【ネタバレ注意 全クリア前提】「デイグラシアの羅針盤」に、本当に正解は存在しないのか?(2016/03/15更新)
- mutsuki2933
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制作当時の制作陣のつぶやき
本編αは完全な一本道でしたが、今回の『デイグラシア』には分岐があります。ほんの数個の分岐ですが、それでもスクリプターから「これはクリアできないのではないか」という指摘が。最後まで難易度調整します。
2015-08-08 23:04:53今回頒布するVerでは、あの2033年8月の後を描く断章が時折挟まります。 メインとなる「2033年8月1日〜4日の物語」と、その四日間を経た後で、主人公が過去を想起する短い「現在の物語」。元々は、その二本のエピソードで作られていた物語でした。(続く)
2015-08-13 23:43:00ということで、ようやく、本来の形になったという状況です。……これまでの「あらすじ」の歯切れが悪かったのはそれが理由です。多分。 これまでに「本編α」等をプレイして頂いた方も、“生存者二名”の片割れを模索する物語として、また新しい見え方になるのでは……と思っています。
2015-08-13 23:45:28変わらなかった出来事
Aルート、Bルート、Cルートで共通して起きた出来事。
- 光理、事故により3Fブリッジ内に閉じ込められる
- 黎理、1F後方倉庫にて発見される
- 生存者、COOSに遭遇する(タイミングは異なる)
他
"彼女"は何をしていたのか?
序盤や公式サイトでは存在を伏せられていた"彼女"、黎理。
彼女が何を思い事故の起きるあの船にやってきたのか?作中ではそれは「自分や光理を、現状という檻から解き放たれるため」。
そのため彼女は「COOSネットワークに触れる」ことを目標にして行動する。
「現状から解き放たれるため、COOSと接触する」
だが、天才でも超能力者でもない"秀才"の彼女が、どうやってCOOSを知り解き放たれることと結びつけると思ったのかという経緯については、詳しくは語られていない。
黎理がどこまで知っていたのか、SHEEP IIIに乗り込んだ時点での彼女の目的と行動予定は何だったのだろうか?
片桐がSHEEP IIIに携われた理由
「ある時SHEEP IIIのプロジェクトに回された」
片桐をプロジェクトに携われるよう根回ししたのは、やはり黎理だろう。
SHEEP IIIを"彼女"と共に設計していた黎理は、SHEEP IIIの事故発生後のある時点で「片桐、お前に会いたかった」と告白する。
つまり黎理は片桐を見つけ、"点"と"点"が繋がっている可能性に気づき、何かを起こそうとした…のかもしれない。
「生存者は2名」
ABルートを経てからCルート終盤およびEXTRAシナリオをプレイし、思ったことがある。
それは「Cルートにおいての生存者2名は、7年前の事故について指しているのではないか?」ということ。
ABルートでは生存者2名の事実は揺らがないが、Cルートではそれより多くの生存者が確認されてしまう。これではあらすじの「生存者2名」が嘘ということになってしまうはず。この点について考えを巡らすと7年前の事故について思い出したのだ。
ABルートにおいては、生存者2名は2033年の事故についてだろう。片桐と縁の生存者2名。
だが、生存者が2名なのは7年前、つまり2026年に起きた事故についても同様だ。
縁の視点からしてみると、経緯上7年前の生存者は1名も同然だった。
だがCルートで、柊野から指摘を受ける。
「2026年に起きた事故の、その生存者が2名」
ABルートではEXTRAシナリオと矛盾する部分が存在している(ように見える)ために"ABルートでの7年前の生存者"についてまでは断定できないが、少なくとも「Cルートは生存者2名じゃなくなっちゃったじゃん」という矛盾に見える点についての、納得のいく説明にはなるのではないか?
「第四の可能性」
ABルートとCルート、「正解のないノベルゲーム」というキーワード。
「正解のないノベルゲーム」、正解のないもう1つ意味。
それが「正解となるルートは、作品内では語られない」ということ。
そもそもテキストとして存在せず、作品内のどこを探しても見つかることは有り得ない。故に「正解のないノベルゲーム」なのではないか?
これは推測というよりは妄想に近いものかもしれない。
だが未知に満ちた作品だ。そういうこともあるかもしれない。出来事を一つ一つ整理し、可能性を見つける、もしくは可能性を消す作業が必要かもしれない。
「光」の神秘
光は粒子性と波動性を併せ持った存在。
何故、この考察で光について取り扱うのか?
それは
「シュレディンガーの猫」
「量子重ね合わせ」
「量子スピン」
「量子力学と多世界解釈」
「磁気と羅針盤(コンパス)」
多世界解釈と聞いてピンとくる人もいるかもしれない。
「正解のないノベルゲーム」というのはつまり、"そういうこと"なのかもしれない。
宿題(2015/10/26時点)
- 「光の粒子性と波動性」と作品の関係の有無
- ABルートとCルート以外の、Dルート(正解のルート)の可能性を探る
- どの出来事が回避不可能な出来事で、どれが回避可能な出来事なのかの洗い出し
- ABルートにおける「確定した過去の事故」(=VDRに記録された事実)の詳細推測
- ABルートの片桐と、Cルートの片桐の「違い」
- ABルートで完結予定だった作品にCルートが追加された理由、及びCルートの必要性と整合性。
「デイグラシアの羅針盤」って、クリア後にもう数回プレイするのが良いかも。 全てを知った後、もう一度読み返すことで、あの時あの人は何をしていたのか等がわかる気がする。
2015-10-25 01:27:06あー、あ、そうか。整合性の取れる内容にしたがために「正解が無い」のか。どちらも正しく、同時にどちらも間違っている。 物語と結末というよりは、作品そのものが一種の「光」と。
2015-10-26 00:56:45選択というのは、「AかBかを選ぶ」より以前に「選ぶか選ばないか」という選択が存在する。 「選ぶこと」を選択してからようやく「Aを選ぶかBを選ぶか」を選べるわけだ。選んだ場合の世界と選ばない場合の世界。それこそがあの構造になっている、と。
2015-10-26 01:20:21あれ、もしかした作中で「現実に起こったこと」は描写されていない…? 結果こそああなものの、現実に起きた内容はまた別なんじゃ…?
2015-10-26 01:43:05そうか!あっちは「シミュレートしていない」じゃないか…! もしかすると、完成版とそれ以前のバージョンで変更点があることによって、解釈に違いが生まれちゃっているのかもしれんなぁ。
2015-10-26 02:24:14片桐の人物像(書きかけ)
ABルートでは片桐は嘘をつき、プレイヤーをイラつかせる行動や発言を幾度もしたことだろう。
が、Cルートではそんなイラつかせる片桐の姿はあまり見られない。
同一人物のはずの片桐が何故、ABルートとCルートで違いがあるのか?
この疑問は、選択肢のあるノベルゲームをプレイした人には気にならない部分かもしれない。
が、辻褄を重要視するサスペンスやミステリー畑のノベルゲーマーには重要な部分ではないだろうか?
この点について、納得できうる仮説がある。
それは「ABルートとCルートの片桐は別人のような存在」だということ。
といっても、同姓同名の平行世界の住人という話ではない。
もっとわかりやすく言おう。
「本来の片桐は、Cルートで描かれたような人物像」だということだ。
ではABルートの片桐は何だったのか?何故あのようなイラつくような行動をとっていたのか?