も、子育てにはなんの役にも立たない。いや、もっと重要なことがある。

2011-01-04 01:16:33
高橋源一郎 @takagengen

「愚行」29・重たい物をやっとこさ持ち上げる、その力のなさは、女性のそれだ。老年の子育ては、杉田さんに、「弱さ」を、女性(や母親)がどんな思いで、子どもを育てていたかを気づかせたのである。自分が老いて、初めて、女性であることの苦しさ(の一部)に気づいたのである。

2011-01-04 01:18:42
高橋源一郎 @takagengen

「愚行」30・「愚行」が「気づき」を呼ぶのは、こんな瞬間だ。健康で若い父親が気づかぬことを、老いた人間だから、気づくことができるのだ。ところで、この本の後半部に、唐突に山下将軍のことばの引用がある。それが、なぜなのかは、ここまで読んでいただいたみなさんにはわかってもらえると思う。

2011-01-04 01:20:57
高橋源一郎 @takagengen

「愚行」31・山下奉文大将は、第十四面軍司令官として第二次大戦中、活躍し、戦犯として、フィリピン・マニラで昭和21年2月23日絞首刑に処せられた。その日の早暁、絞首刑の40分前、クリスチャンの兵士と元住職のふたりの教かい師に、山下将軍は次のようなことばを残している。

2011-01-04 01:24:27
高橋源一郎 @takagengen

「愚行」32・遺言はないかと訊ねられた将軍はいまとなってはなにもない」と答えた後、口述筆記を頼んだ。まず「私の不注意と天性が暗愚であったため、全軍の指揮統率を誤り、なにものにも代え難いご子息、あるいは夢にも忘れ得ぬ御夫君を多数殺しましたことは、まことに申し訳ない次第であります」と

2011-01-04 01:28:12
高橋源一郎 @takagengen

「愚行」33・……と始め、敗戦国日本を、二度と武力を用いぬ文化国家にすることを念じ、道徳や倫理や科学教育の必要性を説く。だが、真に驚くべきなのは、最後の部分だ。最後の部分で、山下将軍は、語りかける対象を限定する。すなわち、「女性」に向かって語りかけるのである。

2011-01-04 01:31:38
高橋源一郎 @takagengen

「愚行」34・「平和の原動力は婦人の心の中にあります。皆さん、皆さんが新たに獲得されました自由を有効適切に発揮してください。自由は誰からも犯され、奪われるものではありません。皆さんがそれを捨てようとするときのみ、消滅するものであります…」

2011-01-04 01:34:14
高橋源一郎 @takagengen

「愚行」35・「…皆さんは、既に母であり、又は母となるべき方々であります。母としての責任の中に、次代の人間教育という重大な本務の存することを、切実に認識して頂きたいのであります……愛児をしっかりと抱きしめて乳房をふくませたとき、何者も味わうことのできない感情は、母親のみの…」

2011-01-04 01:37:04
高橋源一郎 @takagengen

「愚行」36・「…味わいうる特権であります。愛児の生命の泉として、母親はすべての愛情を惜しみなく与えなければなりません。単なる乳房はほかの女でも与えられようし、また動物でも与えられようし、代用品をもってしても代えられます。しかし、母の愛に代わるものはないのであります…」

2011-01-04 01:39:05
高橋源一郎 @takagengen

「愚行」37・「…母は子供の生命を保持することを考えるだけでは十分ではないのであります。大人となったとき、自己の生命を保持し、あらゆる環境に耐え忍び、平和を好み、強調を愛し、人類に寄与する強い意志を持った人間に育成しなければならないのであります…皆さんが子供に乳房をふくませた…」

2011-01-04 01:41:02
高橋源一郎 @takagengen

「愚行」38・「…ときの幸福の恍惚感を、単なる動物的感情に止めることなく、さらに知的な高貴な感情にまで高めねばなりません…どうか、このわかりきった単純にして平凡な言葉を、皆さんの心の中に止めてくださいますよう…これが、皆さんの子供を奪った…私の、最後の言葉であります」

2011-01-04 01:43:03
高橋源一郎 @takagengen

「愚行」39・最大の「愚行」である戦争の責任者として、「強さ」の極致にあった山下将軍は、最後の最後に、戦犯というもっとも「弱い」立場に陥った時、「弱者」の論理に気づいたのである。だから、「女性」に向かってだけ、最後の言葉を送ったのではあるまいか。この数分後、山下将軍は処刑される。

2011-01-04 01:45:39
高橋源一郎 @takagengen

「愚行」40・愚行は必要だ。もちろん、それは、おれたちを愚かさから救い出しためでなければならないのだが。今夜は、ここまで。長い時間、ご静聴いただき、深く感謝します!

2011-01-04 01:47:14