#作家と女房 猫の話

空想の街に参加予定のタグ、#作家と女房 の日常と猫
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佐和島ゆら@星月堂へようこそ(新作)販売中 @sawajimayura227

穏やかな秋の昼のこと。 若い女房はにぼしをもって、庭に出ていた。 秋の日差しに庭の石は白く見える。 椿の分厚い葉は緑でつるりとしているのに、紅葉の葉先はわずかに紅くなっている。 椿の木の下あたりから、小さな黒猫が出てきた。 女房は、猫の姿にぱっと顔を明るくする。#作家と女房

2015-10-19 21:11:56
佐和島ゆら@星月堂へようこそ(新作)販売中 @sawajimayura227

猫はにゃぁにゃぁと鳴き声を上げる。飼い猫というわけでもないのに、黒猫は人に良くなついた。 近所でも有名な猫で、皆に愛されているそうだ。 女房は最近それを知った。正直黒猫に自分が夢中になるとは思わなかったが、にゃぁと甘えた声を出されれば、これに惚れない人はいない。#作家と女房

2015-10-19 21:16:16
佐和島ゆら@星月堂へようこそ(新作)販売中 @sawajimayura227

夕食時、女房が茶碗に炊きたてのご飯を持っていると、先に刺身をつつきながらビールを飲んでいた作家が、庭を指さした。 「猫が来ているな」 女房は頷く。 「えぇ。黒猫が。可愛い子ですよ」 「……あまり関わらない方が良い」 「ちゃんと避妊はしてあげているし、行儀もいいのに」#作家と女房

2015-10-19 21:20:52
佐和島ゆら@星月堂へようこそ(新作)販売中 @sawajimayura227

「そういう問題じゃない」  作家がビールを飲んだ。苦みの濃いビールなのに、飲む勢いだけはすごい。ぐいぐいとコップのビールは消える。作家は息をついた。 重々しい、息だった。 女房は訳が分からなかった。作家に言葉の意味を尋ねても、彼はきちんと言ってくれないだろう。#作家と女房

2015-10-19 21:25:08
佐和島ゆら@星月堂へようこそ(新作)販売中 @sawajimayura227

彼は昔は書いていた小説や今書いている食べ物のエッセイではひどく饒舌なのに、現実ではただ不器用な男だった。とくに言葉が足りない。 女房はご飯を持った。いつのまにか山盛りになった茶碗を、作家の前に置いた。 「おい」 短い困惑の声を無視して女房は刺身を食べた。秋刀魚だった。#作家と女房

2015-10-19 21:29:09
佐和島ゆら@星月堂へようこそ(新作)販売中 @sawajimayura227

ある日、大雨になった。そうして三日三晩、雨は狂ったように降った。 川は増水し、鴨の群れはどこかに姿を消した。 女房は洗濯物をどうしようかと困りながら、泣き続ける雨雲を見上げていた。 作家は書斎でこもり続けている。 女房の話に上の空なので、執筆は進んでいるのだろう。#作家と女房

2015-10-19 21:32:54
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雨がようやく上がって、濡れた庭の土も乾きだした頃。 女房は雨で庭の柵が弱まっていないか調べに出ていた。 特に異常がないことを確認し、家に戻ろうとすると。 「にゃぁ」 鳴き声が聞こえた。 黒猫が金色の瞳を女房に向けている。 「また来てくれたのね。にぼし、食べる?」 #作家と女房

2015-10-19 21:36:29
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女房は嬉しかった。黒猫には自分より古い付き合いの人もいるだろうに、自分の元に来てくれた。にぼしをしゃくしゃくと夢中に食べる姿はほんとうに可愛らしい。心をふくふくと温めながら母屋に女房が向かうと、作家が眉を下げて立っていた。 「その子ににぼしをあげてはいけないよ」#作家と女房

2015-10-19 21:40:42
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「どうしてです。それほどたくさん与えているわけではありませんよ」 女房はむきになって、作家の言葉に逆らった。 猫はにゃぁと鳴いて、庭の奥へと歩いて行く。 「あ。どこにいくの」 女房が追いかけようとすると、作家は女房の手首を痛いほど強く掴んだ。 「行ってはいけない」#作家と女房

2015-10-19 21:43:31
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「やめて下さい、あなた」 女房が嫌がっていると、猫は庭の奥の壁についてしまった。そうして壁をすり抜ける。同時に黒い霧が尾を引くようについて行った。 女房は目を見開き、呆然とする。足の力が抜けそうになると、腕を掴まれた。作家が体を支えてくれた。 「庭から亡骸が出てくる」#作家と女房

2015-10-19 21:49:46
佐和島ゆら@星月堂へようこそ(新作)販売中 @sawajimayura227

「亡骸が……」 「あの猫は、雨で死んだのだよ」 女房は作家を睨んだ。 「あなたは知っていたのですか? 猫が死ぬことを」 「猫でなくても、私もお前もいつかは死ぬよ」 「そういうことを聞いているんじゃありません!」 作家は紙たばこを口にくわえた。 「そうだな」 #作家と女房

2015-10-19 21:53:41
佐和島ゆら@星月堂へようこそ(新作)販売中 @sawajimayura227

作家は火のつけたたばこを一つ、吸って吐いた。 「猫と関わって、お前が悲しまなければと思った。でも……駄目だったようだな」 女房は唇を結んだ。 こらえようとした涙が、頬を幾筋にも落ちる。 猫のにゃぁにゃぁと鳴く声が耳の中で響いた。 どうして自分は、何も思わなかったのか。#作家と女房

2015-10-19 21:59:15
佐和島ゆら@星月堂へようこそ(新作)販売中 @sawajimayura227

あの狂ったように降る雨で、黒猫は耐えられなかったに違いない。 だがこんな同情、きっと無意味なものだ。 猫が危ない状況だと知っていても知らなくても、猫を愛した住人達は自分も含めて、猫を救わなかったのだから。 「馬鹿ですね、私は。泣いても、猫の命は戻らないというのに」 #作家と女房

2015-10-19 22:04:10
佐和島ゆら@星月堂へようこそ(新作)販売中 @sawajimayura227

「お前は優しいんだ。それだけだよ」 作家は女房の言葉をやんわりと否定する。作家は女房には優しかった。けれどその優しさは時に刃物よりも鋭く、女房の心を抉る。けれど女房はその傷ついたことを顔に出さなかった。 作家も眉を下げてどうすれば良いのか分からない顔をしていた。#作家と女房

2015-10-19 22:10:37
佐和島ゆら@星月堂へようこそ(新作)販売中 @sawajimayura227

女房は涙を一生懸命にぬぐう。 泣くのはなかなか止められそうになかったが、猫の亡骸を探そうという気持ちにはなっていた。 作家は女房のことを、ただ見ている。 きっとこの妻ならと信じている。  おわり #作家と女房

2015-10-19 22:14:08

作家は40を超えていますが、女房はまだ25歳くらいです。