今日の #作家と猫 は #村上春樹 と(たぶん)ピーターです。経営していたジャズ喫茶の名前は猫の名前からとったということですから。 #職業としての小説家 pic.twitter.com/dh6eP5WTbc
2015-09-10 20:30:17本にまつわる様々なことを一日数回つぶやきます。古書、ルリユール、作家のトリビア、電子書籍(的なもの)、浮世絵など。ビブロフィリア。 スクラップブック!: scrapbook.aishokyo.com
#村上春樹 は1974年春に国分寺にジャズ喫茶、ピーター・キャットをオープンします。学生結婚していた奥さんと二人で働きまくり、あちこちから借金をして資金を作りました。 #職業としての小説家 pic.twitter.com/dtqbehi2fO
2015-09-10 20:40:17ジャズランド1975年8月掲載のピーター・キャット国分寺店の広告です。 #職業としての小説家 #村上春樹 の「ジャズ喫茶のマスターになるための18のQ&A」 buff.ly/1EOI43i pic.twitter.com/1pVisaolmX
2015-09-10 20:45:04#村上春樹 が経営していたピーター・キャット国分寺時代の紹介記事です。うちでつかっていたアップライトのピアノを持ち込み、週末にはライブをしていました。お客さんはどういうわけかカワイイ女の子が多かったらしい。 #職業としての小説家 pic.twitter.com/PNSvm6kJbA
2015-09-10 20:59:11#村上春樹 が経営していたピーター・キャット国分寺時代のマッチです。楽くもあったけど借金が返せず、奥さんとうつむいて歩いていたら、ちょうど必要な金額が道に落ちていたというエピソードもこの頃です。 #職業としての小説家 pic.twitter.com/JfGPnzav2L
2015-09-10 21:13:03#村上春樹 は国分寺で3年ほど営業した後、1977年にピーター・キャットを千駄ヶ谷に移転します。店は明るく広くなり、ピアノもグランドピアノになりましたが、新たな借金を抱えてしまいます。千駄ヶ谷店のマッチです。 #職業としての小説家 pic.twitter.com/281rigly2x
2015-09-10 21:21:25#村上春樹 が経営していたピーター・キャット千駄ヶ谷店の広告です。宣伝文句もまったくなくさっぱりしています。 #村上龍 もお客さんとして来ていたようです。 #職業としての小説家 pic.twitter.com/00UZEP3TBv
2015-09-10 21:32:12#村上春樹 が経営していた千駄ヶ谷時代のピーター・キャットのコースターです。猫の絵はジョン・テニエルの描く不思議な国のアリスのチェシャ猫ですね。 #職業としての小説家 pic.twitter.com/xCWX2wodeM
2015-09-10 21:40:06千駄ヶ谷店は軌道にのり、 #村上春樹 は30歳を迎えようとしていました。「そうか、人生ってこんな風にするすると過ぎていくんだな。」写真はピーター・キャット所蔵のレコードにおされた所蔵印です。 #職業としての小説家 pic.twitter.com/PcO9JsYefd
2015-09-10 21:50:091978年4月1日、 #村上春樹 は神宮球場にヤクルト対広島戦を見に行きます。午後一時からはじまるデーゲームでした。当時の神宮球場の外野は椅子がなく、ただ芝生のスロープがあるだけでした。 #職業としての小説家 pic.twitter.com/6QF9tk8B6I
2015-09-10 22:01:29その日が初出場だったデイヴ・ヒルトンは一回の裏、広島の高橋の初球をレフトに弾き返し二塁打にします。 #村上春樹 は突然思いました。「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない。」 写真はヒルトン一家です。 #職業としての小説家 pic.twitter.com/aREhBYqfDh
2015-09-10 22:10:10その年ヤクルトは優勝し、 #村上春樹 は群像新人文学賞を受賞します。当時の週刊朝日に掲載された記事です。「 #村上春樹 さんは、レコード三千枚所有のジャズ喫茶店店主」以降の活躍はみなさんのご存知のとおりです。 #職業としての小説家 pic.twitter.com/hivpHiDqeF
2015-09-10 22:15:10#職業としての小説家 発売にちなんで小説家になる前の # 村上春樹 の職業をここまで特集してみました。エプファニーと呼ばれる突然何かが訪れ、すべてを一変してしまう瞬間。神宮のエピソードが好きです。 今後は通常の更新に戻ります。見ていただいた皆様、ありがとうございました。
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