これは1980年頃、乗っていたロードレーサー。 高校生の頃に作ったロードを、両国のリバーワン製のフレームに組み替えたもの。 これで慣れない東京の街を走り始めた。 pic.twitter.com/OhcWcIef0W
2015-10-18 08:53:10使い込んだフジタの革のバーテープが、今とは比べ物にならないくらい走ってたことを物語る。 まだまだ5✕2の10段変速の頃。 僕は21歳、新人アニメーターだった。
2015-10-18 08:59:49今から8年ほど前、和田サイクルで取材してた時に高校生の二人組に出会った。 そのうちの片方がロードを買ったばかりで、その友人が「いつか俺もロードに乗りたい」って話してた。 そのやり取りを聞いていた僕は、しばらく考えたのだが思い切って話しかけた。
2015-10-18 09:19:41「君、ロードに乗りたい?」 「はい」 「今すぐ乗りたい?」 「そりゃ乗りたいけど無理です」 「えーと、僕の古いロードで良ければ乗る? 乗るのならあげる」 「………は?」 「だから、あげる 乗る気があるなら」
2015-10-18 09:23:03数日後、その子に僕は 先のリバーワン・ロードを託した。 「いいかい?このロードは30年近く前のロードだ。いまのロードとは使い勝手が違う。変速はたったの五段だし、手元変速も無い。タイヤもチューブラーだ」 「はい」 「でも、君に渡した今日から、君がこいつのご主人様だ」
2015-10-18 09:29:14「だから、好きに使ってやってくれ。 君が走りたいのなら どこでも走ってくれ。 倒れようが傷つこうがかまわない。 どんどん乗ってあげてくれ」 「はい」 こうして僕はリバーワン・ロードとサヨナラした。
2015-10-18 09:32:36僕は、あしながおじさんを気取りたかっただけかもしれない。 ひょっとしたら、あの子には迷惑だったかもしれない。 だが、この話には後日譚がある。
2015-10-18 09:35:19一年ほど経って、いつものように和田サイクルに行くと伯父さんから「宮尾さん あのロードあげた子覚えてる?」と話しかけられた。 「あの子、あれで鈴鹿の耐久レース に出たらしいよ」 「は?」 「でさ、クラス六位に入ったって」 ……… えーーーーーーっ!!!
2015-10-18 09:40:16僕がアオバを続けていられるのは 自転車を通じて「人との出会い」があるからだ。 決して「自転車との出会い」じゃない。 その後ろには必ず人がいる。
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