大大阪時代からみる大阪と等身大の大阪像

講師は立命館大学・森裕之教授(財政学) 大阪の歴史を振り返り、理解の一助となるように。
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92歳の古書店主が語る戦後の本屋の風景

http://portal.nifty.com/kiji/151006194746_1.htm
「70年前にちょうど戦争が終わって商売できそうなところはどこみても焼け野原(大阪空襲)。ヤミ市という形で焼け野原にテント張って店出しとった。わたしが戦争から帰ってきたら親が病気してましてね。とにもかくにも食わさないかん、でもわたし持ってんの岩波文庫100冊だけ。赤帯(外国文学)と黄帯(日本古典)と青帯(思想書)。カタイんですけどね。それをなんばの今ある高島屋の前で露天で並べたら、一日で全部売れた」

「戦時中は『エロ』のエの字も口にすることはできなかった。戦後ね、民主主義というものがいっぺんに流れ込んで、急に生き生きと、昔でいう風俗壊乱に値いするものがバーっと流れたんや。もう、群がってみんな買ってった。でもかたっぽにあたらしい文化に対する追求というかね、民主主義とはなんだろうかというかね。今まで自分たちが教育されてきた一切が否定されて、それまでの自分の人生を全部ペケされて墨でぬりつぶされた。そういう人たちはもう必死で新しい考え方、自由主義とはなにか個人主義とはなにか民主主義とは何かということにもう、飛びついた」

「年いってるからいろんなこと考えるでしょ。寝ようと思ったらね、ホッとね、こういうことでてくる。これはね、生活は貧しいけど気分だけはものすごぜいたくにって。つまりね、ゴッホなんかのね、すばらしい作家の作品を見て自分はごはんにソースかけて食べる。これがすばらしくゴージャス。わたしごちそう。ソースはウスターソース。おかずはいりませんな。あったかいごはんに。みんなあんまりやらんでしょうな。わたしだけが好きな味。それでいて、ゴッホを見たり、モーパッサン読んだりしたらもうゴージャス(笑)」

ソーライス

https://ja.wikipedia.org/wiki/ソーライス

発祥は梅田阪急百貨店(1929年(昭和4年)開業)の大食堂である。

同食堂の人気メニューはライスカレーだった。客はこれにウスターソースをたっぷり掛けて食べるのが常だった。ところが昭和恐慌のあおりで、ライスカレーではなく、ライス(5銭)だけを注文してテーブル据え付けのウスターソースを掛けて食べる客が増えた事が百貨店内部で問題視され、上層部がそういった客を締め出す目的でライスのみの注文禁止を決定、他店舗もこれに賛同し、徹底させる事態となった。しかし阪急社長の小林一三は、逆にこれを歓迎する姿勢を打ち出し、「ライスだけのお客様を歓迎します」という貼り紙まで出させた。

従業員の中にはこれに疑問を持つ者や店の売り上げを無視した姿勢に反発する者も少なくなかったが、小林は「確かに彼らは今は貧乏だ。しかしやがて結婚して子どもを産む。そのときここで楽しく食事をしたことを思い出し、家族を連れてまた来てくれるだろう」と言って諭したという。こうして「ソーライス」は阪急百貨店大食堂の堂々たる「裏メニュー」となり、広く知られた。後年、関西の財界人のあいだでは「阪急食堂でよくソーライ食ったな!」というのが共通の昔話となったという。余談だが、後に景気が持ち直し、ソーライスで飢えを凌いだ人達は敢えてソーライスを注文し、当時の御礼の意味も込めて、わざと高い追加代金を食器や食券の下にそっと置いていくという事態が後を絶たず、逆の意味で従業員が悲鳴を上げる事になったという。

yoko-chan @ZEPHYR_KAI_

小林一三さんはやっぱりすごい人だ。現阪急グループ系の実質的創設者である。 百貨店の食堂で米にウスターソースぶっかけて食うソーライスを誰よりも歓迎した大衆のことを一番理解していた経営者だろう。今の経営者は見習うべきだ。

2015-09-13 22:07:37
西田 伸 @ShinNishida

阪急うめだ店 食堂裏メニュー「ソーライス」はかつての庶民たちの味わいumeda-connect.jp/special/vol08/…。此れを召し上がった人々が未来の生活と豊かな日本国を夢に見て、築きました。

2015-10-05 10:31:18
大西若人 @onishi_waka

髙岡伸一さん、倉方俊輔さんらによる『生きた建築 大阪』を片手に、ちょっと大阪市内を歩いてみると、あるわあるわ、大大阪時代の様式建築。この密度はすごい。梅田スカイビルや大阪駅の大屋根など、現代建築も、ここにしかない、という感じです。

2015-10-27 23:04:38

まとめ 大阪市立精華小学校跡地問題 大阪市立精華小学校の竣工は昭和4年、設計は建築家の増田清。建設費は地域からの寄付で賄われた。精華小学校は重要文化財としての潜在性を秘めていた校舎でもあったが、大阪市の売却方針によって道原建設が校舎を解体した。 20934 pv 228 5 users 17

大大阪時代からみる大阪

大大阪時代(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/大大阪時代
大大阪時代は、関東大震災で被災した住民・企業の大阪移住でピークを迎えた。象徴的な出来事としては、大坂城天守の再建や御堂筋および大阪市営地下鉄御堂筋線の建設などがある。