アマヤドリ広田さん

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広田淳一 @binirock

演技においては「結果」を求めてもそれは手に入らない。ある感情や、ある体勢というものはいつでも行為の「結果」としてのみ得られる。考えて欲しい。今までの人生で一度でも、前もって「悲しもう」と決めて悲しんだことがあるだろうか? 前もって「怒ろう」と決めて怒ったことがあるだろうか?

2015-11-08 07:54:15
広田淳一 @binirock

真心を込めて伝えたことが無視されれば切ない。大切なものを汚されれば腹が立つ。この場合「切ない」や「腹が立つ」を追っても無意味。できるのは「何かを伝えようとする」事や「大切なものを守ろうとする」事。その行為の目的は何か? その言葉は、誰をどう動かすための発言か? 動機を、考える事。

2015-11-08 08:00:45
広田淳一 @binirock

次々にいろいろなことが起きる舞台は観ていて楽しいが、演者は大変だ。もちろん、複雑な段取りをミスなく高速でこなし続けることは大変だが、本当に大変なのはそのことじゃない。ミスなく段取りこなしていてもそれは演技にはならない、これが大変だ。先日の『三文オペラ』もとても大変そうだった。

2015-11-08 08:07:37
広田淳一 @binirock

稽古を重ねれば再現性は上がっていく。この場面ではこうなる、という「予定」が決まっていく。それが「この場面ではこう怒り、こう悲しむ」という結果を含む予定になっていたら要注意。舞台はベルトコンベアーに乗って全自動で進む。違う。観客が見たいのはその場で決断する人間の姿ではなかったか?

2015-11-08 08:12:55
広田淳一 @binirock

どんなに複雑な段取りが組まれていても、その場で判断し、その場で決断することをやめないこと。それが演じることの本体だ。その場で見て、その場で聞いて、その場で感じたことしか信じるな。それしか頼りにならない。観客と共有しているのは今、その空間だけ。稽古場で決めた予定なんて役に立たない。

2015-11-08 08:17:47
広田淳一 @binirock

本番に向かう俳優は、打席に立つバッターと似ている。練習では理想のフォームを追求して素振りをするのもいいだろう。バットがどこを通るべきかを考えながら振ってもいいだろう。でも、本番は勝負だ。どんなピッチャーがどんなボールが投げて来るか、ランナーはいるか、そんなこと稽古ではわからない。

2015-11-08 08:21:42
広田淳一 @binirock

打席に立って、目を凝らし、耳を澄ませ。ピッチャーを、ボールを、ランナーを、よく見ること。そして自分の身体はどんな状態か? しっかり把握するように。いつでも稽古は必要だけれど、予定通りのボールは来ない。稽古を信じて、あとは無心でバッターボックスに立てばよい。

2015-11-08 08:25:48
広田淳一 @binirock

ホームランを打てるかどうかも結果だ。「こう怒る」「こう悲しむ」と結果を決めて演じることは、「ホームランを打つ」と決めて打席に立つようなもの。うまくいくことはまれだ。そのボールに合わせて、その時々に判断するしかない。ピッチャーは自分の思い通りの球を投げてくれないから。

2015-11-08 08:31:50
広田淳一 @binirock

作り手はいつも、その作品が持つ本当の力を、その可能性の中心を見つめていてほしい。あれやこれやの具体的な準備の中で作り手は、自分がその作品から受けた最初のインパクトをうっかり忘れてしまったりする。どんな衝撃を与えうる作品なのか? その可能性を、決して過小評価しないでほしい。

2015-11-08 08:55:28
広田淳一 @binirock

まずはその作品のポテンシャルを自分たちが最大限に信じていてほしい。「ひとつの舞台で人生が変わっちまうなんて、あるわけないだろう」……本当にそうだろうか? ひとつの舞台は確かにちっぽけなものだけれど、時にとてつもない大きな影響を他者に与え得る。その可能性を信じていてほしい。

2015-11-08 09:00:10
広田淳一 @binirock

かつてオーストラリアの劇作家アンドリュー・ボヴェルが書いた『聖なる日』という作品をリーディングで演出させてもらったことがある。オーストラリアが持つアボリジニ(アボリジナル)たちとの決して明るくない歴史に焦点を当てた作品だった。

2015-11-08 09:04:23
広田淳一 @binirock

来日したアンドリューがシンポジウムで話をしてくれた。『聖なる日』をはじめとした一連の彼の作品の反響は大きく、政府が公式謝罪をするに至る流れを、確実に後押ししたと言える、と。それはわかりやすく「社会」や「国家」が動いた例。そんなことだって起きうる。

2015-11-08 09:08:10
広田淳一 @binirock

別に社会が変わらなくたって十分だ。一人の人間が、ある作品に出会って人生がかわる程の衝撃を受けてしまう。そんなバカみたいなことは、本当に起きる。そんなことがあったから、みんなだって舞台になんか立っているんだろう?

2015-11-08 09:10:11
広田淳一 @binirock

自分たちの作品の可能性を軽く見てくる観客もいるだろう。無価値だと断じる人がいるかもしれない。かつて僕も自分の作品を「こういうのって迷惑」と言われたこともある笑 時には、そんな声に耳を傾けてもいい。でも、自分たちの作品が持つ可能性を信じることを、どうかやめないでほしい。

2015-11-08 09:12:56
広田淳一 @binirock

もう一点だけ…。本番は勝負だ、ということをさっき書いた。それはもちろん己との勝負でもあるんだけど、もっと具体的には共演者との対決・セッションだ。若い人たちには特にそう感じるのだけど、若者たちは過剰なまでに「優しい」。バッターが打ちやすい球をわざわざ投げてやる必要はないんだ。

2015-11-08 09:26:35
広田淳一 @binirock

遠慮なく、一番、打ちにくい球を全力で投げつけてやればいい。それは確かに、相手にとって一番イヤなことだ。でも、それは卑怯なことだろうか? 違う。それが勝負だ。わざと打ちやすい球を投げてやることはやさしさじゃない。相手への信用が足りない。敬意が足りない。

2015-11-08 09:30:13
広田淳一 @binirock

「いじわる」や「怒り」、「軽蔑」や「拒絶」、そして「嘲り」。日常ではとても危険な感情たちだ。だからそういったことを他者にぶちあてるのは怖い。遠慮してしまう。わかる。でも、あてるんだ。大丈夫、そこは舞台だ。そういうことが許された場所だ。

2015-11-08 09:33:20
広田淳一 @binirock

あなたはあなたの相手役が舞台上でガチでキレてきたら、それを不愉快に感じるだろうか? 芝居の上で本当に悪意を飛ばされたら、「もっと遠慮してよ」と思うだろうか? 違うはずだ。「遠慮なくやっていいよ! だってそういうシーンじゃん!」と思うんじゃないのか。ならば、自分にもそれを言え。

2015-11-08 09:36:27
広田淳一 @binirock

相手と話し合うことは大切だ。思いやりを込めて、よく話し合ったらいい。そしてその上で、全力でやったらいい。「全力でやったらあなたが傷つくと思って……」なんて共演者に言われて、うれしい俳優がいるだろうか? もっと信用して、と思うはずだ。ならば、あなたも信じなさい。

2015-11-08 09:47:41
広田淳一 @binirock

信じる為に話し合うこと。失敗したら謝ればいいし、わからなければ聞けばいい。いつでも疑ってほしい。「結局、自分が傷つくのが怖いだけなんじゃないか?」って。遠慮するフリをして、自分を守らない。他人を言い訳にして、自分を甘やかさない。

2015-11-08 09:53:30
広田淳一 @binirock

嫌われるのは怖いだろう。でも、痛くもかゆくもない演技より、怖いな、と思う芝居の方がきっと面白い。最悪、嫌われたっていいんだ。みんな、お互いを嫌いにならないために、好きでいるために集まっているわけじゃない。みんなみんな、作品のために集まっている。それを信じる。

2015-11-08 09:57:15