ミステリの探偵像とカタルシスについて
- K_misa_maguro
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しばしば新本格という「ひとつのムーヴメント」が起こったように語られるけれど、新本格はいろんなまとめきれないさまざまな試みの集積だったので(そしてそれは他のムーヴメントもそうなのかもしれないけれど)、簡単にひとくくりにされると複雑な気分になる。
2011-01-14 21:19:54なので私が初めて「僕」に出会った時、鳥肌が立ったものです。新しい探偵像なのではないかと。装置としては読者を見放しすぎている存在。――犯人に対して関心の持っていない(むしろ残虐な犯行や犯行現場などに興味を持ってしまう)探偵役である「僕」のような探偵的人物は他にいるのかしらん。
2011-01-14 21:22:33対決に重点を置いたミステリは割と勧善懲悪にはなりにくいよね。メビウスの殺人、秋季限定栗きんとん事件、盤上の敵なんかもそうかな。
2011-01-14 21:23:32探偵が解明の為の装置なのは当然。むしろ、解明する人を探偵と名指しているのではないか。時折、狂言回しにしかならないヘボ探偵がいるが、あれは“偽探偵”か。だがしかし、探偵合戦というものがある。とすると、解明に挑む人が“探偵”なのか。画して、最終的に解明する人を“銘探偵”と呼ぶのだな。
2011-01-14 21:25:10うーん…正直きちんとTL追いかけれてないのですが、ミステリーにおける善悪の話、でしょうか。そもそも、善悪というのは主観でしか設定できないので、言葉として不用意だと思います
2011-01-14 21:25:28メビウスは、フォーマットとしては勧善懲悪だけど、明らかに探偵が犯人を嵌める部分にカタルシスがある。毎回真犯人に共感されるというパーソナリティも、彼が必ずしも善サイドの人間ではないことを示唆している。
2011-01-14 21:28:00客観的な善悪なんて考えたくもないけど、だいたい視点人物に頷きながら読むわけで、彼とそりの合わない形で登場するものは彼にとって悪。読者にとってもなんかこう印象よくないじゃないですか…?
2011-01-14 21:30:01飯田さんのこの文章が僕が『探偵小説論』で、いまいいたいことを端的にあらわしているかな。私たちが考えている「人間像」と、私たちが対面する「人間」との違い。 http://ameblo.jp/genkaiken/entry-10706682718.html
2011-01-14 21:30:14@meijimc おっと、そっちのアカで呟くのですか。で、このTLは「ミステリーにおける善悪の話」とは少しニュアンスが違いますね。おそらく。……あと、ここでいう善悪は、俗に言ういわゆる水戸黄門的勧善懲悪に即しての「善」やら「悪」だと思いますよ。視点によって変わる得る事象ですよね。
2011-01-14 21:32:13名探偵はいくらクズであってもかまわないわけだが、なかなかそんな奴がいないのは、犯罪にはどうしても人間が、同時に人情が絡むからだろう。所謂解明シーンを想像すれば、名探偵には周囲の承認が必要になる。然るに、クズ過ぎるとお話に介入し辛くはなるまいか。だから普通の話にクズ探偵は居ない。
2011-01-14 21:32:24僕も、探偵を真実を語る機械とは思わないなあ。探偵といえば何はともあれシャーロック・ホームズだが、彼は何度も判断ミスをしている。それでも名探偵と言われる理由は、ひとえに彼の解決しようとする意識だと思う。
2011-01-14 21:33:08