いきものがかり水野良樹が結成までのエピソードを語る「いきものがたり」

いきものがかりのリーダー水野良樹がデビュー10周年の節目に結成までのエピソードを語りだした! なお各回のタイトルは勝手につけさせて頂きました。 (よっちゃんの更新があり次第追加) 第-1回:山下穂尊との出会い 続きを読む
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水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(221) その日のことは覚えている。社長から怒られたからだ。デビュー決定を告げられても、僕ら3人は、なぜか全く喜ばず、神妙な顔をして「はい」と言っただけだった。「お前ら、もっと喜べよ!」と、笑われた。

2016-01-08 12:27:49
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(222) 「ここからが本当のスタートだ、もう引き返せない」と思うことしかできなかったのが、本音だ。もちろん物事が前に進むことは嬉しかったけれど、まだなにも成功していないのに無邪気に喜べる要素がなかった。むしろ、3人とも、これからが怖かった。

2016-01-08 12:29:08
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(223) 少し日をおいて、エピックのスタッフとの面談も行われた。社長の代わりに行ったライブで、うっかり僕らに手をあげてしまったひと、一志さんとも、そのとき初めて会った。”いっし”さんと読む変わった苗字なのだけど、会うなり「どうも、初めましてイッシーです!」と握手を求めてきた。

2016-01-08 12:30:23
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(224) 「うわぁ、いきなりあだ名で自己紹介?!めっちゃ、ぎょーかいじんだ!!」と戸惑った。今から考えれば、「イッシー」とふざけて言ったわけではなく、普通に「一志です」と自己紹介しているだけだったのだけれど、こちらは全てが初めての経験で、警戒しまくっていた。

2016-01-08 12:32:31
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(225) 激励する気持ちがあったのだろう。「うちのレーベルには、かつてドリカムが育った時代があり、ジュディマリが育った時代があった。君たちには、その次を狙う存在となってほしい。」普通なら、感激と恐縮の極みの言葉だ。まだ世にも出ていない3人にこれ以上ない、励ましの言葉だろう。

2016-01-08 12:33:52
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(226) だが、悲しいかな、その前の挨拶で一志さんを「ぎょーかいじん」だと決めつけている僕らは「なに調子のいいこと言ってんだ。ダメになったらクビにさせるくせにっ!!やいやいっ!だまされてたまるか!!」と思っていた。そのあと後ろ盾として、めちゃくちゃ一志さんにお世話になったのに。

2016-01-08 12:35:19
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(227) そしてその面談には、現場で僕らと向き合うことになる初代ディレクターも来ていた。その日からだ。僕らにとって、本当に長く、厳しく、つらい、デビューまでの育成期間が始まったのは。もう2度と過ごしたくないが、あの時間がなければ今の自分たちはないと言える、特別な日々が始まった。

2016-01-08 12:36:05

第12回:

水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

『第12回 〜前編〜』 写真が、ない代わりに、デビュー前のあれこれについて、前編、中編、後編の3部に分けて、書きます。長くて、ごめんなさい。

2016-01-17 17:37:02
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(228) 2005年の春頃に「人生すごろくだべ。」という3枚目のインディーズアルバムの制作に入った。一応、インディーズとは銘打たれていたけれども、エピックレコードのスタッフも現場に入り、いつか訪れるメジャーデビューに向けて、前哨戦となるような作品だった。

2016-01-17 17:38:10
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(229) 初代ディレクターは僕らより10歳ほど年長で、当時は30代前半だったと思う。端的に、厳しいひとだった。そこらへんのアーティストより、アーティスト。という言い方でどこまで伝わるのかわからないけれど、なかば狂気じみた情熱を、音楽制作に対して持つひとだった。

2016-01-17 17:39:33
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(230) まず、最初に彼と向き合ったのは、吉岡だ。文字通り、叩きのめされた。完膚なきまでに。

2016-01-17 17:41:20
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(231) 過酷なものだなと思う。「歌いたくない」という言葉を吐いてしまうほど厳しかった音大での日々。そこでやっと積み上げた歌のかたちを、吉岡はまた再び、初代ディレクターにぶっ壊された。そして、その「壊す」というディレクターのその時の判断は、圧倒的に正しかったと僕は思う。

2016-01-17 17:42:49
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(232) 音大のミュージカル科で学んだ、あくまで舞台上でのパフォーマンスを念頭においた歌唱が、必ずしもすべて、そのままポップスに適用できるわけではなかった。「ポップスにおけるリズム、発声、ピッチ、パフォーマンス、歌い姿…どれひとつ出来ていない。なにひとつだ!」吉岡は叱責された。

2016-01-17 17:44:40
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(233) 渋谷にレコード会社が持つ、小さなプリプロスタジオがある。社長の気まぐれで「カジノスタジオ」という名前をつけられたそのスタジオは、新人がカンヅメにされて、育成される場所でもあった。雑居ビルの地下で、なぜかとってもカビ臭い。そこに、よく朝までいた。

2016-01-17 17:46:59
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(234) とにかく吉岡は、歌って、歌って、歌って…歌い倒した。ファルセットを多用する歌唱法を、徹底的に直された。歌声の低域をふくよかにするために、中低域を魅力とするシンガーのCDを聴いて、その歌唱を完全コピーして歌って、さらに自分の歌い方に戻していくということもやった。

2016-01-17 17:48:37
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(235) ポップスのリズムやグルーブの感覚を体で覚えるためにも、とにかく歌った…。ときに罵声に近い厳しい言葉を浴びながら、嫌というほど歌いまくった。作業が長引いて朝4時、5時まで歌うことも、ザラだった。そのなかで自分のスタイルを少しずつ、本当に少しずつ、つかんでいった。

2016-01-17 17:49:44
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(236) このディレクターとの過酷な対峙は、デビュー1年後あたりまで続く。のちに男子二人も、曲作りにおいて同様に鍛えられるのだけれど、精神的にも、体力的にもタフな時代だったと思う。

2016-01-17 17:51:34
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(237) 昼にスタジオに入って、翌朝までスタジオで過ごす。あのどうしようもない気持ちで迎える夜明けを、今でも忘れられない。男子二人はスタジオから大学に行くことも多かった。あまりにつらくて、吉岡が叫びながら、スタジオの待合室の床を、比喩ではなく本当にのたうちまわったこともあった。

2016-01-17 17:53:01
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(238) 恵比寿の某スタジオにはディレクターの言葉に納得できなくて、なかば半狂乱になって水野が壁を蹴り上げたあとが、おそらくまだそのまま残っている。スタジオのひとには申し訳ない。スタジオに何の罪もないが、あの頃を思い出してしまうので、それ以来、僕らはそのスタジオを使っていない。

2016-01-17 17:54:12
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(239) そこまで向き合ってくれたディレクターも凄まじい人だったと、改めて思う。いきものがかりを世に出そうとするために、本当に全身全霊でことにあたってくれていた。しかし、その情熱は嵐のようなもので気を抜くと吹き飛ばされて自分たちを思ってもいない方向に向かわせるようなものだった。

2016-01-17 17:55:24
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(240) 10年前の話だけれど、当時、ソニーミュージック系列の新人は、アニメの主題歌に選ばれることで、世に出るかたちをつくることが多かった。デビューする前の僕らも、とにかくオトナたちからは「なんとか、アニメの主題歌の座を獲得するんだ!」と、もう嫌というほど言われた。

2016-01-17 17:56:51
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(241) 2005年は、まさにそのための曲作りをしていたようなものだったかもしれない。当時のスタッフの要求はとってもストレートで、主題歌を狙うアニメのカラーに合わせて、ばんばん曲に修正を求められた。

2016-01-17 17:58:46
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(242) バラードでつくったはずの曲が、いつの間にかアレンジャーに発注され、ディストーションギターの轟音が響くハードロックのデモで返ってきたりする。歌詞はアニメの方向性に合わせ、一字一句、気持ちの悪いほど前向きなものを求められた。戸惑う余裕さえなかった。

2016-01-17 18:00:06
水野良樹( いきものがかり / HIROBA )official @mizunoyoshiki

(243) 神奈川の片田舎から出てきた、いくらのんびり屋の大学生たちでも、その嵐に飲み込まれたら「自分たちの音楽ってなんですか?」という青臭いことを考えないわけがなかった。遅かったのかもしれないけれど「自分たちのスタイル」に対する自我が、その頃、初めて生まれてきたのかもしれない。

2016-01-17 18:01:31
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