- oto_oto_oto
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@oto_oto_oto Meyerの言葉を借りれば、変換意味論はコンパイラを定義すること、操作意味論はインタプリタを定義すること です
2010-03-10 21:44:34定義しちゃう、しか考えられないが、危ないのかRT: @t33f: そういえば,プログラム変換の前後で意味が変わらないことを示すための道具としていろいろな等しさの定義があるけど,所望の等しさが得られるように等しさを定義してしまうのは危険ではないかと思ったりするのは素人的発想だろうか
2010-03-10 21:55:10定義しちゃう、しか考えられないが、危ないのかRT: @t33f: そういえば,プログラム変換の前後で意味が変わらないことを示すための道具としていろいろな等しさの定義があるけど,所望の等しさが得られるように等しさを定義してしまうのは危険ではないかと思ったりするのは素人的発想だろうか
2010-03-10 21:55:10@oto_oto_oto 素朴に考えて,「その方法で等しくなったらコンピュータ上での挙動も同じになるの?」という疑問は出てくるんじゃないかな,というくらいの意味です。それが適当な意味で保証されてないと何のための変換かわからないので。
2010-03-10 22:01:19適当な意味で,とつけたのは,実行速度が変わるのは問題ないとかいうのがあるので。もっと微妙なところでは「停止性が変わるのはどうか」とかがある。
2010-03-10 22:04:24普通に生きてる世界では文章を記号列なんて捉え方はあんまりしないけど, 記号列にまで抽象化して考えておいて, というか, 文法と意味に切り離すようなことをするのなら意味論が必要になるよねー, という云々.
2010-03-10 22:14:09文法と意味論は鶏と卵みたいな関係になるのかな? RT: @2bbb: 普通に生きてる世界では文章を記号列なんて捉え方はあんまりしないけど, 記号列にまで抽象化して考えておいて, というか, 文法と意味に切り離すようなことをするのなら意味論が必要になるよねー, という云々.
2010-03-10 22:18:16.@2bbb http://bit.ly/d5x41w これはしょっぱなのこれ http://bit.ly/b5lmM0 と同じこと言ってね?(記号→記号列 はその直後に言い換えてます)
2010-03-11 00:03:28