twitterの否定 「140字」なんて知らないよ
家が建つ、ということを本日聞いた。つまり、着実さのことでしょう。その人は人前に立つことと目される仕事に対して、何かきらびやかなものや華やかなものよりも、そちらを見出したということと思う。それは詩的な感覚とともに一瞬でおとずれたものだ。私は過去同じようにこの場に悪意が溢れたと思った
2011-01-08 02:57:58とき「読経」と銘打って何度も同じ文章の抜粋を繰り返した事があったが、その抜粋の本意は、「彼」の特異性でなくその業績や蓄積こそが周囲の人間が彼を評価するものだという意であった。自分が53歳だと考えたとき、いかに無駄なものをそぎ落としたいか考えなさい、と今日お会いした別の方は言い、
2011-01-08 02:58:32つまりそのように考えると、一見して馬鹿らしいとわかることに割く時間というのは本当に残されていないので、おのずと何をやるべきかが見える、ということだ。同時に考えるのは、物事を観察することにおいて一瞬で見出した悪い兆しというものはその後形を変えて増幅され繰り返されてしまうということ
2011-01-08 02:59:09を私が信じていることだ。この信条は裏切られることに価値がある。悪い予想が当たらないようにという願いによってしか人を思うことができないのは多少寂しいことではあるが、この考え方において、他人が自らを超えているという事に対する喜びや尊敬というものはいつも新鮮なものである。
2011-01-08 02:59:32時にその新鮮さを与えない人間を知性的でないと見なすことはある。またひとつ思い出したことを述べるが、自らに新奇であることを課していてその努力を怠らないために、時折疲れが軽蔑に変わったような口ぶりをするのだなという印象を他人に抱いたことがある。さて53歳の話に戻ると、私に変えられる
2011-01-08 03:00:15ちなみに、豪胆でアホで優しくて爽やかで博識、という奴がいるのだが、この中で私が笑えない属性はまったくないため、なんだか感謝したのであった。
2011-01-08 03:21:22別に傷つくことがないというわけではないし、感情だってあるが、それを言葉に乗せるのはどうもということだったと思うが、自分の伝えたいものなんて気持ちしかなかった。どうしていいかわからないし情報としては有益だろうということはどんどん逆になってしまう。食い違って笑えるなと思いつつ、虚無感
2011-01-08 09:22:13けっこう普遍的に起こる問題というのは、お互いの幻想に頼って「?」のまま片付けていたほうがハッピーであるし、説明を求めてしまうと逆に難問化、迷宮入りです。そういうのは無益なので気心が知れてしまうと擬態語トークでえんえんと持つわけだね。
2011-01-08 09:32:56