- SlipperyRider
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村上「設計一課の集合写真。背景はたぶん旅館」「林さんが言い出した15年サイクル説。1955年にペンシル、70年におおすみ、85年にさきがけ、すいせい、2000年にのぞみ #rocketfes
2011-01-08 14:14:392000年ははやぶさになるかも知れなかったんだけれども、MVがトラブったりして目論見通りには行かなかった。 #rocketfes
2011-01-08 14:15:39ペンシルの写真。飛行中の高速度撮影。次は年表で日本と各国(つってもソ連とアメリカ)との開発状況の比較。61年、ボストーク1号でのガガーリン初飛行、69年に有人月着陸。おおすみは翌年70年。その三ヶ月後に中国が東天紅1号を打上げ。 #rocketfes
2011-01-08 14:18:23Mロケットのデフォルメ図表「出来るだけ大きくみせたかったので」L4SからMV,イプシロンまで8種並んでる図。 #rocketfes
2011-01-08 14:20:03M3で、個体三段式で衛星が上げられるようになった。M3CのCはノズル内に薬液噴射することによって推力方向をコントロールする方式 #rocketfes
2011-01-08 14:22:19M4Sの時の補助ブースター、細くて長い、砂消しゴムのようなもろいものを直径30センチ、長さ5メートルのケースに充填するのが大変だったという当時の日本油脂の話。
2011-01-08 14:24:50個体推薬、ブロックボンディングという作り方の話。気泡が出来てしまう。デトネーション(異常燃焼、→爆発)を起こさないようにどうやって推薬を作るかというノウハウ #rocketfes
2011-01-08 14:26:41M4からM3への打上げと成功の数。M3以降は成功率がどんと上がっている。 M3S最終段のチタン6パナジウムのモーターケース採用で三段式で上げられるようになった、推進薬を液状で流し込んで固化出来るようになった、直接充填の略で直填。 #rocketfes
2011-01-08 14:30:47村上「贅肉が付いたロケットから贅肉を取っていった。ロケットは推進薬以外は全部贅肉だと思ってます。全部推進薬だといちばんいいロケット」
2011-01-08 14:31:56村上「モーターの燃焼予測がコンピューターでかなり精度よくできるようになり、TVCなどの制御技術の確立、SMRCソリッドモーターロールコントロール(ロール制御)などの技術確立。 #rocketfes
2011-01-08 14:34:32垣見「チタンケースの話、受け継ぎます。当時(70年前後)、チタンの知識が全くなかった。鉄は昔からいろんな研究されてたけど、チタンも地球上に多い、オーストラリアの砂浜にあって酸化還元を繰り返して精製する。 #rocketfes
2011-01-08 14:36:01垣見「生産量が限られてるんで、ソ連がチタンの潜水艦作るなんて言うと供給量ががたっと減る、高騰する。価格の変動がすごかった。日本は大阪チタニウム、東京チタニウムの二社。基礎知識もなかった。その頃にチタンで球形燃焼室を作るってんで設計開始 #rocketfes
2011-01-08 14:38:16垣見 大阪大学、東大の溶接研究所、各大手メーカーの各部所を協力させて開発研究。日立は真空中での電子ビーム溶接、「大学の同級生を総動員してやらせた」 #rocketfes
2011-01-08 14:40:44チタン精錬の話。溶液で酸化還元繰り返すうちに、沈んだ小さい板だけ取りだして、重ねて溶接して、それを電極にして、真空中で放電すると融けて固まってやっとチタンのインゴットが得られる。 #rocketfes
2011-01-08 14:43:136アルミ4パラ、アルミ6パーセントにパラジウム4パーセント、残り90パーセントがチタンっていうのが純チタンと呼ばれてて松浦「そろそろロケットの話を」 #rocketfes
2011-01-08 14:44:09村上「秋葉先生という超まじめな先生主導で、アブソリュート研究会、極限技術を使った固体ロケットブースターの研究会を開始」 #rocketfes
2011-01-08 14:45:17研究会の成果をM3に適用したケースを77年に発表、打上げ能力の向上によりハレー彗星探査が可能であると述べる。 #rocketfes
2011-01-08 14:47:34科学者相手のプレゼントして月惑星シンポジウムで発表、ハレー彗星相手なら85年1月と9月にウィンドウが設定されるため、81年からM3SIIの開発開始。 #rocketfes
2011-01-08 14:49:03