鎌原観音堂の階段下で見つかった二人は、ぶんとよしではなかろうか。

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早川由紀夫 @HayakawaYukio

甚兵衛は65歳。妻よしは57歳。せがれが二人いる。長治郎(38)と助八(36)だ。長治郎は10年前にぶん(30)を嫁にもらった。すぐに子供が二人生まれて、いまは9歳と7歳だ。この家にはもうひとり、甥の與兵衛が同居しているから8人家族だ。

2015-10-29 14:54:23
早川由紀夫 @HayakawaYukio

甚兵衛の家は、観音堂から本通りに出て左へ6軒目。さらに2軒先に諏訪大明神がある。 pic.twitter.com/E78ywjXtwm

2015-10-29 14:54:41
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天明三年七月七日の夜、浅間山が大噴火して空高く煙が立ち昇った。翌八日10時、山から大音響が聞こえたとき、長治郎はいいようのない危険を感じて、二人の子供といっしょに家から飛び出して観音堂を目指して一目散に走った。

2015-10-29 14:56:03
早川由紀夫 @HayakawaYukio

すぐそのあとをよしとぶんが追った。甚兵衛と助八と與兵衛は、家のことにかかわっていたので走り出すのが少し遅れた。

2015-10-29 14:56:16
早川由紀夫 @HayakawaYukio

長治郎と二人の子供が50段の階段を駆け上がって観音堂に着いたとき、山から真っ黒な泥がものすごい速さでこちらに向かって来るのが見えた。次の瞬間、甚兵衛と助八と與兵衛がその泥に飲み込まれた。

2015-10-29 14:56:24
早川由紀夫 @HayakawaYukio

ぶんがよしの手を引いて階段を駆け上がろうとした、まさにそのとき、真っ黒な泥が二人を埋めてしまった。甚兵衛一家8人のうち、助かったのは3人。5人が命を落とした。

2015-10-29 14:56:33
早川由紀夫 @HayakawaYukio

※長治郎の年齢と、長治郎とともに生き残った二人が子供だったは想像です。それ以外の家族構成・氏名・年齢・家の位置は井上君が集めた史料によります。史料情報に基づいて被災ストーリーを創作しました。

2015-10-29 14:56:42
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天めいの生死を分けた十五段。この春、お堂のかやぶき屋根を葺き替えた。 pic.twitter.com/FQuZuleo93

2015-10-29 15:00:18
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ぶんとよしが駆け抜けただろう鎌原村の街道。浅間山が見える。 pic.twitter.com/15pt7uCbvS

2015-10-29 15:01:34
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(鎌原村ストーリー2) 杢右衛門の家は諏訪大明神の南隣にある。妻さい(22)と娘かや(2)を、弟の與左エ門(27)とともに七月八日の浅間押しで失った。十月二十四日、杢右衛門は他の6組といっしょに祝言をあげて新しい妻をもらった。

2015-10-29 15:18:43
早川由紀夫 @HayakawaYukio

甚兵衛の向かいには、作左衛門(69)とそのせがれ市太郎の家が並んである。市太郎は組頭だ。市太郎は他の7人ととともに生き残ったが、作左衛門は他の4人とともに泥に埋まった。死5生8だ。

2015-10-29 15:27:58
早川由紀夫 @HayakawaYukio

組頭市太郎は、十二月二十三日に新造した11軒のうち2番目に大きい家の持ち主になった。

2015-10-29 15:45:06
早川由紀夫 @HayakawaYukio

(訂正)長治郎とともに助かったのは二人ではなく三人だった。長治郎を入れて四人。

2015-10-29 16:01:12