おそ松ED個人的防忘録

ED曲歌詞解釈めっちゃ頑張った。最高に腐女子Dタグ行為メントしてる。
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@MatsuB0X

だが歌詞解釈するならコナミの人間のあさきが作ったOPより、イヤミが歌っているという体裁のEDで考える方が不毛度が低いと思うのだ

2015-11-10 21:20:14
@MatsuB0X

おそ松ED冒頭で六つ子がそれぞれ自己アピールをする。直後イヤミが「誰が誰でもおんなじザンス!」と切って捨てる。これは六つ子コミュニティの部外者、つまり社会から見た場合、いくら自己アピールしようが誰でもどうだっていいという個の否定である。思えば彼らの母も彼らを名で呼ばない #おそD

2015-11-10 21:39:42
@MatsuB0X

家族である母ですら「ニートたち」呼ばわりである。水族館のアジの大群の前で「魚だ!」と叫ぶのと大差がない。原作、過去アニメから比較して随分と描き分けられた六人だがこの時代であってもなお彼らの個は社会によって否定され、六つ子というコミュニティの内部によって肯定される。 #おそD

2015-11-10 21:42:59
@MatsuB0X

そしてイヤミは続ける「オフランスでミーは知ったザンス」オフランスで何かを知ったらしい。何を?「愛はチミ達の心の中にあって」六つ子コミュニティ内部でしか個として認識されないことを指す。心の中にある愛、それはお互いを個として認識しあう相互理解、もしくは共依存状態である。 #おそD

2015-11-10 21:47:32
@MatsuB0X

そしてその愛をほんのちょっぴり分けて欲しいとイヤミがいう。つまり過剰なのだ、愛が。傍目から見て依存状態がズブズブなのだ。なのでイヤミは人生の先輩として「お前らちょっと興味を社会に向けて持つべき」だと優しく諭してくれている #おそD

2015-11-10 21:50:21
@MatsuB0X

「ああなんてややこしい兄弟ザンショ 混ぜちゃってシェイクシェイク!」かくして六つ子はまとめて画一的なスムージーにされ、ここでもまた個として否定される。この後の歌詞もひたすら個についての否定である。 #おそD

2015-11-10 21:56:52
@MatsuB0X

さて、話は戻って「おフランスでミーは知ったザンス」である。御存知の通り、イヤミはフランス帰りを自称するもフランスに行ったことはないのだ。行ったことのないフランスでなにを知ったのであろう。考えられることは二つ。①何も知っていない。つまりこの曲の歌詞は全て虚構。 #おそD

2015-11-10 22:01:30
@MatsuB0X

だがそれではあまりにも虚しすぎる。この数ツイートは一体何であったのか。と、いうわけで②イヤミがこの歌詞中で言うフランスとは実はイヤミが過去に実際に訪れた場所のことで、地名を言うのが恥ずかしいのでおフランスで知ったことなんだけどと誤魔化している。これだ! #おそD

2015-11-10 22:03:50
@MatsuB0X

さて、こんな場末のアカウントをわざわざフォローしている殊勝で賢明な皆様ならこの先の展開は予想がつくはずだ。行くことが出来る地続きの土地で、だが行ったことは隠さないといけないような恥ずかしい土地……きっと惨めで馴れ馴れしい野暮ったい田舎……ご存知、滋賀県である! #おそD

2015-11-10 22:07:31
@MatsuB0X

そして更に場所の特定を進めよう!この滋賀県のとある場所で集合した生命を個として否定しつつもその愛を乞う体験ができる施設、それはこの腐った土地において唯一(いいえ、滋賀県立博文館、醒井養鱒所と並んで唯三)学べるそこは……南郷水産センター! #おそD

2015-11-10 22:15:25
@MatsuB0X

そうつまり、イヤミは南郷水産センターを訪れ、そこで鯉に餌をやった……ピチピチしてる鯉に餌をやるのはとっても楽しい……ラブ……ピース……でも別にこの鯉がいいとかそういうのは考えたりしない……その時に学んだ感覚を六つ子に感じ取りそれをちょっとわけてチョ!と言っているのだ #おそD

2015-11-10 22:18:20
@MatsuB0X

そして最期に揃いも揃って素っ頓狂な連中、と評する。そうなのだ。鯉に餌をやったことがある人ならよく分かるはずなのだが、鯉は大抵素っ頓狂なのだ。だからみんなおでんをかじりながら南郷水産センターに行くべきなのだ。あそこは本当にいいところなのだ。 #おそD

2015-11-10 22:21:09