『心が叫びたがってるんだ。』は他者を認める物語

考察を試しにまとめてみました。解釈のたたき台にどうぞ。
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鴨南蛮 @nambam_kamo

【ここさけネタバレ注意】 ここさけは、成瀬主観の視点から始まり、他者と向き合うことで、己を知り、殻を破る物語だった。メイン4人は元々心を内に閉ざした、自分の視点でものを見ている人物だった。だが、他者と接触することで相手の過去や考え、人生の存在を知ることになる。 #ここさけ

2015-10-19 21:49:42
鴨南蛮 @nambam_kamo

続)それが顕著に表れていたのが、坂上・仁藤のゴミ出しを見た成瀬のシーン。あそこで「王子様」が、実は自分に仁藤の影を見ていて、「友達」は坂上の影を見ていたことを知る。今まで主観でしか他者を見れていなかった成瀬は、初めて2人の過去や関係性、彼等自身を知ることになる。 #ここさけ

2015-10-19 21:49:50
鴨南蛮 @nambam_kamo

続)で、色々あって成瀬が独唱するのだが、注目すべきはその後。独唱後、王子様であるはずの坂上のたまごsongに成瀬が全く見向きもしていないことである。これが何故かと言えば、この時点で成瀬にとっての坂上は「王子」ではなく「坂上拓実」になっていたからだ。 #ここさけ

2015-10-19 21:50:10
鴨南蛮 @nambam_kamo

続)この転換点がいつかと言えば、ラブホのシーンである。あそこで成瀬は坂上を「腋臭くて嘘つきで言いたいこと言わない奴」と言い「坂上拓実」とフルネームで呼ぶことで彼そのものと向き合い、認めるのである。逆に、今まで自分を隠してきた坂上はありのままの自分を認められて泣きだす。 #ここさけ

2015-10-19 21:50:26
鴨南蛮 @nambam_kamo

続)ちなみにここで言う「認める」は、「世の中に認められる」などの意味ではなく、「非を認める」や「頭が良いと認める」などのような、ありのままを見て考え受けとめるの意味です。

2015-10-19 21:50:36
鴨南蛮 @nambam_kamo

続)こんな風に、主観の視点から他者とぶつかり認めることで己を見つめ返し殻を破っているのである。まるでウテナ。で、実は作中でこれと同じことを田崎もやっている。 #ここさけ

2015-10-19 21:50:49
鴨南蛮 @nambam_kamo

続)野球が出来なくなり自暴自棄になった田崎は、貧弱で意志薄弱な野球部や成瀬にあたる。が、双方と向き合ってみると実はそうでなかったと知る。で、成瀬自身を認めることで、周りを見えなかった自分を認め、成瀬を好きになるわけだ。 #ここさけ

2015-10-19 21:50:56
鴨南蛮 @nambam_kamo

続)「心が叫びたがってる。」は、言葉を変えれば、「叫ぶ心は誰かに認められたがっている。」とも言えると思う。ここさけは、言葉を発し他者と向き合うことで、他者を認め自分を認める物語だったと考える。言葉は人も自分も傷つけるが、叫ばなければわかりあうことはできないのである。 #ここさけ

2015-10-19 21:51:05