大阪・花岡 中国人強制連行 国家賠償 第1回公判(2015/10/30) 関連ツイート

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chy @chyooky07

撫順の奇蹟を受け継ぐ会  関西支部さんの投稿の写真 m.facebook.com/16406894728189… もう一回。国際法で禁じられている「捕虜」を強制連行するため、その法をすりぬけるためニッポンが考えたのが「労工」twitter.com/chyooky07/stat…

2015-10-30 10:39:43
urokosmile @urokosmile

傍聴してきました。とりあえず聞きながらメモしてきた内容を。 勉強不足ですがすみません。

2015-10-30 13:04:40
urokosmile @urokosmile

最初に、今回の国賠訴訟の原告の訴状の要約文が、弁護団によって読み上げられました。この裁判は1940年から1944年にわたって中国人が日本人によって逮捕、監禁、連行され強制労働に従事させられたことについて国へ損害賠償を請求するものです。

2015-10-30 13:08:33
urokosmile @urokosmile

1・逮捕、拉致、連行について。自発的に労働を志望したわけでない者がある日突然家族から引き離され、労働力の供出が強制的に行われたこと。日本政府が主導したこと。把握をしていたのに改善を行わず放置し、助長した責任。俘虜収容所内や、移送の船内での苛酷を極めた待遇など。

2015-10-30 13:14:53
urokosmile @urokosmile

2・強制労働について。劣悪な労働環境であったことを国は把握しながら、適切に監督指導する義務を怠ったこと。食事は非常に粗末なものであり、睡眠も十分にとらせず苛烈を極めた労働に従事させたこと。暴力や虐待が日常的に行われ、花岡では政府関係者が「食事が贅沢すぎる」と指導に入ったことも。

2015-10-30 13:20:18
urokosmile @urokosmile

3・戦後の健康被害の後遺症や、生活の困窮、また国が本人の名誉回復を妨害したこと。運良く生き残って帰国できた人でも、苛烈な労働で負った健康被害の後遺症で心身を病んだこと。働けないことで家族が路頭に迷ったり、困窮したこと。一家離散のケースも。→

2015-10-30 13:26:16
urokosmile @urokosmile

→また、本人の望まない強制的な連行であったことや、強制労働であったことについての証拠を国が隠ぺいし、関係書類を焼却などしたこと。被害者たちは戦後は中国国内で「日本へは自分の意思で行った」「侵略国の協力者」「売国奴」「裏切り者」などと誹謗中傷され、名誉の回復がなされていないこと。

2015-10-30 13:31:59
urokosmile @urokosmile

聞き書きだから一字一句正確じゃないです。ごめんなさい💦

2015-10-30 13:33:37
urokosmile @urokosmile

戦後の名誉毀損については、わたしもよく知らないでいた。筆舌に尽くしがたい苦しみを味わってやっと生き残ったのに裏切り者扱いされて。本当に辛かったと思う…。帰国後家族には何も語らず亡くなった人や、胃潰瘍や精神の錯乱を招いて働けなくなり、家族で没落した人が多数いたそうです。

2015-10-30 13:38:34
urokosmile @urokosmile

次に、中国人被害者は俘虜であり、労働者ではない。自発的に志願したわけでもなく、雇用契約書も交わされていない。これは俘虜の扱いを定めたハーグ陸戦条約にも違反していると、国の違法性が弁護団から述べられました。

2015-10-30 13:46:07
chy @chyooky07

文化大革命も重なって相当な迫害を受けてしまったんだよね。自分の意志で行ったわけではなく「強制」だったはずなのに。だから、被害者にとっては「花岡」と聞いただけで過去の記憶がよみがえり倒れてしまう方もいた。

2015-10-30 13:54:55
urokosmile @urokosmile

また、サンフランシスコ講和条約や日中共同声明を根拠に「国家間の賠償請求権は放棄された」と日本政府が主張するのは間違っていると弁護団は訴えました。日中共同声明でも、個人の損害賠償請求権は放棄すると明白に否定されているわけではないと。

2015-10-30 14:06:21
urokosmile @urokosmile

「72年の日中共同声明は個人の損害賠償等の請求権を含め、戦争の遂行中に生じたすべての請求権を放棄する旨を定めたものと解され、裁判上請求する権能を 失った」という2007年の最高裁判決にも弁護団は異議を申し立てました。hurights.or.jp/archives/newsi…

2015-10-30 14:09:52
urokosmile @urokosmile

日本政府のこれらの解釈、裁判での判決について中国の政府関係者からは、「戦争賠償の請求権の放棄は、日本との友好や共存を願って行った政治的判断によるものである。これを恣意的に解釈されていることに抗議する。判決は無効である。」と発言があったことも紹介されました。

2015-10-30 14:15:35
urokosmile @urokosmile

続いて、今回来日された原告の方からの意見陳述がありました。いずれも父親が強制連行、強制労働に駆り出されたご遺族です。横断幕を持たれている一番右の男性が宋明遠さん。真ん中の女性が王敬欣さん。一番左の女性が段偉玲さんです。(陳述の順に) pic.twitter.com/HdtGaBM6gc

2015-10-30 14:25:27
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urokosmile @urokosmile

宋明遠さん。 「私の父・宋金徳は1945年1月23日(旧暦)に私服の漢奸に連れ出され、日本軍に捕まり、花岡で労工にされました」 「祖母と母は泣きながら追いすがりましたが、ついには取り残されてしまいました」 pic.twitter.com/m2OT5zSml0

2015-10-30 14:55:01
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urokosmile @urokosmile

「当時母が私を抱いて物乞いをしている時、人々は母子でこんな生活を続けるのは無理だから、子供を余所にやってはどうかと薦めましたが、母はがんとしてそれを拒みました」 「こうしたなか、母は病気で倒れ、64歳で他界しました」 pic.twitter.com/nAurelTuoi

2015-10-30 15:00:28
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urokosmile @urokosmile

「私はありとあらゆる苦労をして今日まで生きてきました。私の半生に及ぶ苦難、血と涙に満ちた人生は、すべて日本政府とその軍国主義による中国侵略に由来するものです。彼らが犯した天を覆うばかりの罪行を決して許しません。私たちは必ず清算させます」

2015-10-30 15:04:30
urokosmile @urokosmile

王敬欣さん。 「私は日本の花岡に強制連行された王敏の娘です」 「1987年9月、父母は、花岡で第一次の強制連行をされ大隊長であった耿諄と会って以降、実相と家族の境遇を私たちに話すようになりました」 pic.twitter.com/mj0q1DZIap

2015-10-30 15:13:32
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chy @chyooky07

宋明遠さんの父は第二次連行者でした。王敬欣さんの父は、第一次連行者で滝ノ沢第一鉱滓ダムの暗渠工事をさせられ、鹿島との裁判の際に耿諄さんと来日されましたね。

2015-10-30 15:15:34
urokosmile @urokosmile

「七昼夜かかって日本の下関に到着し、警官によって汽車に乗せられ、花岡まで連行されました。花岡では耐え難い重労働を強いられ、凄まじい虐待と非人間的な境遇に晒されました」 pic.twitter.com/QaoNelxR6C

2015-10-30 15:22:29
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urokosmile @urokosmile

「生きるためにやむなく蜂起しましたが、2万人あまりに及ぶ日本の軍警と民衆によって鎮圧されました。花岡に強制連行された1000人に満たない中国人は、一年余の内に419人が日本で亡くなったのです」 「二人の兄は父が戻ったその日まで喪服を着続けていました」

2015-10-30 15:26:45
urokosmile @urokosmile

「強制連行に関し、政策の策定者であり加害の主体は日本政府です。日本政府にその責任をとらせることは、花岡に強制連行されたすべての中国人の願いでもあり父の遺志でもあります」 「日本政府が歴史を直視し、謝罪と経済的賠償を行うよう求めます」 pic.twitter.com/LJTKwJrBqF

2015-10-30 15:41:55
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urokosmile @urokosmile

段偉玲さん。 「私が5歳の頃家の入口に毎日たくさんの大字報(壁新聞)が貼られ『叛徒』『特務』『自白しろ』等と汚い言葉で殴り書きされていました」「父は『娘よ、お父さんは叛徒でもましてや特務でもない』と私に自分の経験を話してくれました」 pic.twitter.com/IBzoliY9Vz

2015-10-30 15:54:05
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